「あのねあのね、ここの刺繍きれいでしょう。それで明日、作業場を見せてくれるんだって!」
さっきまで外の通りでこの街の女性となにやら話していたナナミが、ユーナクリフとジョウイが使っている宿の一室に飛び込んできた。
「へえ、面白そうだね」
金糸銀糸を使った華やかな刺繍はこの街の特産物らしい。部屋の壁にもタペストリーが掛かっている。
興味の広いジョウイが関心を示したが、ユーナクリフが困った顔をした。
「それ、男の子はダメだって言ってたよ」
作業場は宿屋のすぐ隣にあるため、ユーナクリフも記帳のときに宿の主人から話を聞いていた。しかし刺繍の仕事は伝統的に女性のみが行うもので、作業場は男子禁制なのだそうだ。ナナミは名残惜しそうにタペストリーを眺めていたが、やがてかくんと肩を落とした。
「うー……じゃあしょうがないね。諦めよっか」
ジョウイとユーナクリフは顔を見合わせ、小さく頷いた。
「ナナミ、行ってきなよ」
「でも……」
「そうだよ、折角なんだから。後で僕たちにもどうだったか聞かせてくれよ」
二人に勧められて、ナナミは躊躇っていたが「僕たちも適当に見て回るから」と言われて頷いた。
「うん、そうね。じゃあそっちも、面白い場所とか美味しいお店とかがあったら教えてね!」
翌日の打ち合わせを軽く済ませ、ナナミは自分に割り当てられた部屋に戻った。
旅を始めてから……ずっと三人で行動してきた。
誰かが欠けるのが怖い。少し離れると思うとすぐに不安になってしまう。
だけどそれはナナミよりも彼らの方が恐れていて、それが分かっているのでナナミは夜以外はいつでも彼らの視界に入っているようにしていた。
仕方がないのだとは思う。あんなに仲が良いのに離れて辛い思いをしてきた彼らだし、ナナミは一度死んでしまったことになっているのだ。このままいつまでも、何をするにも三人でべったりくっついているというわけにはいかないと分かってはいるけれど。
ちょっとだけ。あとちょっとだけでいいから、平気になるまで。
だから二人の方から背を押されたとき、ナナミは嬉しく思うと同時に少し寂しい気もした。
明日は山程お土産話を用意して帰ろう。そして次の日は三人でゆっくりしよう。
「時間はいっぱいあるんだから……」
ほんの少しの寂しさを眠りに紛らわせようと、ナナミは蝋燭を吹き消した。
一方、ユーナクリフとジョウイは街の周辺の地図を見ていた。
街自体はそんなに大きいわけではないので、いきおいその周りを散策してみようかという話になる。
「ここからちょっと行くと祠があるんだって」
地図上の線のような道を、ユーナクリフの指がなぞる。
「何の祠だい?」
「さあ、それは分からないけど……」
ユーナクリフは首を傾げながらも、ジョウイの目に好奇心が光っているのを見て笑った。明日行く場所はこれで決まりそうだ。
祠までは徒歩だと少々時間が掛かりそうなので、早めに寝床に入ることにする。
「そういえば、二人だけで出かけるのって久しぶりだね」
ベッドに上がろうとするジョウイを捕まえて、ユーナクリフは素早く唇を奪った。
「これってデートって言うのかな」
「な、何言ってるんだよ……!」
真っ赤になっているジョウイにもう一度キスを贈って、枕が飛んでくる前に自分のベッドに潜り込む。
「まったくもう……」
毛布の向こう側からはまだなにやらぶつぶつ言っている声が聞こえたが、それも小さな溜息に取って代わり、苦笑まじりの囁きになった。
「おやすみ、ユノ……」
ユーナクリフは眠ったふりで、心の中でおやすみを呟いた。
◆◆◆
―――翌朝。
ユーナクリフが目を覚ましたのはまだ日が昇ってすぐだった。
「ちょっと早すぎたな……」
窓からの光は未だ薄い。しかし妙に目が冴えてしまっていて、もう二度寝を決め込む気にもならない。
昨夜もあまり寝つきが良くなかったのに。
「ひょっとして……興奮して眠れなかったのかな」
デートなんて自分で言っておいて、そう思ってみたらなんとも言えずに高揚した気分になってしまった。
子供みたいだ。気恥ずかしくなってユーナクリフはがりがりと頭を掻いた。
隣のベッドを見ると、ジョウイが背を向けて眠っている。
朝に弱いジョウイを起こすのも忍びなく、手早く着替えて隣の部屋を覗いてみたが、いつもは早いナナミもまだ眠っている。今日は少しゆっくりして行くつもりなのだろう。
ユーナクリフは宿の裏手に出て、井戸の水を汲んで顔を洗った。早朝の澄んだ空気が気持ちいい。毎朝の習慣になっている軽い体操と型の練習をしていると、厨房から朝食を調理する良い匂いが漂ってきた。
「おやお客さん、朝早くから精が出るね!」
エプロンをかけた宿の主人が、窓から顔を覗かせている。
「小さく見える割にいい体つきしてるねぇ……お客さんたち、あれかい?武者修行の旅ってやつかい」
「は、はぁ……まぁ」
宿の主人は随分と人懐こい。曖昧に応えておいて、絞ったタオルで汗を拭いていると、一旦引っ込んだ主人の顔が、もう一度窓から突き出てきた。
「すまないんだけど言伝を頼まれてもらえませんかね?お客さんにこんなこと頼むのも悪いんだけど、卵が切れちゃってね。すぐそこだから」
料理を始めてしまったからには手を離し難いのだろう。押し付けられた紙切れには簡単な地図が書いてある。彼の言葉どおり、ほんのすぐ近くの家に印がつけてあるので、ユーナクリフは軽い気持ちで請け負った。
「分かりました。言伝だけでいいんですよね」
元気よく石畳を駆け出す少年を宿の主人はにこやかに見送った。
それがまさか受難の始まりになるとは、その時誰一人思ってはいなかったのだ。
―――ジョウイが目覚めたのは陽が大分高くなった頃だった。
ぼんやりした頭で部屋を見回すと誰も居ない。
「あれぇ……?」
こんな時間まで、どうしてユーナクリフは起こしてくれなかったのだろう。もぞもぞと着替えて顔を洗い、隣の部屋を見に行ったが、ナナミは既に出かけてしまっているようだった。階下の食堂に下りてみると、そわそわと落ち着かなげな宿の主人が、ジョウイを見つけて走り寄ってきた。
「僕の連れを見ませんでしたか?」
「ああ、あんたあの、金冠つけた子のお連れさんでしょ?そ、それがねお客さん……いつまで経っても帰ってこないんですよ」
「ええ……!?」
宿の主人は朝の出来事をジョウイに語った。ナナミはと言うと、ユーナクリフがお遣いに出てすぐ、起きてきて出かけていったらしい。
「あの後、私も行ってみたんだが……そんな子は来なかったと言われてね。本当にそんな遠くじゃないんですよ」
渋面を作っているジョウイに、主人は言い訳するように手を振った。
「大体の事情は分かりました……あなたのせいではありませんよ」
まるで自分に言い聞かせているようだ、とジョウイは額を押さえた。
「ただ、ユノは……ものすごく方向音痴なんです……」
しかも極端に自覚の薄い。
今頃どこを迷い歩いているのかと思うと、ジョウイは心配になった。それにこのままでは祠に出かける時間もなくなってしまう。
待っているよりは良いだろうと探しに出ることにする。
ユーナクリフが言伝を頼まれたのは街の出口の脇にある農家で、確かに往復してもたいした時間が掛かるものではない。ひとまずその家まで行ってみるが友人の姿はなく、やはりと思いつつも溜息が漏れた。
「しょうがないな……」
さして大きな街でもない。ぐるりと街中を尋ねて回ってみようと家が立ち並ぶ方へ向かい、そこでジョウイは足を止めた。
人通りのない道の辻にひとりの老婆がうずくまっている。
「どうしたんですか!?」
慌てて駆け寄ると、どうにか血の気の引いた顔を上げる。暑さで気分が悪くなってしまったようだった。
ジョウイは小柄な体を支えて木陰につれて行った。近くの家の戸を叩いて少しの間休ませてもらえるように頼むと家の主婦は親切に老婆を招き入れてくれた。水を飲ませると落ち着いたらしく、老婆はしわがれた声で通りがかりの少年に礼を述べた。
「あなたも暑かったでしょう、冷たいお茶をどうぞ」
家の女主人に勧められた飲み物を、ジョウイは一気に飲み干した。
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