ふたり



 
 
 
 
 
 


 ―――しばらくたって。
 ユーナクリフは宿にようやく戻ってきた。散々歩き回って疲れた顔をした彼を見かけ、宿の主人は転がるように往来まで迎え出てきた。
「ごめんなさい……目的地が見つからなくて言伝できなかったんです……」
「いえいえ、無事でよかったですよ。元はといえば私のせいなんだから」
 まったく、あの距離でどうして迷えるのかよくわからないが、彼の連れが言ったとおり相当な方向音痴なのだろう。よく訊いてみれば、うっかり街の外まで行ってしまったらしい。
 ジョウイが自分を探しに出たと聞いて、ユーナクリフは悄然としてしまった。主人は苦笑して、少年を食堂の椅子に座らせると皿に山盛りのサンドイッチと冷たい飲み物を出してきた。
「お連れさんもすぐに戻ってくるだろうから、ここで待っているといいよ」
 本当はジョウイを待って昼食にしたかったが、朝食も食べないうちに歩き回ったため、空腹に負けてもそもそとサンドイッチを齧る。
(せっかくジョウイとデートって言ってたのになぁ……)
 ナナミも戻ってこないし。ユーナクリフは一切れ食べ終わると、もう手を伸ばす気をなくしてしまった。
 刺繍の作業場で昼食も振舞われているのかもしれない。
 サンドイッチは美味しかったが、ひとりで食べるのはどうにも味気なかった。
 ジョウイはなかなか帰ってこない。
 宿を飛び出して探しに行きたい衝動に駆られたが、また道に迷ってしまってはお話にならないので、ここで待っているのがいちばん賢いのだろう。
 だがそれにしても―――
「お連れさん、遅いねぇ」
 宿の主人もさすがに訝しげな顔をし始め、ユーナクリフは居ても立ってもいられなくなった。
 思わず腰を浮かせたとき、ばたんと大きな音を立てて玄関の扉からすごい形相でナナミが突っ込んできた。
「大変ー!たいへんよ!!」
「な、ナナミ、一体何があったんだ?」
「お産よお産!赤ちゃんが生まれそうなの!作業場に妊婦さんがいたんだけど、急に陣痛が始まっちゃって」
「そりゃあ大変だ」
 作業場は宿の隣なので、ここから物資を運ぶことになる。顔色を変えた宿の主人にナナミはお湯と布をたくさん用意するように頼み、ユーナクリフの腕を取って外へ引っ張り出した。
「街外れに産婆さんが住んでるんだって。呼びに行こう、ユノ!」
 足の速さになら自信があるのでナナミが引き受けてきたのだ。突然のことに目を白黒させていたユーナクリフだが、ナナミの言葉に強く頷いて駆け出した。
 今回はナナミがついているので迷う心配はない。路地を走り抜け、街の裏手の林にある道をまっすぐ辿って行くと、木々の間に目指す家が見えてきた。
 年取った助産婦は安楽椅子にもたれて、夏バテして休んでいたのだと言った。
「さっき、街に行ったら暑さにやられてしまってね。そうしたら親切な男の子が介抱してくれて、ここまで送ってくれたよ」
 話を聞いて姉弟は顔を見合わせた。
「ひょっとしてジョウイかしら?」
「帰ってこないと思ったら……」
 どうやらどこかで行き違いになってしまったらしい。
 しかし大分元気を取り戻したとはいえ、助産婦は高齢だし、無理をさせるのはどうかと姉弟は悩んだが、老婆はできれば自分も行きたいと主張した。
「無理はしないよ。指示だけ出すから」
 今回予定よりも早くお産を迎えた女性は、彼女の縁続きなのだそうだ。真剣な瞳に押されてユーナクリフは彼女を負ぶってゆくことにした。
 

 ―――その頃。
 小さな街だし、そんなに時間もかからないだろうと高を括っていたのが裏目に出た。老婆の家は街の裏手の林を抜けて行かなくてはならなかったのだが、想像していたよりも遠かったのだ。ジョウイがしまったと思ったときには既に引き返せないところまで来ていた。
 老婆が通りすがりに分かれ道を指し「そっちに行くと祠があってねぇ……」と言われたときには力ない笑みを浮かべるより他になかった。
 ひと休みして昼食を取るように勧められたが、もしかしたらユーナクリフが戻ってきているかもしれないと思うと早く宿に戻りたかった。丁重に断り空腹を引きずってきたところで、ジョウイは宿の慌しい様子に立ち尽くした。
「お連れさん方なら、産婆さんを迎えに行ってくれましたよ」
 白いシーツの山を抱えてきた宿の主人は、ジョウイを見つけると気の毒そうにこれまでの経緯を語った。
 なんだそれは……。
 ジョウイは脱力して壁にもたれかかった。
 ここまですれ違いが続くと何かに邪魔されているのではないだろうかと疑いたくもなる。 
 ユーナクリフと二人で、地図を見ていた昨夜のことが夢だったように思えてくる。
 出かけようって言っていたのに。
 久しぶりに―――二人きりで。
「あの……僕にも何かお手伝いできることはありますか?」
 こうしていても仕方がないと頭を切り替えて、ジョウイはシーツを受け取りに来た女性に訊ねた。
「そうねぇ、じゃあ妊婦さんの旦那さんを探してきてもらえます?今日はちょっと遠くに薬草を採りに行ってしまっているのよ」
「…………はい」
 この際、なんでも引き受けてやろうじゃないか。
 ―――そして当然のように、ユーナクリフが老婆を負ぶって戻ってきたときには、ジョウイの姿はなかったのである。
 
 

◆◆◆




 数時間後、予定より早い出産ではあったが、生まれた赤ん坊はすこぶる元気な女の子だった。
 泣き声が聞こえたときには周囲にいた人たちは皆で抱き合って喜んだものだ。赤ん坊の父親は嬉しさに頬を塗らして何度もありがとうと繰り返していた。
 ユーナクリフたちはと言えば、ようやくゆっくり顔を合わせられるようになったのは夕食の席で、しかもこれがほとんど今日はじめての食事であったために、黙々と胃を満たすことに集中していた。
 日はもう暮れて、窓の外には薄紫の空が広がっている。
 お土産話もそこそこにナナミは隣の部屋に引き上げ、ユーナクリフとジョウイはそれぞれのベッドに身を投げ出している。
「……予定が丸潰れだ……」
 ぼんやりと天井を見つめたままユーナクリフが呟くと、隣でジョウイが身じろぐ気配がした。
「なんだか……妙な一日だったな……」
「そういえば、あの産婆さんが教えてくれたんだけどこの辺り夕方になると月見草が咲くんだって。今から見に行くかい?」
 寝転がったまま目を合わせると、ジョウイは少し考えて、そして口元に笑みを乗せた。
「いいよ、今日は大変だったから……夜くらいはゆっくりしよう」
「デートはおあずけかぁ」
 残念そうに頬を膨らませはするものの、まず自分が朝っぱらから道に迷ってしまったことに責任を感じているのか、ユーナクリフはそれ以上強引にでも出かけようとは言わなかった。
「そうじゃなくて―――」
 ジョウイは小さく笑って、毛布を手にベッドから降りた。
 何をする気なのかと思っているとジョウイが自分のベッドに上がり込んできて、ユーナクリフは驚いた。そのまま毛布で二人一緒にくるまれてしまう。
「ジョウイっ!?」
「君が言うようにデートっていうのも悪くはないけど」
 くすくす笑う吐息の振動が耳元にかかり、心がざわめく。
「こうやって一緒にいるのも僕は好きだよ」
 ジョウイはユーナクリフの額に自分の額をこつんと合わせた。
 君の温かさが直に伝わって、一緒にいることを実感できる。
「ダメだよ、ジョウイ……」
「え?」
「……その気になっちゃったじゃないか」
 言葉とは裏腹に熱くなった身体を押し付けると、ジョウイは朱に染まった目元で睨みつけてきたが、伸ばされた腕を拒まれるようなことはなかった。
「いいよ……今夜は一緒にいよう。二人で」
 もっと側に。
 夢の世界までは追いかけていけないから、今夜はこの腕に引き止めていよう。
 唇を交わして、身体を絡めて。
「ジョウイが……そんな風に積極的なのって珍しい」
「……そうかな?……ぁッ……ユノ……」
 たぶん、寂しかったんだよ。
 吐息に紛らわせた呟きに、ユーナクリフはくちづけで応えを返した。
「僕も……」
 君に会えなくて、君に会いたくて、一日中がそれで全部。
 ―――焦がれるってこういうこと。
 ゆっくりとお互いの中を巡って。
 この夜を、君と一緒に越えてゆこう。
 
 
 
 
 
 
 

 


 キリリク頂いたので幸せな主ジョウを目指してみたのですが。
 しあわせ〜ってなんですか〜♪
 しあわせ〜はどこですか〜…♪
 …梅酒が飲みたくなってきました(バカモノ)
 


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