ある天気の良い昼下がり。赤・青騎士団長両名は食堂で少し遅めの昼食をとっていた。
生真面目な調子で礼儀正しく皿の上の料理を片付けていくマイクロトフと、優雅な動作でお茶のカップを口元に運ぶカミュー。互いに個性的ではありながらもその端正な顔立ちとストイックで洗練された衣装や振舞いに、城内においては女性ファンからの熱い視線が絶えたことはない。
ところが、カミューの目が突然食堂の入口に釘付けにされたかと思うと、彼は椅子を蹴立てて立ち上がった。
「ご、ご馳走さま。私は先に失礼するよ、マイクロトフ」
「カミュー?……まだ料理が残っているが、いいのか?」
マイクロトフが声をかけるのも耳に入らない様子で、カミューはそそくさと人ごみをぬって消えてしまった。マイクロトフが怪訝に思いながらカミューが見ていた先に目をやってみると、この城の主とその義姉がおり、自分に気付いて嬉しそうに近づいてきた。
「マイクロトフさんこんにちは!今お昼ご飯なんですか?」
「あのぅ、相席しても良いですか?」
食堂の机は利用者がいつでも満足できるほど多くない。お互いの交流にもなるし、知り合いならばなるべく相席するのが常である。
「もちろんですユーナクリフ殿、ナナミ殿。俺でよろしければ」
マイクロトフは心から頷いた。明るく屈託のないこの姉弟に好感を持っていたし、この軍主を自らの誇りと剣を賭ける相手として敬愛しているからである。
ユーナクリフがいくつかの皿をテーブルに並べ、ナナミが抱えていた鍋や重箱からよそってゆく。ナナミが義弟のためによく料理を作っているのは城内では有名な話。ユーナクリフも義姉の作るものがいちばん好きだと公言して憚らない。それは傍から見ていれば仲の良い姉弟の、大変微笑ましい光景であった。
しかしマイクロトフは知らなかったのだ。その光景を、周囲の人間達が青ざめた顔で遠巻きに見守っていることを。
「マイクロトフさんはカミューさんと一緒じゃなかったんですか?」
「ええ、先刻まではカミューもそこにいたのですが」
肯定すると、ユーナクリフは表情を曇らせた。
「……実はこの頃、食堂でカミューさんに会わない気がするんです」
「そういえばそうよね。前はそうでもなかったのに」
ナナミも首を傾げている。
「……ひょっとして僕、避けられてる?」
「そんなことは―――」
ない、とマイクロトフは言いたかったが、先程のカミューの慌てた様子を思い出して口を噤んだ。まさかとは思うのだが、否定はしきれない。ユーナクリフは小さく溜息をついた。
「どうしたんだろ、カミューさん……」
はっきり言ってしまえば、カミューはユーナクリフを避けている。いや、ユーナクリフとナナミの姉弟を避けているのである。
カミューにとってナナミはトラウマの元であった。彼女の料理を食べてとんでもない目にあった経験があるからだ。それでもカミューがまだこの姉弟の危険性を甘く見ていた頃。マイクロトフとともに昼食をとっていた彼は姉弟と相席して食事をするという羽目に陥った(機会に恵まれたとは、とても言えたものではない)
とはいえ、カミューとて彼らが嫌いだと言うわけではないのだ。どちらかといえばマイクロトフと同じ理由で好感を抱いている。
「ここ、相席いいですか?」
「もちろんですよ。どうぞ」
つまりはナナミの料理を口に入れさえしなければ良いのだ。内心でそう結論付け、カミューはにこやかに空いている席を勧めた。
周囲が恐々として眺めているのも気に留めず、ナナミはいつものようにお手製の料理を並べ、ユーナクリフはいつものようにそれに手をつけた。
「今日は新しいメニューに挑戦してみたのよ。どう?」
「うん、おいしいよナナミ」
「相変わらず仲がよろしいですね」
机の上の料理さえ視界の外に追いやってしまえば、これほどほのぼのと微笑ましい光景はない。カミューは優しい瞳で姉弟を見守りながらこの時間を過ごす……つもりだった。カミューひとりだったならば、成功していたかもしれない。
ユーナクリフは本当に美味しそうに食べる。その笑顔は、他人までがつい引き込まれて微笑んでしまうような笑顔だった。
「ユーナクリフ殿はナナミ殿の料理がいちばんお好きだそうですね」
穏やかな笑みを口元に浮かべたマイクロトフの言葉にカミューは凍りついた。照れくさそうにナナミと顔を見合わせたユーナクリフは、けれど嬉しそうに頷く。
「だって、ナナミが僕のために一生懸命作ってくれてるし……」
確かに愛情はたっぷりだが。
「なにより、おいしいから。こんな時だから食べるものがあるだけでも良いことなんだろうけど、美味しいものを食べられるのってすごく嬉しいことですよね。そう思いませんか?」
生真面目な問いに、青騎士団長は生真面目に答えた。
「俺は、料理の良し悪しというのはよく分かりませんが……栄養をきちんと取るのが良いのではないかと思います」
「栄養満点です!身体にいいものいっぱい入れてるもん!」
ナナミは胸を張ってみせた。指を折ってひとつひとつ挙げられる材料に、カミューはだんだん青ざめていったが、マイクロトフは頭の中で栄養素を計算しながらこくこくと頷いている。
「確かに栄養たっぷりですね」
「それに美味しいんですよ。でもね、どうやら僕、味オンチらしいんです……」
いまだ材料を挙げているナナミに聞こえないよう、ユーナクリフは言葉尻を小さくした。
「そうなのですか……?」
「みんな変だって言うんですよ。美味しいと思うのに……食べてみます?」
「はあ」
危険な展開にカミューは慌ててマイクロトフを遮った。
「い、いえ、しかし、ユーナクリフ殿が今召し上がっているものを頂くわけには……そ、育ち盛りですし、たくさん召し上がってください」
「大丈夫!まだいーっぱいあるの。作りすぎちゃって……よかったらカミューさんも食べてくださいね」
ナナミはどん!と大きな鍋を机の端に置いて見せた。……大墓穴であった。
「ナナミ殿、これはリゾット……に見えますが」
「リゾットですよ〜」
さっき挙げられた材料から考えるととてもリゾットなどと呼べたシロモノではないと思うのだが。
ここまできたらもう断れない。
カミューは昔から要領の良さを活かして世間の荒波を渡ってきた。その外ヅラの良さは筋金入りである。おまけに騎士道などという一歩間違えればセクハラになりかねない道徳体系を掲げる集団の長を務めるからには、主君への礼儀を欠くなどとんでもないし、つまらないことでレディを悲しませるわけにはいかない。
「頼むから、食事時だけは近づかないでくれ」
「おまえの舌は特別製なんだ」
「危険物」
「俺も命は惜しいからな」
等々、城内の口の悪い連中は散々なことを言っているが、そんなことはカミューにはできない。良すぎる外ヅラが仇になった瞬間であった。言ったところで味オンチを自覚しているユーナクリフにはどうということもないのだが。
「ナナミは大雑把なのが問題だよ。すぐ作りすぎちゃうんだから。さすがに僕だってこんなに食べられないよ」
「うー……だって身体にいいもの色々入れてるとね、つい……」
ユーナクリフは机にある空になった皿をてきぱきと片付け、持ってきた新しい皿に盛り付け始める。料理勝負で鍛えられた感心してしまうほどの手際の良さが、今のカミューには悪夢のようだ。
そして気がついたら、机の上には新しい皿がふたつ増えていた。
渡されたスプーンを手に身動きできないでいるカミューの隣で、マイクロトフは頭を下げた。
「では、いただきます」
カミューが止める言葉を思いつけないでいる間に、マイクロトフはぱくりとひと口食べてしまった。 しかし驚いたことに、彼はそのままぱくぱくと食べ進め、もともと少なめに盛られていた皿は見る間に空になってしまったのである。
ナナミが目を丸くしている。
「わ、わ、全部食べてくれたんですね!ご飯も食べてたのに」
「御馳走されたものは残さず食べろ、というのが家訓でして。しかしさすがに満腹です」
マイクロトフは苦笑して立ち上がった。
「長居してしまったな、カミュー。俺は先に部屋に戻っているから、おまえも食べ終わったら早く来いよ。午後の訓練もあるからな」
「あ……ああ……」
呆然と言葉を返すカミューを置いて、マイクロトフは食堂を後にした。
カミューは手許の皿を凝視した。
ひょっとして、今回は……今回こそは奇跡的に食べられるものができたのだろうか。
目を上げてみればナナミの期待に満ちた瞳。
カミューは意を決してスプーンを口に運んだ。
その午後、青騎士たちは混乱していた。
「どうした!!かかってこないか!」
青騎士団長はいつものようにダンスニーを振りながら熱く激を飛ばしている。
「そこ、腰が入っていない!!」
ただし、壁を相手に。
「だ、団長それは壁ですっ!どうしちゃったんですか〜っ!?」
「壁に腰はありません、団長!!」
「誰かホウアン先生を呼んで来い!早く!」
青騎士たちは必死にマイクロトフを押し止めている。
「まだまだ!足さばきが悪いぞ!!」
「壁に足はありません、団長〜っ」
そこへホウアン医師を呼びに行った青騎士が転がるようにして戻ってきた。
「ホウアン先生はまだかっ!?」
「そ、それが、食堂でカミュー様が倒れられたとかで……赤騎士団の方も大混乱ですーーっ!!」
……マイクロトフには幸か不幸か、その日の記憶がなかった。
散々暴れまわってぶっ倒れた後、翌朝スッキリとした顔で目覚めてきた彼は、記憶がないことに首を捻りながら酒でも過ごしたのかと思い、おまけに隣のベッドでうなされるカミューに宿酔いかと顔をしかめ、深酒は控えようと見当違いの結論を出した。
それ以来カミューは、食事時になるとユーナクリフとナナミから逃げ回っているのである。
「カミューさんに何か、嫌われるようなことでもしたかなぁ……」
「そんなことはないですっ」
肩を落とすユーナクリフに、これはカミューに注意しておかなければ、とマイクロトフは拳を固めている。その机の周囲ではカミューへの同情のまなざしが大量生産されていた。
軍内の多くの者が同じ罠に陥ったことがある、などという事実は彼にとってなんの慰めにもなるまい。
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