そこは山間にある小さな村だった。
いや、村と言うよりは宿場と言った方が正しいだろう。街道沿いにほんの十軒くらいの宿や農家が建ち並んでいるだけだ。しかしここはこの街道を旅する者たちには密かに有名なのだという。それはこの村に温泉が湧くからだった。
山が宵の闇に包まれてしまってから、村の端にある宿の戸を叩く者があった。
雨に濡れたユーナクリフたち三人の少年少女。もう多くの人間が寝る支度を始めるくらいの遅い時間だというのに、宿の主人は快く三人を迎え入れてくれた。
山の麓にある街からは、朝に出発すれば夕暮れには着く位置にある。彼らも朝早くに出てきたのだが、昼頃から天候が崩れ始め、思ったよりも強い雨に木陰で様子をみているうちに遅くなってしまったのだ。
「そりゃ災難だったね。こんなに冷えて……早く風呂に入ってあったまっておいで」
「こんな時間に……いいんですか?」
親切にタオルを出してきてくれた主人は、ジョウイがすまなそうに尋ねたのに人の好い顔で笑ってみせた。
「こんな山の中だからね、お前さんたちみたいな飛び入りも少なくはないのさ。風呂は温泉を引いてあるから入ろうと思えばすぐに入れるよ」
そう言って送り出され、ナナミは歓声を上げた。
「露天風呂なんだって!すごーい」
遅い時間なので控えめにはしゃぎながら脱衣所に飛び込んでゆく。
ユーナクリフは脱衣所から風呂の様子を伺ってみた。露天とはいえ庇が伸びているので、雨に濡れる心配はなさそうだった。
「あ、混浴じゃないんだ。残念だったねジョウイ」
「なにがだよ、まったく……。混浴だったとしてもこんな時間に誰もこないよ」
ジョウイとしてはこの場合、混浴でない方がありがたい。きっとナナミが上がってくるまで寒い思いをしながら待つことになっただろうからだ。
そういえば、と服を脱ぎながらユーナクリフは思った。
フレイムウィング城の露天風呂でも混浴が楽しみの種になったことは、実はあまりなかった。
◆◆◆
「なぁんだ、露天じゃないんだぁ」
浴場に入った途端のトリスラントの発言はこれだった。
「トリスラントさん、そんなこと言っては……」
他人の城にケチをつけるとは、とフッチが眉をひそめる。ハンフリーはよほど良い教育をしたんだなぁとしみじみ思いつつトリスラントは言葉を繋いだ。
「いや、もちろんこれはこれで立派なお風呂だと思うけどね。でもやっぱり夢だと思うんだよ。アーク城にも欲しかったんだよなー混浴露天風呂」
「こっ混浴って……」
「……おまえこの三年間どこを回ってきたわけ?」
フッチは真っ赤になり、シーナは思わずツッコミを入れたが、答えが返る前にユーナクリフが意気込んで頷いた。
「そうですよね!やっぱり混浴露天ですよね!!」
美女揃いの同盟軍。
その中にあっては、やはり男の夢であったのだ。
……年頃の男の子が揃ってする話と言えば、いわゆる猥談と呼ばれる類のものである。
そんなわけで、混浴風呂からどんな女性とお風呂に入りたいか、という話題に発展し、そのうちにそれぞれの好みのタイプへと移っていた。
「で?君はどんなのがお好みなのかな?」
シーナの肉感的な話し方にフッチが真っ赤になってぶくぶくとお湯に沈んでいたりとか、トリスラントが年上好みだということが判明して周囲を驚かせたりする中でユーナクリフは急に水を差し向けられて慌てた。
「……ええぇ、えっと……か、髪は金髪とか……長い方が……好きかな」
「うんうん、それで?」
「色は薄めで……大人っぽく見えるけど可愛いとこもあって……努力家で、頭がよくて、でも実は結構意地っ張りだったりしてさ。すごく優しくて、いつも色んなこと考えてひとりで抱え込んじゃうけど、……」
話している間にだんだん具体的になってくるので、シーナは首を傾げた。
「誰かそういう相手でもいるのか?」
はっと気付くと他の三人から興味津々の視線が自分に注がれていて、ユーナクリフは顔を赤くする。
「え、えっ……あ、相手なんて……そんな、その……………………い、いるケド……」
「ええぇっ!!いるんですか!?」
「本当か!?」
フッチまで一緒になって目を丸くしている。自分に好きな相手がいることがそんなに意外なのかと憮然としていると、シーナはすっかり好奇心に火がついてしまったようだ。
「誰だよ、ここまできて言わないってことはないだろ?お前の好みで言うと……ま、まさかテレー……」
「ちっ違うよ!!」
ユーナクリフはちぎれんばかりに首を振って力いっぱい否定した。
そんなことが彼女のボディーガードの耳にでも入った日には彼の愛剣タランチュラが黙っちゃいないだろう。
「そうじゃなくて……その、僕の幼馴染なんだ……」
「ああ―――……」
納得した顔のトリスラントにシーナがくってかかる。
「トリスラント、誰だか知ってるのか?」
「まあね。僕も聞いたことがあるだけで直接は会ったことないけどさ」
「し、シーナの知らない人だよっ」
「なんだ、この城にはいないのか?」
ふとユーナクリフは視線を落とし、顎まで湯に沈んだ。
「……いないよ。小さい頃から仲が良くていつも一緒にいたけど、今は遠くにいる……」
恋人と離れてこの城に集った兵士も珍しくはない。シーナは淋しげな口調に降りた沈黙を、振り切るように努めて明るく言った。
「故郷にでも置いてきたのか。美人なんだろうな、ええ?」
「故郷……うん、そうだね」
ユーナクリフは口元で微笑み、遠くを見るまなざしで面影を思い浮かべた。
「すっごい美人だよ……いつも僕のことすごく心配してくれる」
「けっ、のろけやがって」
そう言いつつシーナの口調は優しい。
「早く戦争終らせような」
「うん……」
優しさを嬉しく思いながら、けれどユーナクリフの胸がずきりと痛む。だってその人は、この間―――。
(結婚……しちゃったんだけどね)
「戦争が終ったら一緒にお風呂にも入れますよ、きっと」
フッチも元気付けるつもりでいたずらっぽく言うと、途端にシーナとトリスラントが声を揃えた。
「「じゃあその前にぜひ混浴露天風呂を!」」
しかしユーナクリフは顔をしかめた。
「そうしたいのは山々だけど、まだダメです」
「まだ……って?」
「お金が足りないんです」
あまりに直接的な理由に、二人は口をふさがれる。
実は、風呂場の増築にまで軍の予算を回してはもらえないのだ。しかしユーナクリフは城内のお風呂好きに呼びかけて増築のために積み立て貯金をしていた。
「始めはドラム缶風呂だけだったけど、銭湯の風情には和風がいちばんっていうテツさんの意見でひのき風呂が作られて、その後は女性の意見が優先されてきたんです。少し豪華な感じにしてみたいとの要望で大理石風呂が建設され、サウナが欲しいとの要望に応えて次はジャングル風呂がもうすぐ着工されます」
ユーナクリフはお湯を跳ね上げて拳を突き出した。
「だけど次こそは我々の意見を通します!今度こそ混浴露天風呂です!!」
―――というわけで、ツインホーン軍の本拠地には混浴露天風呂が建築されたのであった。
ただし、結局のところ一日のうちに女性専用と男性専用の使用時間が定められることになり、混浴の時間は泣くほど少なかったのだが。
ユーナクリフはそんなことを思い出しながら湯に入った。
「ちょっと熱い……かな」
「身体が冷えてるからだよ。浸かってればすぐに温かくなるさ」
先に湯船に入っていたジョウイが身体をずらして場所を空けた。そちらに目を向けてユーナクリフはしまった、と思った。
色素の薄い肌がほんのりと朱に染まっている。しっとりと水分を含んだけぶるような金髪。熱のために少し気だるげになった視線と口調。
(うわ、やばっ……)
「……ユノ?」
思わず顔を背けたが、怪訝そうに覗き込んでくる。まだそんなに長い時間浸かってもいないのに、のぼせたようにくらくらする。
あの時は、こんな状況が本当にくるなんて思っていなくて。
「ユノ?どうしたんだい?」
答える代わりに、唇を奪っていた。
そのままとっさに反応できないでいるジョウイの肩を湯船の縁に押し付ける。
「ちょっ……ユノ……!」
「ダメだ、やっぱ我慢できない。久しぶりだし……いいよね?」
言葉どおりにユーナクリフの身体が昂ぶっているのが分かり、ジョウイの心臓が跳ねた。
「い、いいわけないだろっ!こんなところで……」
「こんな時間に誰もこないって言ったのはジョウイだよ」
「そういう問題じゃ……んっ」
もう一度深くくちづけられ、口内を掻き回された。
湯に温められた身体は更に熱くなって頭がぼうっとする。
「ユ……ノ……」
息苦しくて呼んだ声はそれでも欲情を帯びていて。
ユーナクリフは潤んだ青灰の瞳に煽られるだけだった。
◆◆◆
ジョウイは湯船の縁に腰掛けているユーナクリフを見上げ、湯に沈んでぐったりと内壁にもたれかかった。
「ユノ……とりあえず、もうこういうところではやらないでくれないかな……」
「なんで?後片付けも楽だしいいと思うんだけどな〜」
恨めしげな声にもユーナクリフは悪びれずに返す。ついでにちょっとしたスリルも楽しめるし、なんていうことはさすがに言わないが。
ジョウイはユーナクリフを睨みつけた。言わなくたって何を考えているか見当くらいはつくのだ。
「ここは声が響くし……それに」
―――くしゅんっ。
「……風邪もひくしね」
それみたことかとジョウイは眉を上げてみせる。ユーナクリフは情けない顔になり、もう一度小さくくしゃみをした。
「…………考慮に入れとく」
翌日、ナナミは呆れきった顔で二つ並んだベッドの真ん中に立つ羽目になった。
両側のベッドには二人の少年がダウンしている。
ユーナクリフは風邪で。
ジョウイは湯あたりで。
「これはもう一泊だわねぇ……あんたたち、今日は大人しく寝てなさいよ」
二人を交互に睨みつけておいて、その旨を宿の主人に伝えようとナナミは部屋を出ていった。
ユーナクリフがジョウイの方に首を回すと、気配を察したのか憮然とした声で言った。
「だから言っただろう……」
「……悪かったよ」
ユーナクリフもさすがにばつが悪そうに上目遣いになる。
ジョウイは密かに溜息を吐いた。そんな顔をされたらこれ以上何も言えないではないか。
「ねえジョウイ、トランに行こうよ」
「トラン?別にいいけど……なんで急に?」
「君に会わせたい人がいるんだ。あ、今トランにいるかどうかわからないけど……いや、他にも何人かいるし。僕もグレッグミンスター以外って見て回ってないし。ね、行こう」
ユーナクリフがあんまり楽しそうに言うので、まだ反省が足りていないんじゃないかとも思ったが、身体がだるくて追及する気も起きない。
仕方がないので微笑むことにする。
「君が行きたいって言うのなら、僕には反対する理由はないよ……」
ユーナクリフも満足そうに笑って、ずれた毛布を引き上げた。
「昔は混浴露天風呂って夢だったんだけど」
「……は?」
「今はジョウイがいるから、混浴じゃなくてもいいや」
本当に反省が足りていない。
ジョウイは痛む頭を押さえ、隣のベッドへ向けてすごい勢いで枕を投げつけた。
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