翌日は檜
(1)



 



1.

「やっぱりここはわたしたちがどうにかしなきゃダメよ」
 最愛の義弟の鼻先に指をつきつけ、彼女は真面目くさって言った。
 すっかり気圧されながらも、ユーナクリフは問わずにいられなかった。
「で、でもさぁ……本当にうまくいくのかなぁ」
「わたしたちの立てた作戦は完璧に決まってるよ!ジョウイの幸せのためなんだから、手段を選んでる場合じゃないでしょ!」
 その隣では、ひょろりと背の高い金髪の男も真面目に頷いている。
「そうです。私だって坊ちゃんの幸せを考えて一緒に作戦を考えたんですから、絶対成功させましょう」
 彼は何かの薬草の名が書かれたメモと、財布をユーナクリフに渡した。
「バレたら大目玉喰らいそうだよね……」
「バレなきゃいいのよ」
「そうだけどね……」
 それは不可能だと思うなぁ。
 言いかけた言葉を飲み込んで溜息をつくと、ユーナクリフはお買い物に出かけたのだった。



◆◆◆




 嫌な視線を感じてトリスラントは振り返った。
 だが、そこには夕暮れを迎えた普通の街並みが広がるだけ。大通り近くの道にはそこそこの人出があり、誰が視線の主なのか特定するのは難しかった。トリスラントは顔を顰め、泊まっている宿の方向に足を向けた。
 彼ら一行は昨日からカクという街に来ていた。数年前までは何の変哲もない漁村だったが、今はトラン解放戦争時の本拠地となったアーク城からいちばん近い街として発展していた。アーク城は現在トラン湖上の交易の主要な中継点となっている。
 ここへきてからというもの、トリスラントは先程のように妙な視線を感じるようになった。昨日から数えてこれで3回目だ。いい加減気味が悪い。アーク城まで船ですぐのこの街では、若き英雄の顔を知っている者がいてもおかしくはないが、それにしたって執拗だし、何となく嫌な感じがする。
 宿の入り口でトリスラントはユーナクリフにばったりと遭遇した。
「あっ……と、トリス、おかえりなさい」
「やあ、ユノ。君も買い物?」
「え、ええ……まあ」
 ユーナクリフは手に持っていたものを素早く背中に隠したが、トリスラントの目を逃れることはできなかった。
「何を買ってきたんだい」
「べ、別になんでもないですよっ」
 あからさまに怪しい。更に追求しようとしたその時、宿の扉がぱっと開いて小柄な娘が飛び出してきた。
「あーっ、ユノ帰ってきたのね!ちょうどよかった!」
 ぴょんぴょん飛び跳ねながら彼女はユーナクリフの首に抱きついた……というより、タックルした。がくがくと揺すぶられてユーナクリフが目を回していてもお構いなしである。
「な、ナナミ……くるしい……」
「もーっ!聞いてよユノ、ジョウイってばわたしのこと不器用だって言うんだよ!だからユノが帰ってきたらどっちが巧いか訊いてみようって」
「ナナミ、ナナミ!それじゃ訊いたって答えられないよ」
 玄関から続いて出てきた長い金髪の少年が、酸欠で喘いでいる親友の命を救おうと弾丸娘をひっぺがした。
「……実によくできた役割分担だね」
 呟いた感想が聞こえたのか、騒がしい三人組はトリスラントに目を向けた。
「あっ、トリスも。おかえりなさーい」
「おかえりなさい……」
 ナナミは明るい笑顔で、ジョウイは僅かに瞳を伏せて。いつも通りに。しかしトリスラントはジョウイの様子が少しずつ変化していることに気づいていた。
「で、何が巧いんだって?」
「そうそう!これを作ってたのよー。でもジョウイは私の絵が下手だって失礼なこと言うのよ。自分の方こそ下手なくせに」
 ナナミが見せたのは円い木のコースターに色彩豊かな絵が大胆に描かれたものだった。おそらくはトールペインティングと呼ばれるものであろう。
「先に下手だって言ったのは君だろ?大体君のは鳩どころか鳥にだって見えないじゃないか」
「鳩じゃなくてオウムだって言ったでしょー!!」
 事情は分かったものの、しまったと思っても既に遅く。
「まあまあ。それで、ジョウイはどんなのを描いたんだい?」
 話を差し向けた手前、トリスラントは二人の仲裁をする羽目になってしまった。
「これです」
「ええと、これは……ぶ、ブタかな?」
「…………花です」
「えっ?」
「花です!プリムラの花!!」
 フォローの言葉も見つけられないでいるトリスラントの横から、ナナミが首を突っ込んできた。
「ね、ね、わたしのが巧いでしょ?」
「どっちもどっちだよ……」
 更にその反対側から突っ込まれたユーナクリフのコメントは助け舟と呼べるのかどうか。
「ひっどーいユノ!わたしのが巧いってばー!」
「ユノ!こんなのと一緒にするなよ!」
 同時に上がった抗議の声を無視し、ユーナクリフはトリスラントを促して宿に入っていった。
「いいのかい、あのままで」
「いつものことですから、放っておいていいですよ。……でも、ジョウイがああやってナナミとケンカするの久しぶりに見たかも」
 呆れたそぶりを見せながらもユーナクリフは嬉しそうだ。
 トリスラントも気づいていた。ジョウイはこのところ感情が豊かに表れるようになってきている。
 あれが彼の本来の姿なのだろう。初めて会った頃の張り詰めたような危うさは少しずつだが薄れてきていた。
 そしてもうひとつ、それを喜ぶ気持ちと裏腹に、心にわだかまるものがあることも。気づかないフリをするにも限度がある。
 こっそりと苦笑してトリスラントは自分の部屋に足を向けた。
 それが、この後起こる騒動の始まりの合図になるとも知らずに。



◆◆◆




 翌朝のこと。例によって寝ぼけ眼でベッドにしがみついていたジョウイはナナミの大声で目を覚ました。
「大変ーーーー!!大変よ!!」
「ど、どうしたんだよ……ナナミ……」
 ナナミは大きな目をこぼれ落ちんばかりに見開き、ジョウイの寝間着の胸元をがしっと掴んで叫んだ。
「トリスが誘拐されちゃった!!!」
 眠気も一気に吹っ飛ぶ。
「な……なんだって!?」
 着替えもそこそこにトリスラントの部屋へ駆けつけてみると、そこにはグレミオとユーナクリフが待ち構えていた。
「トリスが誘拐されたって、どういうことなんですか?」
「あ、ジョ、ジョウイ君!そ、そうなんですよ。私がここに来たときにはもう坊ちゃんの姿はなくて……か、かわりにこんな物が……!!」
 盛大にどもりながらグレミオが差し出したのは一枚の紙片だった。そこには乱暴な字でこう書いてあった。
『トリスラントは預かった。返してほしければ日暮れまでに見つけ出せ。アーク城にて待つ。』
「……妙ですね」
「な、なにがです?」
 グレミオはぎくりとしたが、ジョウイは思案げに紙片をじっと見つめていた。
「目的が分からない……トリスを攫って何がしたいのか……」
「とにかくアーク城に行ってみようよ」
 状況の不自然さに眉を顰めていたジョウイだったが、ユーナクリフに腕を引っ張られて頷いた。このままでは何もわからない。行ってみるしかなさそうだった。
 だが、いざ城内部の見取り図を渡され、船上から実物を見るにあたってジョウイは舌を巻くことになった。城はもちろん城というだけあって広く大きい。部屋も店もたくさんあるし入り組んでいる。
 この中からどうやってたった一人の人間を、しかも日暮れまでという制限つきで見つけ出すのか?おまけにグレミオ以外の三人はこの城は初めてで不案内に過ぎた。
「城の人に応援を頼んだ方がいいんじゃないですか?」
「だ、だめですよ!」
 ジョウイの申し出をグレミオが慌てて制止した。
「そうだよ。大騒ぎになったりしたら、犯人が早まって何するか分からないよ。もしかすると城の内部に犯人がいるかもしれないじゃないか」
 しどろもどろになっているグレミオに代わってユーナクリフが続ける。まだ納得がいかなそうにではあるが、ジョウイは頷いた。口には出さなかったが、ルルノイエでかくれんぼをするよりはマシだと思ったのだ。
 グレミオは気を取り直して城の見取り図を広げた。
「手分けして探すことにしましょう。ジョウイ君は2階と3階をお願いします。特に倉庫は……その、隠し場所になりそうな所がたくさんありますので、念入りに。地下は、初めての人には難しいと思いますので、私が行きますよ」
 彼らは時間を決めて落ち合うことにして各自の持ち場についた。
 ジョウイは倉庫番の男に大事な探し物があるからと言って入れてもらった。初めは不審がられたが、トリスラントの名前を出すと、意外とあっさり通してくれたのだ。彼の協力もあって倉庫の捜索はかなり楽になったが、それでも大変であることには変わりがなかった。
 山と積まれた箱や並んだ棚をうんざりと見ながらも、ジョウイは持ち前の几帳面さで丹念に調べていく。
 それにしても奇妙だった。誘拐などという物騒な事件の割には緊迫感がない。第一、夜中だったとしてもトリスラントがいなくなったことに誰も気づかないなんて。よほど油断でもしていない限り彼がそんな大人しく捕まるとも思えない。
「……まさかトリスの悪戯じゃないだろうな」
 もちろんトリスラントのことは心配だが、ジョウイは疑念が膨らんでしまうのを止められなかった。
 倉庫の捜索が終わる頃、時を告げる鐘が鳴った。集合時間だ。ひとまず集合場所に行ってみると他の三人は既に集まっていた。
「グレミオさん、いくらなんでもそれはやりすぎじゃ……」
「ち、違うんですよユーナクリフ君。これは本当なんです!」
 なにやら慌てた様子に、嫌な予感がする。
「どうかしたんですか?」
 声をかけると三人は弾かれたように揃って振り向き、中でもナナミがいち早くジョウイに飛びついた。
「ジョウイ!トリスは?トリスは見つかった?」
「いや……こっちにはいないみたいだ」
「う、うそー!!ちゃんと探したの?箱の中身も見た?」
「見たよ。開いていない箱はわざわざ上板を外して調べたんだ」
 ナナミは途方にくれた様子でユーナクリフと目を見合わせた。グレミオは青ざめた顔で一枚の紙片を差し出した。
「……実は、私が地下に行ったら変な男が、いきなり……こ、こんなものを……!」
 紙片に目を走らせ、ジョウイも顔色を変えた。
『トリスラント・マクドールを預かっている。彼の命が惜しければ明日までに5千万ポッチ用意して指定の場所に持って来い。それができないならば、レパントをアーク城まで来させろ』
「そういうことか……まずいな」
「ど、どういうことなの?なんでいきなりレパント大統領なの?」
 苦々しく呟くジョウイの上着には、ナナミが落ち着かなげにしがみついている。
「明日までに5千万ポッチなんて用意できるわけないだろ?犯人は初めからレパント大統領を引きずり出す気なんだ。トリスだけじゃなくて大統領まで狙われているとなると、早くなんとかしなくちゃ」
 緊迫した事態に四人はめいめいに身体を固くしていた。
「でもどうして直接グレッグミンスターに送りつけなかったんだろう?わざわざグレミオさんに渡すなんて、手間がかかるのに」
「その方が信憑性があるからだよ。素性の知れない奴がこんなものを持っていたって、でたらめだって言われて追い返されるのが落ちさ。最初の脅迫文は多分、トリスの仲間として行動しているのがどんな人間か確認するつもりだったんじゃないかな」
 怪訝な顔をしていたユーナクリフは、ジョウイがもう一枚の紙片を出してみせると、気まずそうに目を逸らした。




 
 

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続いてます。最終話。
だってなぜか長くなってしまったんだもの…
ナナミが喋るとつい、ね。止まらないですね(笑)


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