街の中心部にある市場から帰る道。並んで歩く少年たちの後ろから生ぬるく湿っぽい風が通り抜ける。 今日は体調が優れないと言うナナミを宿に置いて買い物に出たのだが、降りそうで降らない天気に気分もすっきりせず、なんとなく会話が弾まないままに道を辿る。 今までは会話がなくても気にもしなかったのに。 ユーナクリフはぼんやりと隣で揺れる金の髪に留めていた目を前に戻した。 夕食の買出しにはまだ少し早い時間だ。人がまばらに行き交う道でリンゴをいっぱいに詰めた袋を抱えて歩く同年代くらいの少女を、危なっかしいと思った。その直後。 道を横切ろうとしたその少女が、突然べたんとすっ転んだ。 「あ、ああ〜……あららぁ……」 散らばったリンゴを拾い集めようとはするがいかにもとろくさそうで、ユーナクリフとジョウイは一瞬呆気に取られ、それから近くまで転がってきたリンゴから拾い始めた。少女が恥ずかしそうにぺこりと頭を下げたが、その途端にまたころりと腕からひとつ転がり落ちる。ジョウイは思わず苦笑してそれも拾い上げた。 「す、すみません〜。ご親切にどうも……」 「これで……全部かな?」 他に落ちていないのを確認してジョウイは少女の袋にリンゴを戻した。 「はい。気をつけてね、可愛い顔に傷でもついたら大変だもの」 ユーナクリフが愛想よくにっこり笑って、おまけにウィンクまでつけて最後のリンゴを渡すと、少女は薄く頬を染めて可笑しそうに肩を震わせた。 「ふふ、ありがと。おだてたって何にも出ないけど、拾ってくれたお礼なら出るわよ」 そう言って落としたものを避けてリンゴを2つ、ユーナクリフの手に納める。 「お友達と一緒に食べてね」 少女がすぐそこの角を曲がるまで見送って、ユーナクリフは一方のリンゴを隣に立つ幼馴染に渡した。ジョウイは複雑な表情でそれを受け取った。熟したリンゴの甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。 「よく恥ずかしくないよな……」 「なにが?」 ユーナクリフは、分かっていながらもわざと訊き返した。 「女の子を見ると口説かずにいられないって言うのかい?」 予想通りの言葉に、にやりと笑ってみせる。それが彼の悪癖だとジョウイは思っているのだ。キャロでは特にそんなことはなかったが、ごくたまに他の街に行ったときや同盟領に行ってからはジョウイの知る限りでもリィナやミリーなど、機会あるごとに女の子に愛想を振りまいていたものだったし、戦争が終りこうしてナナミも含めて三人で旅をするようになってからも変わらない。 「そういえば同盟軍には女性も多かったらしいけど、君のことだから片っ端から口説いて回ったんじゃないのかい」 「なんでわかるの、ジョウイ?」 「あのなぁ……」 いや、それどころかグレードアップしている。 ジョウイは呆れた顔で天を仰いだ。 「可愛い女の子を口説かないのは男の義務を果たしていないらしいよ」 しれっと返すのは某国大統領の放蕩息子からの受け売りだ。 「可愛いかどうかなんて気にしてるように見えないけど」 「女の子はすべからく可愛いもんなの。でもジョウイはやらない方がいいかも」 「どうして?」 「その顔でやったらシャレにならないからさ」 「…………」 なんと返したらよいものか決めかねて、ジョウイは黙り込んでしまった。ユーナクリフも、なるべく冗談に聞こえるように口調を作る自分にざらりとしたものを感じて、なんとなく後を続けられずにジョウイの先に立って歩いた。 少女から貰ったリンゴは、二つともそのまま。 やがてジョウイは顔をしかめてぼそりと呟いた。 「……シャレでやってるのか」 「なんでそういうとこ気にするかなあ……」 どうやらこのお堅い幼馴染はまた妙なところに引っかかったらしい。 ユーナクリフとしてはあまり突っ込まれたくないところなので、ついうんざりした声になってしまう。それをどう取ったのか、ジョウイはじとりとした目を向けてきた。 「僕としては君が女性の恨みを買うのは喜ばしくないと思っているだけさ」 「いいじゃん、どうせ本気にされてないんだから」 大抵は「口が上手いのね」とかただ「ありがとう」とか言われて適当にあしらわれてしまうし、わざと軽い態度を取って、そうなるように仕向けているのだ。 「だけど万が一ってこともあるだろう?」 答える代わりに、ユーナクリフは自分の持っているリンゴをジョウイに投げる。突然飛んできたリンゴをジョウイが慌てて受け取るのを横目に芝居がかった動作でおどけてみせた。 「なんだよジョウイ、やきもちでもやいてんの?心配ないって、僕の一生の恋は君だけさっ」 大仰な身振りで抱きしめる振りをしてみせると、ジョウイは一瞬言葉を呑み込んだように見えたがすぐに呆れた顔で笑ってユーナクリフの額を軽く弾いた。 「……バカなこと言ってんなよ。前言撤回する、百万が一にもこんなのに騙される娘なんかいる訳がなかった」 「いて。ひっどいなぁ、こぉ〜んなに愛してるのに」 ふざけた声を上げればジョウイも吹き出して、そのままじゃれあうようにこづきあいながら宿に駆け込んだ。 ……かすかに遠雷が鳴っていた。
◆◆◆
夜になってから降り出した雨が窓の向こうをカーテンのように覆っている。 「ジョウイ…寝てる?」 そっと声をかけたが返事がない。 夕食の後に他愛のない会話をしていたのだが、ジョウイは急に頭が痛いと言い出してベッドにもぐりこんでしまったのだ。ユーナクリフは間を持て余してしばらく雨を眺めていたが、あんまり静かなので不安になって覗き込むと、白い顔がかすかな寝息を立てていた。 思わず長い溜息が洩れてしまう。 旅を始めてから、お互いに情緒不安定だ。 (無理もないよな―――) 今のこの関係はとても不自然だから。 表面上は仲が良く見えるだろうけれど。お互いの気に入らないところを非難したり、文句を言ったり、喧嘩したり……以前なら簡単にできたことに、ひどく気を使う。 言ってはいけない言葉があるから。 言わせてはいけない言葉があるから。 三人で、笑い合っていたわり合って、身を寄せ合って時間を過ごす。そんな関係は同じでも。 (僕たちは……以前と同じじゃないんだよ) もう一度ジョウイの寝息を確認して自分のベッドを振り向くと、机の上のリンゴが目に入った。 紅くて丸い、甘い果実。 結局ひとつをナナミに持って行き、もうひとつは半分に割ってジョウイと分けることにしたのだが、なぜか二人とも今日は食べる気にならなくて机の上に置いてある。 ユーナクリフはそれを指先でつついてみた。 「口先の言葉で誰でも振り向いてくれるっていうんなら、口説いたりなんかしないけどね」 昔から女の子に声をかけているとジョウイはいい顔をしなかったのだが、それはそれで楽しかったのだ。仲の良い友達に恋人ができることを、素直に心から祝福することが意外と難しいことを知っているから。故郷にいた頃よく女の子からジョウイへの手紙の橋渡しを頼まれていたユーナクリフの、ささやかな意趣返しのつもりで。 だけどそんな幼い意地悪も、今では空回りして苦しい。 女の子たちは可愛いし、優しくてきれいで強い。そんな彼女たちがとても好きだ。恋人にできたらきっと楽しくて気持ち良いだろうとも思うけれど。 誰にしたってシャレ以外の何かで口説けるものか。ジョウイの前で。 本気にされたら?されたら何だと言うのだ。 イライラした気分のままに乱暴にブーツを脱いで灯りを消し、ベッドに身体を投げ出す。くぐもった呟きは柔らかい枕に吸い込まれた。 「どうせ……君だって本気にしてくれないんじゃないか……」 笑い飛ばされる直前に、ジョウイの瞳に濃い色がよぎったと思ったのは、きっと期待しすぎる自分の錯覚だ。 別に彼が悪いわけじゃない。『親友』だとか『幼馴染』なんて位置で満足できなくなってしまったのは自分の方。変わってしまった気持ちで昔のままになんて振舞えるわけもないのに。それでも慣れた心地よい関係を崩すのは恐ろしすぎるから、変わってしまったことを不自然に隠し続ける。 気づかないで。 気づかないで。 ……だけど。 「―――嫉妬くらいしてくれたっていいだろ」 無理やり目を閉じてもリンゴの甘い匂いばかりが鼻につく。 安らかな眠りなんか得たいとも思わなかった。 |