少女は5歳の誕生日を迎えたばかりだった。
「ばあや、おとうさまはまだ帰ってこないの?」
今朝もまた、少女は昨日と同じ言葉を繰り返す。
女神の名の下に戦う誇り高き騎士団に所属している父。戦いに出れば何日も家を空け、少女が寝てしまった後真夜中近くに帰宅することも珍しくはないため、少女は目が覚めると開口一番家中の者にそう尋ねるのだ。
「残念ながらまだのようでございますよ、クリスお嬢様」
今朝もまた、返ってきた答えは昨日と同じだった。
「そうなの……」
落とされた小さな肩をライトフェロー家の乳母は厚手のショールでくるんでやった。
「随分と遅うございますね、ワイアット様は」
「しょうがないわ。だいじなお仕事だもの」
幼い声が大人びた口調で呟く。
クリスは聞き分けの良い娘だった。生まれてすぐに母を亡くし、父は今日も戦場に出て、常に危険と隣り合わせで生きている。
寝間着を着替えて朝食を済ませると、クリスはテラスに出て子供用の模擬剣で型の練習をした。子供用とはいえ、まだ身体の小さなクリスには大きすぎるものだし、そもそもゼクセンの女の子は普通、剣など手にするものではなかった。以前父が戯れに教えてみたところ、騎士である父を誇りにしている少女はそれを毎朝の日課としてしまったのだ。周囲の者たちは苦笑しつつも、幼い少女が寂しさを紛らわすための手段なのだろうから、と黙って見守っているのだった。
クリスがひととおり練習を終えて、汗を拭きつつ玄関の広間を通りがかると、どうやら執事が客を迎えているようだった。階段の手摺越しに騎士団の銀色の鎧を着けた大柄な男が見える。途端、少女は歓声を上げた。
「ペリーズ様!」
父と同じく騎士団に所属し騎士隊長を務めるその男は、よくライトフェロー家を訪ねて来ては父と酒を酌み交わしていた。クリスのこともよく可愛がってくれたものだ。
「いらっしゃいませ、ペリーズ様!お帰りなさいませ、ゼクセへ!」
歌うように軽やかに、クリスは飛びつかんばかりの勢いで彼に駆け寄った。まるで彼の後ろに大の男が一人、隠されてでもいるかのように、少女はきょろきょろと辺りを見回した。
「ペリーズ様、父は御一緒ではないのですか?」
今回の戦いに赴く前にもペリーズはライトフェロー家へ来ており、クリスの父ワイアットと遅くまで議論を交わしていた。
『カラヤの族長が……』
『そんな言いがかりを……』
『何かの罠では……』
内容までは幼いクリスには理解できなかったが、深刻な状況であることだけは確かだった。
だが、出発の朝には父はいつも通りの笑顔と軽い口付けを娘にくれた。
「すぐに帰るよ」という言葉を、クリスは純粋に信じていたのだ。
頭上遥か高くにあるペリーズの顔を見上げ、クリスはその時はじめて彼の顔に浮かんだ沈痛な表情に気がついた。
恐ろしい予感が胸をよぎり、さっと額から血の気が引く。
「ペリーズ様……父は……父はどうしたのですか?」
「お嬢様」
いつになく狼狽した執事の声に、幼い少女が不安げな視線を返す。
ペリーズは痛ましげに目を閉じた。普段は優しげな彼の顔には疲労が色濃く浮き出ていた。
「クリス……君の父上は、グラスランドでの戦闘中に行方不明になった」
金色に色づいた葉が庭いっぱいに舞い散る季節のことだった。
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