繰り返して言うが、ユーナクリフは味オンチなのである。
天山から降りてすぐのこと。三人でキャロから旅立つまでゲンカクの道場で過ごしていたのだが、ジョウイは倒れるようにして寝込んでしまった。
奇跡に助けられたとは言え、紋章にぎりぎりまで生命を削られていたのだ。きちんとした休養が必要なのは明らかだった。痩せて顔色の悪いジョウイの様子を見て、ユーナクリフもナナミもそれはそれは心配したものであった。
当然ながらナナミは特性のスープで元気付けようとしたが、ジョウイにはこれが恐怖だった。ナナミの料理はとにかく破壊的だ。滋養に良いものを、と張り切れば張り切るほど鍋の中には様々な食材が放り込まれてゆく。その分確かに栄養は満点になるのだが、味のことはこれっぽっちも考えられていないのである。
しかしジョウイは心の中で涙しつつも差し出されたものを受け取るしかなかった。大切な彼女が心から自分を心配して作ってくれているものを、無下に断ったりなどできるだろうか。いやできない。幸か不幸か、幼い時分からことあるごとにナナミの料理を饗されたジョウイの舌は、一般的な味覚からすれば許容範囲が広いと言えた。
だがしばらくの間ハイランドの(少なくとも味の心配はない)食事を取っていたためか、久しぶりのナナミ料理はちょっと刺激が強すぎたらしい。どうにか半分ほど食べ進めた頃、目を回して再びベッドの住人になってしまった。
これから先は三人で旅を始めるのだ。宿を取ったときならいいが、野宿のときなどはずっとナナミの手料理を食べることになるのだろう……その夜、ジョウイは盛大に魘された。
翌日になって、ジョウイはユーナクリフが「僕が作ったんだ」と食事を持ってきたことに驚いた。卵雑炊におひたし。いつの間に料理などできるようになったのだろう。
家ではいつもナナミが料理していたし(腕の良し悪しはともかく料理をすることは大好きなのだ)、ユニコーン隊でもユーナクリフが味オンチなのは周知の事実であったので、彼に食事当番が回されることはなかったのである。
しかも。
「おいしい……」
信じられない思いで呟くと、ユーナクリフは満面の笑顔になった。
「レシピを覚えていて良かった。ジョウイはナナミの料理苦手だもんね」
なんと同盟軍にいる間に料理を覚えたらしい。一体どんな生活をしていたのだろう。ひょっとしたら、誰かに料理を教わるうちに味オンチが直ったのかもしれない。
だがしかし、ジョウイの期待は脆くも打ち砕かれることになる。
二人分作った卵雑炊を自分も食べようと椀に盛り一匙口に含んだ途端、ユーナクリフは首を傾げた。
「僕、味見し忘れたのかも。ジョウイこれ……味薄くなかった?」
「いや別に……美味しかったけど」
ユーナクリフは味を確かめながら調味料を足し始めた。それを見ているうちに、ジョウイの額から血の気が引いてゆく。
ジョウイが見ている前で足された調味料は三、四種類……冗談としか思えない組み合わせだった。
「うーん。こんなもんかなぁ」
「……ユノ。ちょっと訊くけど、いつも料理をするときに味見をしていたのかい?」
「そういえば……あんまりしてないな。いつも味見するより前にハイ・ヨーさんに持ってかれちゃって。自分が作ったものほとんど自分で食べてないや」
「…………」
味オンチが直ったわけではない。彼は記憶のレシピどおりに作っていただけのことなのだ。
「……ちなみに君、いくつくらいレシピを暗記しているんだい」
「ええと……雑炊はよく作っていたから覚えてたけど、他は……んと、多くはないよ」
つい暗くなりそうな表情をジョウイは無理やり笑顔に変えた。ここで残念がってもユーナクリフのせいじゃない。むしろ料理ができるようになっただけでも大進歩だ。自分は料理なんてほとんどできないのだし……
ユーナクリフの椀の雑炊は色が変わってでろっとしている。
「これはこれでもいいけど、やっぱりナナミが作ってくれた方がおいしいなぁ」
「…………そ、そうだね」
(……料理、覚えよう……レシピも探そう……)
食事当番を作れるようになれば、少なくとも自分が担当するときには自分の好みで作れるはず。
旅の始めに、ジョウイは固く決心したのであった。
◆◆◆
努力の甲斐あってかいくつかのレシピも入手でき、この間からなんらかの事情があってナナミが食事を作れないときにはユーナクリフとジョウイが交代で作ることになっている。
例えば、今日のように旅先の小さな村で家を借り、ナナミが出かけてしまったときだ。近所の家の子供達と遊んでいたらやたらに懐かれてしまい、一緒にピクニックに行くことにしたのだという。
「朝、はりきってお弁当作っていったよ」
例によって朝に弱いジョウイが日も高くなってから起きだしてきたところ、ユーナクリフは台所でナナミの不在を告げたのだった。
「お弁当って……子供達の分も?」
「そっちはお母さん達が作ってくれるって」
ジョウイはほっと胸をなでおろした。ナナミには悪いが、せっかく村の人たちが友好的なのに子供達にあの料理を振舞うのは危険すぎる。
「それで今、ちょっと早いけどお昼ご飯作ってるんだ」
「あれ、今回は僕が当番じゃなかったかい?」
「いいよ、もうほとんど出来上がりだし。この前掘り出し物で見つけたレシピを試してみたんだ」
レシピは山菜のスープ。一緒に野菜炒めも作ったらしい。ナナミも同じレシピで料理したことがあったが、何がどう野菜炒めなのか分からないものが出来上がった。
炒め物であることは間違いがなかったのだが……一体何が入っていたのか、何度考えても分からない。しみじみと思い出しながらジョウイは食器を用意し始めた。ユーナクリフはお茶を淹れるためにやかんを火にかけている。
器によそおうと鍋のふたを開けると白い湯気がふわりと立ち上る。ジョウイは鍋の中を覗き込み、そしておもむろにふたを元に戻した。
しばらく逡巡した後にもう一度同じことを繰り返す。ユーナクリフは不思議そうに声をかけた。
「ジョウイ、何やってんの?」
「いや……ええと」
冷や汗が額を伝った。
……見た目はともかくとして、なんだか奇妙な匂いがする。
嫌な予感がしてジョウイは恐る恐る尋ねた。
「ユノ……これ、味見した……?」
いまだにユーナクリフは「うっかり」味見を忘れてしまうことが多い。おかげでジョウイはかなり助かっているのだが。
果たして、ユーナクリフはにっこり笑って胸を張った。
「今日はちゃんとした。美味しくできたよ」
やばい。
顔色を変えたジョウイに気づかず、ユーナクリフはぽんと手を打った。
「あ、でも野菜炒めはまだだ。忘れるところだった」
「ユ……ユノ!」
「え?なに?」
呼び止めてはみたものの、何の策もない。ジョウイは頭の中で目まぐるしく考えを巡らせた。なんとか気を逸らして野菜炒めだけでも死守しなくては。いやしいと笑うなかれ。ジョウイにとっては死活問題なのだ。
「え、ええと、後は僕がやるから君は座ってなよ……僕が寝坊したせいで全部任せるなんて悪いしさ」
「あとちょっとなのに、ここまでやったらもう変わらないよ」
呆れたように言ってから、はにかんだ笑みとともにユーナクリフは頬を赤らめた。
「それにさ……好きな人に自分の作ったもの食べてもらえるのって、なんか嬉しいよね」
あまりの可愛らしい言葉にぐっときて、ジョウイも負けず劣らず顔を赤くして俯いてしまう。はっと気が付いたときにはユーナクリフは味見用の小皿を口元に運んでいた。慌ててその腕を掴んで止める。
「ちょ、ちょっと待った!」
「……なんだよ?」
ユーナクリフが驚いて振り向くと、ジョウイの顔がすぐ側にあった。後ろから腕を回すような形で手首を掴まれたのだ。切れ長の眼が真剣な色を帯びていて、ついどきっとしてしまう。
一方ジョウイはこの機会を逃すわけにはいかないと考えた。
台所で不謹慎だとは思うが、背に腹は変えられない。
「ジョウイ……?」
跳ね上がった鼓動を押さえながら呼びかけてくる唇に、己のそれを優しく重ねる。
「なんだか今とても……欲しくなったんだ。……ご飯よりもさ、先に……君が食べたいな」
その気になればジョウイはハイランド皇王にまでのし上がったほどの演技派である。歯の浮くような台詞もさらりと、艶やかな微笑までつけて言ってのけた。
首筋にも口付けを落とすと、ユーナクリフは吐息を漏らした。
「あ……ジョウイってば……お腹すいてないのかい?」
「いいや、飢えてるんだよ。君にね」
エプロンの紐を解きながら、さりげなく鍋から遠ざかる。完璧な動きであった。
「ぁ……ん……」
これならいける、とジョウイが確信した瞬間。ふとユーナクリフの肩越しに勢いよく湯気を噴いているやかんが目に入った。
浅いやかんは湯を多めに入れたせいか口から沸騰したお湯が跳ねている。ジョウイは慌ててユーナクリフから身を離し、やかんを火から下ろしにいった。
水を差された気分で振り返ってみると、ユーナクリフは既に身体を反転させて向き直っている。
「ジョウイからそう言ってもらえるなんて……僕……」
ユーナクリフは感動していた。普段は、こんな状況で迫ろうものならジョウイの方が嫌がって怒られてしまうのだ。それが彼から誘ってくるなんて。
熱っぽい瞳でスカーフを解き、赤い上着を椅子に投げかける。
「おなかいっぱいにしてあげるよ……ジョウイ。僕がね」
「えっ……ちょっと、ユノ……」
何か違う、と気づいたときにはもう手遅れで。
「……やぁ……も、もう……入らないってば……あぁッ……!」
そんな声を上げていたのが誰だったのかは、彼の名誉のために伏せておこう。
余談。
お昼には早い時間に作り始めていた料理は、お昼と言うには遅すぎると思われる時間まで手をつけられることはなかった。
もちろんすっかり冷めてしまってはいたが、ユーナクリフは上機嫌で味見まできちんと済ませてから、ぐったりしているジョウイの前に山菜スープと野菜炒めを並べてみせたのであった。
―――合掌。
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