夢のあとさき



 
 
 
 
 
 
 


 シードは柱に寄りかかり、回廊の手摺に腰掛けて中庭を見下ろしていた。
「閑散としてるよなぁ――――……」
 訓練場もあるはずの中庭は人っ子ひとり見当たらない。
 早朝のこ憎たらしいくらいに青く晴れた空で、まだ低い太陽が格式ばった壮麗な城壁を照らしている。
 回廊をコツコツと硬い音が近づいてきて、聞き慣れた低い声が自分の名前を呼ぶ。シードは振り向きもせずに靴音が自分のすぐ隣で止まるのを待った。
「おまえのところ、どれくらい残ってるんだ?」
「さあな。城内に配置だけはしたが、残りたい者が残っているのだろう」 
 感情のこもらない声でクルガンは答えた。
「は、おまえらしくもね。いつもはいらねぇくらい几帳面なくせに」
 別に几帳面だとかいう問題ではなく、クルガンとしては軍団長の義務として自分が指揮する軍の人員くらい把握しておく必要があるのだという考えだった。おまえが大雑把なだけだろう、とは思いながらも沈黙しておく。
 脱走兵が相次ぐ中で残存兵力など数える気にもならなくなっている。本来なら軍務の放棄は重罪だが、元より軍のトップである皇王が何も言わない。今や黙認されている状態だ。
 先日の戦で、ユーバーの軍までが消えた。手前勝手な戦線離脱は残った軍の士気にも大きく影響した。
 敵軍に包囲された都の、束の間の静寂。
 もうすぐこの城には同盟軍のリーダー以下数万の兵が踏み込んでくる。
 残っている兵だけでこの城が守れたとしたら、それは奇跡と呼ばれるだろう。
「逃げたいヤツは逃げればいいさ。まだ可愛いもんだぜ。自分は何もしなかったくせして勝手に期待して勝手に幻滅して、挙句あの方を無能呼ばわりするヤツもいるんだからな。そんなのはこっちから願い下げだ」
 吐き捨てるように呟く赤毛の肩越しに空を見上げ、クルガンは特に何ということもなく、ふと思いついた疑問を口に乗せた。
「シード。おまえ、子供の頃の夢は何だった」
 唐突な話題にシードは首を巡らせてクルガンを見た。
「俺は小さい頃から軍団長になりたかった。やっぱさ、こう……男なら誰でも一度は憧れるよな、将軍って呼ばれるの。こんな形で叶うとは思わなかったけど」
 懐かしいという感情が今この時に笑いさえ誘う。
「おまえはどうなんだよ?」
「俺か?……そうだな。強いて言うならそれなりに出世してそれなりに稼いで老後は安泰、というのが夢だったんだが」
「なんだそりゃ、辛気臭いぞ。しかも全然叶ってねえじゃんか」
 この男ときたら、自分と共に一気にここまで駆け上ってきたのではなかったか。いつの間にやら同じ道を歩くことが当然のようになってしまっていたが、かなり波乱万丈な人生を送っていると思う。
「まったくだな。それが許されない時代に生まれたのだから仕方がない。だがこれはこれで、それなりに面白い。悪くはなかろう」
 しれっとした態度で片眉を上げてみせる黒衣の将軍に、シードはにやりと口の端を上げた。
「そろそろ行くか」
「ああ、そうだな」
 手摺から降りて相棒の隣に並び、城の奥へと進む。
 ハーン・カニンガムの部下や自分たちの部下、何人もの兵とすれ違う。蒼ざめた顔で敬礼を送るものや驚くほど陽気に声をかけてくる者、それぞれに残った理由も様々だろうが見せる態度も様々で、進むにつれてシードは不思議なほどに戦意が湧き上がってきた。
「守りきれるかもな」
「そう思うか」
「思わなきゃ守れねェよ。同盟軍の奴らなんか蹴倒してやらぁ」
 回廊には陽光が射し込み、アーチを美しく照らし出している。
 シードは王の間に足を踏み入れ、そこにまだジョウイがいることにぎょっとした。ジョウイはジルやピリカと共にもう逃げ出しているはずだったのだ。
 そのジョウイはと言えば二人の姿を見て同じくらいに驚いていた。
「シード、クルガン……まだ逃げていなかったのか!?」
 この状況であまりにもとんまなことを言われ、シードは怒るよりも先に呆れてしまった。クルガンもやれやれと天を仰いでいる。
「何言ってるんですかジョウイ様。貴方こそ早く逃げてくださいよ」
「僕はこの国の王だ。逃げるわけにはいかない」
 ジョウイはむっとした様子できっぱりと言い放った。
「皇王として、僕は責任を果たさなくては……だけど貴方たちの命まで無駄に散らす必要はない。投降すれば同盟軍は受け入れるだろうし、それが屈辱だと思うのならここから隠し通路を通れば城の外に出られる。貴方たちくらいの才覚があればどこでだって生きていけるだろう……逃げて欲しいんだ」
「それはできません」
 なんのてらいもなく拒否するクルガンにジョウイは一瞬怯んだが、彼を睨みつけて殊更低い声を出してみせた。
「……皇王の命令でも?」
 クルガンは表情ひとつ変えずにジョウイに歩み寄ると、その細い腰を引き寄せた。
「失礼します、ジョウイ様」
「なっ……!?」
 もがくジョウイを長い腕で押さえつけ、感心して口笛など吹いているシードを一瞥する。
「さっさと動け」
「はいはい」
 シードは後ろから近づいて、皇王の上着を剥ぎ取ってしまった。上等な白い布地が王座に投げかけられ、ようやくジョウイは背の高い銀髪の将軍から解放された。
「これで貴方はもう皇王ではありません。私たちが命令に従う謂れはない」
「軍務に就くような歳ですらねぇよな。俺たちより十も年下のただの坊やだ」
 軍人ですらないのだから命令系統からは完全に外れる、とシードはにやにや笑っている。クルガンはゆっくりと繰り返した。
「逃げてください」
「なぜそんなことができる……!」
 ジョウイはかっとなって叫んだ。
「この城は陥ちる。この国は滅びるんだ。たくさんの命を犠牲にして……そしてその結果を導いたのはこの僕だ!そうだろう!?どうして逃げることなんてできるんだ!」
 反対にクルガンは静かな調子を崩さなかった。
「はじめから知っていました。貴方の求めるものが、私たちとは違うということを」
 グリンヒルの抜け道で、敵国の軍を率いる幼馴染の少年に語りかけていた年若い指揮官。
 ハイランドの勝利が欲しかったのではなく……恒久の平和を。
 大切な人たちを、ただ守りたくて。
「そうだ。そのために僕は……この国を利用して、君たちを利用して……!」
「そんなのお互い様じゃないですか。俺たちは俺たちでこの国を守りたくて、ルカ・ブライトを抑えて俺たちを導いてくれる人が必要で、そのために貴方を利用したんですから」
 食い違っていくことを知っていながら、運命を彼に委ねつづけた。
「貴方は切れ者だが、その甘さが命取りだ。……しかし私はその甘さが―――嫌いではありませんよ」
 滅多にないクルガンの感情的な言葉に虚を突かれ、見上げてくる顔が歳相応の幼い表情になる。
 優しさを甘さというのなら、それを許すことができなかった。
 これが自分たちなりの責任の取り方なのだ。
 ジョウイは王座に投げ出された白い上着を穴が空くほど凝視していた。
 最後の……最期に、あの地で約束を果たすことが許されるというのか。
 最期の一瞬に、彼と……彼の親友として相対することが。
 そんなのは夢だと。
 叶わぬ夢だと―――。
「さあジョウイ様、行ってください」
 振り向けば、いつものとおり陽気で不敵な笑みを浮かべるシードと、いつもどおりの仏頂面のくせにどこか和らいだ表情のクルガンがいる。
 瞳を伏せ、白くなるほど拳を握り締める。
「……シード、クルガン。すまない…………ありがとう。どうか無事で」
 叶うはずがないと分かっていても、願わずにいられないことがある。
 ジョウイは涙がこぼれないように唇を噛み締めて隠し通路の入口へ向かった。
 もう一度だけ振り返り、そして身を翻す。
 その背中が消えるまで見送って、残されたハイランドの二人の将軍は顔を見合わせ、光射す回廊に向けて歩き出した。
 白い壁に硬い靴音がいつもより反響して聞こえる。
「守りきれるかもしれないな」
「そう思うか?」
「思わなければ守れないといったのはおまえだろう」
「なあクルガン、国ってなんだろうな」
「皇王でないことは確かだ。少なくとも俺にとっては」
 愛する祖国を守る、その誇り。
 ハイランドのために戦っていたひとりの少年が、生き延びていてくれたらいいと思う。
 アーチの向こうから射す太陽の光に目を細める。
 大きく深呼吸して、シードは相棒の肩をひとつ叩いた。
「良い天気だな」
 クルガンは口の端を持ち上げて同じ方向に視線を向けた。
 いつもどおりの歩幅で歩き、いつもどおりのよく通る低い声を響かせる。
「ああ。清々しい、良い天気だ」
 雲ひとつない青い空だった。
 
 
 
 
 
 
 
 

 


 後書きというか言い訳というか…
 心の広さに自信がない方は、読まないほうがいいと思います…

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