部屋中に漂う甘い香り。
そろそろうんざりしてきたのだが、後少しなのだから頑張ろうと思う。
「ユノ、まだ苺を切るかい?」
「いや、いいんじゃないかな。じゃあ生クリーム泡立てようか」
そう言いながら、ユーナクリフは残った苺を口に放り込んだ。
「こら……」
つまみ食いを軽く咎めるといたずらっぽく笑い声を立てる。
「美味しいよ、ジョウイもほら」
もうひとつつまみあげた苺が押し入れられ、口内に甘酸っぱさが広がる。
ナナミもユーナクリフも本当の誕生日は分からないが、ゲンカク師匠に引き取られた日を誕生日と呼んでいる。新しく家族が増えた日、ということで。だから彼らにとっても、そして僕にとっても、とても大切な日なのだ。
そのナナミの誕生日に、僕らは宿の台所を借りてケーキを作ることにした。
本人には出来上がるまでのお楽しみということで、ナナミは夕方まで街のあちこちを見物しに行っている。
スポンジは既に焼き上げた。僕は手伝っていただけでほとんどユーナクリフが取り仕切ったんだけど、あんまり手際がよいので驚いていたら少し照れくさそうにこう言っていた。
「同盟軍にいたときにね、暇なときにはレストランの手伝いしていたんだ。レシピを覚えている分だけなら今でも作れそうだと思って」
それでうまくいったのかどうか、実はよく分からないが、まあ多少失敗してもおそらく大丈夫だろう……この姉弟なら。
僕はといえば元々甘いものが苦手なので、この際砂糖と塩を間違えたとか、そういう根本的な失敗でさえなければそんなに変わりはない―――ということにしておきたい。
果物も用意したし、後は飾りつけだけ。
しかしテーブルに置かれたカップにはなみなみとクリームが注がれているのを見て、僕は首を傾げた。
「……これ、全部泡立てるのかい?」
こんなにあっても余るだけだと思うけど。
「これじゃボウル二つくらいになるよ」
「えっ……」
案の定ユーナクリフは困って手を止めた。泡立てれば体積が増えるってこと、考えていなかったな。
「そ、そっか。ナナミはこういうの好きだから、多めにと思ったんだけど」
僕はお菓子作りは初めてだけど、昔アトレイド家の屋敷で台所を覗いたときに印象に残っていたんだ。とは言え、料理が得意なわけではないので、余った生クリームの使い途なんていまいち分からないのが問題だ。
「うーん、クリームを厚く塗って……スポンジの真ん中をくりぬけばたくさん詰められるし、余った分は適当に何とかしよう。苺を潰して混ぜたり、ココアに入れたりするの好きだろう?」
提案するとぱっと顔を輝かせる。こんな風によく動く表情がとても可愛いと思うから、つい彼に対して甘くなってしまうんだよな。
生クリームを半分に分けて二つのボウルに入れ、僕たちはひとりにひとつボウルを持って泡立て始めた。カシャカシャとリズミカルに泡立て器がボウルに当たる。
同盟軍で鍛えられたと言うだけあって、さすがにユーナクリフの手つきは堂に入ったものだ。これでもっと多くのレシピを暗記していて、ついでに味オンチでさえなければ料理で身を立てることくらいできるかもしれないのに。もったいない。
だいぶ泡立ってきたかと思ってユーナクリフに訊くと泡立て器ですくい上げるようにした。
「もうちょっと。こうやって持ち上げたときに角が立つくらいまで泡立てるんだよ」
「へぇ……」
確かに持ち上げられたクリームの先はまだくにゃりとしていてすぐに溶けこんでしまう。泡立て器からもぼたぼたと半液体状になって落ちてくる。
ユーナクリフはしばらくそれを眺めていたかと思うと、ふと手元のボウルに目を落として思案げな顔をした。
……嫌な気配だ。
「ねえ、ジョウイ」
「やだよ」
即答。
「まだ何も言ってないじゃんか……」
文句を封じて横目で睨みつけてやる。
「どうせそれを使って妙な遊びをしようとでも思ったんだろう」
「わかってんならやろうよ?」
「だから嫌だって」
わざとつれなくあしらうと、ユーナクリフは下から見上げるような視線を向けてきた。
僕は内心で溜息をついた。まったくこいつは、僕がその顔に弱いって分かっててやっているのかな。つい頷いてしまいそうになる自分を押さえつける。内容を考えろ、内容を。
「だってさ、こういうのってお約束だろ。男の夢ってやつ」
男の夢ねぇ。まあ……わからないでもないけど。一体どこでそんな知識を仕入れてきたんだ?ユニコーン隊にいた時だって、同僚の少年たちがこっそりと持っていたきわどい絵や話題からはなるべく遠ざけるようにしていたのに。
「何も実際にやらなくても―――と言うか君、それを僕にかける気で言ってるね」
「え?だめ?」
ごめんこうむりたい。男の夢、それは否定しないけど、男の僕にそんな格好をさせて何が嬉しいって言うんだろう。空しくないのか?僕だって恥ずかしいし。後片付けのことまで考えると余計に嫌だ。
「……そうだね、君にクリームをかけるなら話は別だよ?」
にやりと笑ってみせたらユーナクリフはうっと言葉に詰まって後ずさった。ざまをみろ。大体、ここのところはつい向こうの勢いに負けて好き勝手やられているけど、僕だって……その、そう、男なんだよ。僕だって。
しかるに、僕にだって夢を見る権利くらいあるんじゃないだろうか!
隣を盗み見ると、ユーナクリフは憤懣をぶつけるように乱暴に泡立て器を動かしている。僕は自分の想像に(いや、こういうのは妄想っていうんだ)些か情けなくなってしまった。
そうか。結局のところ、どっちもどっちなのかもしれないな。
ユーナクリフに生クリーム。
うん……ちょっとそそるかもしれない。
つらつらと想像の世界に浸っていたら、突然なにか冷たくて白いものが顔にかけられた。
◆◆◆
間抜けた音を立てて、ボウルが床に落ちた。
「……あっ……」
「………………」
僕が凍りついているとジョウイはゆっくりとこっちを見た。顔は生クリームで真っ白。そこから重みで垂れた分が胸元に滴っている。
「………………ご、ごめっ……」
「……わざとやったのかい?」
声は静かだけれど、普段より一段低い。
うわぁ、怒ってる。怒ってるよ。
僕は思い切り首を左右に振った。本当にただ手が滑っただけなんだってば!ちょっと泡立てる手に力を入れすぎて……。
そりゃあ、ジョウイにかけてみたいって思っていたことは事実だけど。
事実だけど……さ。
本当にかけちゃったよ、どうしよう。やばい。ジョウイが嫌だって言うから諦めようかと思ったのに、今現実に目の前にはクリームまみれのジョウイがいる。
これはもう―――しょうがないよね!
僕は汚さないようスカーフを外して彼の手からボウルを奪い取ると、自分の頭上でひっくり返した。べしゃべしゃとやわらかく泡立てられたクリームが降ってくる。
突然の出来事にジョウイの怒りも吹っ飛んだらしい。
「ユノ!?」
「これでおあいこってことにしといて」
僕は大真面目に言ったんだけど。ジョウイはぽかんとして僕を見つめていたかと思うと、急に盛大な溜息をついた。
「どうかした?」
「…………ちょっとね……期待と幻滅の関係性について……」
額を押さえて豊かすぎる想像力がどうとかぶつぶつと呟いている。……何を考えているんだか、僕にも大体わかる。
常々思うんだけど、ジョウイって僕に対して夢見すぎだよね。三つも四つも歳の離れたお姫様で儚げな美少女だとでも思っているんじゃないだろうか。
その上肝心なところで醒めちゃうんだから、まったく損な性分だ。
こういうときの愉しみ方を僕が教えてあげなくちゃ。同盟軍にいる間、伊達に色々聞かされてないんだから。
僕は腕を回してジョウイの顔をこちらに向けさせ、唇についていたクリームを舐め取った。
「甘いね……でも」
「こ、こらユノっ!……んっ……」
抗議なんてしようとするから、簡単に舌を入れられる。腕の中で離れようともがくけれど逃がしてなんかやらない。欲しいだけ掻き回して吸い上げた。
「クリームよりもこっちの方が甘いよね」
上気して薄桃色に染まった頬に白いクリームが纏わりついていて、なんだかとても淫猥な雰囲気だ。僕は全部舐めまわしたい衝動に駆られた。
「ユノ!嫌だって……!」
「だから僕もかぶったよ。それならいいんだろう?」
ジョウイは呆気に取られてぱくぱくと口だけを動かした。まさかそうくるとは思っていなかったんだろう。
僕がジョウイの上着を引っ張りあげると、彼は押された形になってテーブルに寄りかかった。晒された肌にクリームをなすりつけてやる。
ジョウイの身体はどこもかしこも甘くて美味しそう。ケーキよりもずっと。
「そんなわけないだろ……っ」
「本当だよ」
白い肌は砂糖菓子に似て、長い髪は蜂蜜の色。唇は透きとおったクランベリーみたいだし、ちらりと覗く赤い舌は苺みたい。
クリームにまみれた胸に飾られているのはさくらんぼ……口に含めば、びくりと震えて小さく声が上がる。
こんなに甘いのに、本人が甘いもの苦手なんて不思議なくらいだ。
「はっ……や……ッ……」
腰のサッシュに手が届く頃には、抵抗はもう言葉だけになっていた。服の上からでも形を変え始めているのが分かる。
「こっちはもちろんバナ……」
「馬鹿なことばっかり言うなっ!!」
……そんなに潤んだ瞳で睨みつけられても、余計に扇情的なだけなんだけどね。
本当に食べてしまいたいくらい。全部融け合うってそういうこと?
「うあ、ァッ……」
生クリームと唾液とジョウイから溢れた蜜でぐしょぐしょになっているそこを探るようにかき混ぜる。跳ね上がった膝が落ちる前に身体を滑り込ませると、震える指が僕に縋りついてきた。
「……あ、ぁ……ユ……ッぅ、……」
「ジョウイ……ッ」
僕を呑み込んだジョウイ。
夢中で貪るうちにだんだん分からなくなってくる。
食べられているのは僕なのか、ジョウイなのか。
ただ何もかもが甘くて。
……甘くて。
……気が付いたら、ナナミが帰ってくる時間まであといくらもなかった。
もちろんジョウイには叱られて、後片付けは全部僕がやる羽目になった。身体中クリームでべとべとだし大変だ。
僕が部屋をきれいにしている間にジョウイはボウルに残った生クリームを必死にかき集めてスポンジに塗ったけれど、やはりかなり貧相なケーキになってしまった。仕方がないのでもともと余る予定だったフルーツを山ほど盛り付けた。
それでも大喜びしてくれるナナミに、さすがに気が咎める。
ごめんね……ナナミがいちばんお菓子とか生クリーム好きなのにな。
ふと、テーブル越しにジョウイと目が合う。すると彼がにっこり笑ってぱくりとケーキをひと口食べたので、僕はものすごく驚いた。
まだ怒っているのかと思ったのに。それにジョウイ、甘いもの苦手なはずなのに。
「おいしいよ。頑張って作った分だね」
ああその顔、反則だよ……
でもさすがに今夜はもう彼のベッドには入れてくれないだろう。
こっそりと溜息をつく僕の隣で、ナナミが上機嫌で力こぶを作ってみせた。
「今度はジョウイの誕生日よね!ナナミちゃんが腕によりをかけてケーキ作ってあげるから、期待してて!」
「…………う、うん……」
……が、頑張れ、ジョウイ。
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