日は朝



 


 低血圧の人間にとって朝というものは大敵である。
「もう、ジョウイ、いいかげんに起きろってば!!」
 今日も今日とて、ジョウイはユーナクリフが引っ張る毛布の端を、奪われないようにがっしり握り締めてベッドにしがみついていた。
「またナナミに水をかけられたいのかい?」
 唸り声ともつかぬ意味不明の呟きが返ってくる。
 だから夜更かしするなって言ったのに。ユーナクリフは頬を膨らませた。昨夜彼がなにがしかの本を熱心に読んでいたときから悪い予感はしていたのだ。
 おまけに今日は朝から天気が悪い。雨の日にはいつもジョウイの寝起きは最悪だった。低血圧だと気圧までが目覚めの邪魔をするらしい。
 ユーナクリフの手が弛んだ隙に、ジョウイは毛布を身体に巻きつけるようにして確保してしまった。本人だって起きないことには幼馴染の少女から盛大な雷を落とされることは分かっているのだが、こうなるともう半分は意地だ。
「もぉー……」
 呆れ返ってひとつ溜息をついたところに、背後から声がかかった。
「毎度よくやるね、君たちも」
 振り返ると未だトレードマークのバンダナもつけていないトリスラントが、くすくす笑いながら扉に寄りかかっていた。
「トリス……すみません、なんだったら先に朝ご飯食べていてください」
「うん……ユノ、ものは試しなんだけど」
「え?」
「たまには、僕がチャレンジしてみてもいいかな?」
 ユーナクリフはきょとんと見返した。
「チャレンジって……」
 意味ありげに微笑みながらトリスラントはくいくいと指先でベッドに懐いている毛布の玉を指し示す。黒い瞳には好奇心が光っていて、まるでいたずらを思いついた子供のようだ。
「はあ……」
「まあ任せとけって」
 間抜けた返事にひらひらと手を振って、トリスラントはユーナクリフに部屋から出るよう促した。
 扉を閉め、ベッドに近づいてみると、かすかな寝息が聞こえてくる。揺すってみても反応はない。
「ジョウイ」
 トリスラントは毛布の端をそっとかき分けてジョウイの顔を覗き込んだ。瞼は固く閉じられ、ユーナクリフとの攻防戦の名残か眉が寄せられている。
「ジョウイ、朝だよ」
「……ん……」
 寝息に紛れるように小さな声が返ってはくるものの、これで起きてくれるようならユーナクリフも苦労はしない。
 トリスラントは笑みを深め、ジョウイの上に被さるようにしてベッドに乗り上げた。長い白金の髪をかき上げ、現れた白い耳たぶに息を吹き込む。
「ジョウイ……起きないと、襲うぞ?」
 聞こえても意味までは取れていないのだろう、ジョウイは擽ったそうに肩を竦めて顔を背けた。
 トリスラントはジョウイの腰のなだらかな線を辿って毛布を裾からたくし上げた。毛布の上方は奪われないようにきっちり身体の下に巻き込まれてしまっているが、反対に足元から背中の方は無防備だ。
 唇は耳たぶから首筋にかけて軽くくちづけながら、手で太腿の裏から撫で上げてやると、反応が少しずつ変わってきた。
「………う……ん……」
 睡眠によって下がっていた体温が上がってくる。吐息にも熱が篭り、明らかに手の動きに合わせて身じろいでいる。
「は……ぁっ……!?」
 夜着の下に潜り込んだトリスラントの手が更に奥を探り始め、そこでようやくジョウイは目を開いた。背中から抱きこむようにしてのしかかってくる相手を首を捻じ曲げて確認し、慌てた声を上げる。
「トリス!?何やって―――」
「起きないと襲うって言っただろ?」
 知るか、そんなこと。
 寝ぼけていたジョウイがそんな話を覚えているわけもないが、ひとまず自分がとんでもない状況におかれていることだけは理解できる。
「お、起きます!起きるからやめっ……あぅッ」
 身体の中心に触れられて、ジョウイはびくりと震えた。
「こんなになっているのに……やめたらかえって辛いんじゃない?」
 跳ね除けようとしても信じられないくらい四肢に力が入らない。敏感な部位がしつこく弄られ、そこに熱が集中してゆく。ただでさえ朝には血の巡りが悪いのに、動くために必要な分まで奪われているのかもしれない、とジョウイは虚しくもがきながら意識の片隅で考えた。
 気が付くと背後から密着してきていたトリスラントはいつの間にか上体を移動させており、ジョウイの脚を抱え上げた。
 腹部の平らかな皮膚に触れる黒髪―――それから包み込む熱く湿ったものの感触にジョウイは呻いた。
「や……ぁっ、や……トリス……」
 淫らに響く音が居たたまれない気持ちにさせる。幼い仕草で首を振るジョウイと裏腹に欲望を主張するそれを、トリスラントが殊更に強く舐め上げた。
「なるほど、身体は正直ってこういうことだね」
 振りほどくことも反論することももできず、せめてもの抵抗に潤んだ瞳で睨みつけても、トリスラントは意地悪く笑うだけだ。
「楽しませてくれるね、ジョウイ。そんな顔してると余計に泣かせたくなるよ」
「……ぁっ……誰がそ……な……顔……っ」
「まあ、最後までしちゃうと今日一日動けなくなるだろうから……続きは夜のお楽しみってことで、今はここまで」
「うァッ……!」
 内側を探るように、滑り込んでくる指に鳥肌が立つ。けれどお互いに知った身体はすぐに快楽を拾い始め、理性を押し流してゆく。
「あ……あ……―――ッ」
 訪れた絶頂に小さな悲鳴を上げてジョウイは背を反らせた。
 しかし一瞬遠くなった意識は、ごくり、と解放された熱を嚥下する音に引き戻された。
「……な、なっ……なんで飲む……っ」
「きれいにしてあげようと思って」
 こともなげに返すと、トリスラントは飲みきれずに唇の端に残った分を指先で拭い、ぺろりと口に含む。ジョウイは見ていられなくて枕に突っ伏した。
 もう情けなさと恥ずかしさで消えてしまいたい。
「じゃあ、僕はお先に朝食を頂いているよ。皆も待っているからそのまま寝ないように」
「えっ……!?」
 荒い呼吸と共に揺れる金の髪に一度指を滑らせ、唖然としたジョウイを尻目に目覚まし役は部屋から出て行った。
 扉の閉まる音にジョウイは歯を食いしばった。力の入らない腕で投げた枕は扉にも届かない。
「なんで……っ」
 なぜそんな日常の続きのような言葉を残して立ち去るのだ。
 朝っぱらから人を惨敗させておいて。
 ジョウイはのろのろとベッドから降りた。身体にはどうにか血が巡り始めたらしい。普段着に着替えながら、怒りに任せて床に落ちている枕を蹴り飛ばす。
 自分とてハイランドの皇王まで務めた人間だ……敵も多かったし、命を狙われたことだって何度もある。トリスラントがもし刺客だったりしたら、ジョウイは今ごろ冷たくなっていただろう。
 戦争中は眠りも浅く、不審者に気がつかないなどということもなかったのだが。
 彼の余裕めいた表情と声音。思い出すと余計に怒りを煽った。
「畜生……っ」
 ジョウイは耳たぶまで朱に染めて、力いっぱい木の扉を殴りつけた。
 悔しい。悔しい。悔しい。
 何なのだ、あの余裕は。どうして自分は彼に敵わないのだろう。
 好きなように鳴かされて翻弄されて、抵抗することもできないなんて。
 ―――慣らされている。
 その認識は、ジョウイの自尊心をいたく傷つけた。
 大きな音と共にびりびりと揺れるその扉から、慌ててユーナクリフが飛び込んできた。トリスラントが起こすと言ってから、しばらく待っても食堂に二人が現れないので見に来たところだったのだ。
「な、何やってんだよジョウイ!?」
「………………別に……」
 地の底から響くような返答。ジョウイの周囲に漂う剣呑な空気にユーナクリフはうっと言葉に詰まった。
(うわっ……めっちゃめちゃ不機嫌だよ……)
 一体トリスラントはどんな方法で彼を起こしたのか。
 気にはなるが、とても訊けるような雰囲気ではない。
「……トリスは?」
「さ、さっきすれ違ったけど、すぐにいなくなっちゃったよ……」
 ユーナクリフはその事実に感謝した。もし彼がまだこの場にいたら、血を見るところまでは行かずとも、間に挟まれて胃の痛くなる思いをしそうだ。
 今にも人を呪い殺しそうな幼馴染に、おそるおそる尋ねる。
「あのさジョウイ、明日の朝……どうする?」
「もし僕がひとりで起きてこなかったら、トリスを部屋に入れる前に水をかけてでもいいから起こしてくれ」
 ジョウイは振り向きもせずに答えた。
「朝からあいつに楽しみを提供してやる義理なんかない!」
 



 ―――しかし、彼らは知らなかったのだ。
 悠々と立ち去ったように見えたトリスラントが、廊下の角を曲がったところで突然ダッシュをかけ、そのままトイレに駆け込んでいたなんてことは―――










……見栄っ張りめ。

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