知将の受難



 
 
 
 

 クスクスの街はいつになく騒然としていた。
「これはありがたい。こちらから、うかがおうと思っていたのですが」
 分かれた人垣の奥から進み出てきた少年を認め、クルガンは慇懃に礼をした。
 それが、彼の精神力を試される一日の始まりであることを、彼はまだ知らなかった。
 現れたのはいまだ幼さの残る少年。紅い服、額の金冠と抱えているトンファー……それらは彼が新同盟軍・ツインホーン軍のリーダーであることを示していた。傍には少女が寄り添うように立っている。
 少年はクルガンの顔を見ると驚きに目を瞠った。
 しかし少女の方は、反対に可愛らしく首を傾げてみせた。
おじさん、だれ?」

 ――――――さくっ。

 そのとき、クルガンの目にはこの少女から矢のようなものが飛び出したように見えた。それは鋭くクルガンの胸を抉った。手痛い一撃であった。
 固まってしまったクルガンを見て、少年は慌てて少女に耳打ちした。
「な、ナナミ、失礼なこと言っちゃダメだよ。この人はハイランドの将軍だよ」
 クルガンは低く名乗った。
「……ユーナクリフ殿……私は、ハイランド王国軍の指揮官ジョウイ・ブライトさまの配下、王国軍、第三軍団長クルガンと申します。以後、お見知りおきを願います」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします。こっちは義姉のナナミです」
 ツインホーン軍のリーダーは近くで見ると、戦場で見たよりも歳相応に幼く、どこにでもいそうな普通の少年に思えた。軍人らしさよりは少年らしい気安さがうかがえる……思えばそれが不幸の元だったのかもしれない。
 主君であるジョウイの結婚と和議のための書状について述べ、部下を置いてツインホーン軍の本拠地へと同行する。ユーナクリフとナナミは、ショックが過ぎると彼らの親友についてクルガンに根掘り葉掘り聞きたがった。その情景はまるで父親にお話をねだる子供のようだった、と後にその場に居合わせた人間たちは語った。
 少年少女と共に遠ざかる(傍目には彼らを引率しているかのような)黒衣の背中が完全に見えなくなる頃、残された王国兵たちの間にひそやかなざわめきが広がっていった。
「おい、聞いたか?」
「あ、あのクルガン様に向かって『お……』……」
「信じられん。なんて、なんて……」

 ――――なんて度胸のある娘なんだ!!

 彼らのざわめきは皇都ルルノイエに帰り着くまで止むことはなかったという。
 ハイランド軍にその人ありと言われた知将クルガン・29歳。微妙なお年頃であった。
 
 
 
 

 新同盟軍本拠地に辿り着いた彼らをまず迎えたのは、栗色の長い髪をおさげにした少女であった。
「あっ、ユーナクリフさんにナナミちゃん。おかえりなさーい」
「ただいま」
「ただいまテンガちゃん」
 リーダーやその姉と親しく受け答えする少女と目が合い、クルガンは彼女に目礼した。すると。
「??おじさんは誰だい、新しい仲間なの?」

 ――――――ざくっっ。

 クルガンはふらつきそうになるのを必死で耐えた。明るくフランクな口調がダメージを追加していた。
 若いリーダーは素早くテンガアールの視線が届かないところまでクルガンをひっぱり、頭を下げた。
「す、すみませんクルガンさん。ヘンな勘違いをして……あの、悪気はないんです」
 敵国とはいえ位の高い将軍相手に失礼な発言だったと身を竦めている。どちらかといえば『勘違い』部分よりイタイ一言があったことを彼は気付いているのかどうか。
「い、いえ……」
「えっと、とりあえず大広間に行ってシュウさんに会いましょう。あ、ここ牧場なんですよ。いい景色でしょう?」
「はあ」
 なぜかいきなり畑だの牧場だののある異様にのどかな場所に連れ出されてクルガンはとまどったが、そんなことは表情にはおくびにも出さないのが彼の得意技であった。レストランの食材をまかなっているという牧場の入口の柵には幼い少女が寄りかかっており、リーダーの姿を認めると小走りに寄ってきた。
「ユーナクリフさん」
「やあユズ。みんな元気そうだね」
「うん」
 せっかくだからとユーナクリフは少女をクルガンに紹介した。クルガンはこの小さな少女が牧場を仕切っているのだと聞かされて少なからず驚く。
 ユズは愛想のないクルガンにもにこっと笑ってみせた。
「このおじさんもユズが育てるの?」

 ――――――ぐさっ!

 その無邪気さがクリティカルヒットであった。ユーナクリフも別の意味で脱力している。
「ユズ……どこでそんな冗談覚えてくるんだい……」
「なあんだ、違うの?」
 ……本気だったのか?
 絶句しているクルガンの横で、ユーナクリフが肩を落とす。紹介したのは失敗だった。
 しかし少年はこんなことで挫けない。早々に気を取り直すとユズに別れをつげてクルガンの先に立つ。ステージを通りすがるとナナミが歓声を上げた。
 そこには踊り子がエキゾチックな衣装をまとい、しなやかな体躯で踊っていた。
「カレンちゃんの踊りってホントに素敵だよね!クルガンさんに会うちょっと前にクスクスでスカウトしたんですよ〜」
「……そうですか……」
 確かにすばらしい踊りなのかもしれないが、クルガンには暢気に鑑賞しているような余裕は残っていなかった。
 見るとはなしにステージを眺めていると、観客席の奥から女性がリーダーに声をかけてきた。
「おかえりなさい、ユーナクリフ。あら、こちらの素敵なおじさまはどなた?」

 ――――――ざくざくっ!

 誉められているだけに余計に痛い。奥歯を噛み締めて耐えるクルガンに、ユーナクリフは気を遣ってそっと尋ねた。
「クルガンさん、顔色が良くないようですけど。大丈夫ですか?」
「い、いえ、照明のせいでしょう……」
 冗談じゃない。倒れでもしたらこの城での滞在時間が延びてしまうではないか。その間に一体どんな相手と会い、どんな言葉を浴びせられるのか、クルガンは考えるのも嫌だった。
 敵兵の怨嗟の声や罵倒なら慣れているし今更どうとも思わないが、この城においては会う者会う者、敵意を見せるどころかかけてくるその言葉と言ったら……!!
「リィナさんってばカッコいい男の人と見ると……。この人はハイランドの将軍さんなのよ」
 ナナミの紹介を受けてリィナは艶然と微笑んだ。
「まあ、ハイランドには魅力的な方がいらっしゃるのね」
 妖艶な笑みと共に見送る美女が、このときクルガンには悪魔に見えた。
 この城の連中は自分に恨みでもあるのか?いや、あるだろうが、まさかこれがその復讐というわけではあるまいな。
 いっそ戦場にいた方がどれだけ気が楽か。
「あ、ここお風呂です。……入っていきませんか?」
「ユーナクリフ殿」
 これ以上ダメージを受ける前に、務めを果たさなくては。
「リーダー自ら城を案内していただけるのはたいへん光栄なのですが、残念ながらこの任務のために私に与えられた時間はそう多くないのです」
 口実ではあったが、口調に滲んだ焦りが真実味を与えていた。
 ユーナクリフは目を瞠り、次に沈んで俯いた。本当に残念そうである。
「そ、そうですよね……すみません、ちょっと浮かれちゃったみたいで。でも和議が成立したら遊びに来てくださいね。僕案内しますから」
「わたしもわたしも!あっジョウイもね!」
 ずいぶんと好意的なリーダーとその姉である。和議の申し入れがよほど嬉しいのだろう……しかしそのときクルガンの耳には、自分の前を歩きながらこっそりと交わされたナナミとその弟の会話が入ってしまった。
「ねぇねぇ、クルガンさんってちょっとゲンカクじいちゃんに似てるよね」
「ナナミもそう思う?」
「思う思う〜」
 クルガンは感情を表面には出さないまま大いに悩んだ。ゲンカクといえば姉弟の育ての親であり高名な同盟軍のもと英雄である。果たして姉弟のこの評価は喜ぶべきなのか、嘆くべきなのか?
「まったくぅ、ユノったら、ハンフリーさんとかリドリーさんとか、じいちゃんに似てると思うとすぐに懐いちゃうんだから」
「ナナミだってそうじゃん……僕はただ、おとうさんみたいでいいなぁって」

  ――――――ざくっどしゅっ!!

 クルガンはよろめいた。少年の憧れを込めた口調はことのほかダメージが大きく、いまやハイランドの敏腕軍団長は戦闘不能スレスレであった。
 ユーナクリフは深呼吸を繰り返すクルガンを心配そうに見やった。
「クルガンさん、本当に大丈夫なんですか?気分でも悪いんじゃ」
「……ご心配にはいたりません。それよりも、急いで軍師殿に……」
 頼む。頼むから早く用事を終えて帰らせてくれ。なぜいつまでも大広間に着かないんだ。
 クルガンの心の叫びを知ってか知らずか、ユーナクリフは廊下の角を曲がる。そこで小さく首を傾げたのをクルガンは見咎めた。
 嫌な予感がする。
「この先は兵舎で……」
「……ここは先ほども通りませんでしたか?」
「あれ?ええと」

 ――――自分の城で迷ってたんかいっ!

 まさかとは思っていたのだが、新同盟軍リーダーは相当な方向音痴だったらしい。クルガンはズキズキと痛むこめかみを押さえて記憶を反芻し、平面図を頭に描いた。
「この城の構造から言って……おそらくこちらに大広間があると思うのですが」
「あっ本当だ〜。クルガンさんすごいですね!」
「…………」
 もはやなにを言う気にもならず、クルガンはただ大広間の扉が開かれるのを待った。
 扉の向こうにいたのはキバ、シュウ、フリック、ビクトールなど……その面々を見渡し、クルガンは天国に来たように思った。

 ああ、この年齢層。

 よれよれになりながらも、クルガンは最後の気力を振り絞って口上を述べた。書状を渡す手はかすかに震えていた。
 シュウはそれに気付き、片眉を上げると探るように問うた。
「この城はいかがでしたかな、クルガン殿」
「若い方が……とても多いようで。……活気があってよろしいかと」
 そう答えるのがやっとだった。声だけは震えていないのが救いだと思った。すでに感情を隠すどころか表情筋が動かないのだ。
 こんなところにもう一秒でもいられるものか!というのが正直な感想である。
 シュウのきつい目が緩められ、哀愁を帯びたのは気のせいか……。
 挨拶もそこそこに大広間を出ると、その先には生意気そうな若者が立っていた。
おっさん、ハイランドの使者なんだって?」
「…………っ!!」

  ――――――ごんっ。

「いってぇ!なにすんだよっ」
「馬鹿シーナ、少しはおとなしくしてろ!クルガン、俺が船着場まで送るよ。ああ足元に気をつけてな」
 クルガンの忍耐が限界を超える寸前にシーナの頭に鉄拳を食らわせたのは、何度となく戦場で刃を交えたことのある、青雷と呼ばれる同盟軍の将であった。
 船着場までの道程、彼はクルガンに対して、それはそれは親切だった。足元の定まらないクルガンを支え、多くは語らず、そして船に乗り込もうとする彼に上等の酒を持たせた。
「土産だ、受け取ってくれ。うちのリーダーに付き合って城の中連れまわされたんだって?苦労をかけてすまなかったな。……飲みすぎるなよ」
 何かしら通じ合うものがあったのか、確かな同情のまなざしを向けていた。


 


HimmelgartenのKAYちゃんと盛り上がって作ったお話。
…私、クルガン好きですよ?
どうして私が書くと情けなくなってゆくのでしょう。
後日談を読みますか?




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