なぜだか、突然マクドールさんに家を連れ出された。 僕たちは今、彼の家に寄宿している。 戦争が終わり、新同盟軍にも旧ハイランド領にもいられなくなった僕たちは、手を取り合って新天地を目指した。 とりあえず行き先が決まるまでの間、マクドール家に寄せてもらっているというわけだ。 「…どこへ行くんですか?」 「んー。まぁ黙って黙って」 機嫌が良さそうな、マクドール家の若主人に連れられ、ジョウイはぽてぽてとあぜ道を歩く。 そして連れてこられたところに、それは広がっていた。
「うわぁ…」 思わず感嘆の声を上げた。 緑を地色として、青や白。黄色。 そこには、色とりどりの花が咲き誇っていた。 夏は、やはり青い花が多い気がする。それが山なら、なおさら。 涼しい風がさやさやと草を分けて通っていく。 延々と続く、花畑。 広々としたそこの、遠い向こうに、わずかに山の影が見える。 花の狂宴を目にしてジョウイはしばし時を忘れた。 「…気にいってくれて、よかったよ」 はっと我に返ってジョウイは、彼に振り向く。 「マクドールさん」 「クアトって、呼んでくれって、言わなかった?」 そう言って、クアトはくすくす笑う。 そんな彼は英雄と称えられる姿とは違う、ただの少年だった。 どこか儚さを纏って、クアトは淡く微笑む。 「君に、見せたかったんだ…」 ざぁっと風が二人の間を吹き抜けていった。 草が揺れ、花びらが舞う。 クアトはジョウイから視線を外すと、広がる花畑へと顔を向けた。 ジョウイからは、彼の表情が見えない。 彼見つめる視線の先に何が映っているのか、ジョウイにはわからない。 ただ、ぽつりと彼が呟いた声が、風に乗って届いてきた。 「僕はどうやら、自由な人が好きみたいでね…。いつも飛んでいってしまう人を、好きになる…。手元に留めておけないと知りながら、ね」 その言葉に、はっとしてジョウイはクアトを見つめる。 「…知っていたよ。もう出ていくんだね。君たちは」 そう言って笑う彼は、どこか切なそうな陰を、その表情に落としていた。 幾度か身体を重ねた関係だった。けれどそれだけだと思っていた。 そこには感情が介在しない関係なのだと、そう思っていたのだ。 「きれいなとこだろう?気にいってくれて嬉しいよ」 彼のきれいな黒髪が、さらさらと風に揺れる。 言葉をなくすジョウイに、知ってるかい?と、クアトは穏やかに笑った。 「蝶々が蜜を運んでそしてやがて綺麗な花を咲かせる…」 クアトの指が、ジョウイの髪を絡め取る。それにジョウイは、凍りついたように身体が動かせなかった。 恐怖ではない。ただ、胸が締め付けられるような痛みで。 「君は、蝶々のようだね…」 「…蝶々?」 どういう意味だと問うジョウイの声に、クアトの静かな声が被った。 「気まぐれに、飛んでいってしまう…」 あなたにだって翼があるでしょう? そう言うはずだった声は、彼の表情に行き場をなくす。 ただ、彼は自由ではないのだろうと、そう感じたから。 彼の従者が、そして他の人も、彼がトランに留まることを、口にはしないが望んでいることを知っていたから。 「…クアト、さん」 「それでもいいんだ。ただ、一時の蜜のために止まる花が、僕でありたい…」 彼の手の中から、淡い色をした花びらが飛んでいく。 「僕は、自由な人ばかり、好きになる…」 ひらひらと風に乗る紅い花弁に、彼が何を見ているのか、わかった気がした。 飛んでいく花びらを求める。一時しか留まらない蝶々を抱きしめる。 それが彼の愛し方なのだろう。そういう相手を求める。そういう相手だから、恋する。 最初から手に入らない相手に焦がれる。 どうしてと聞けば、家庭を留守にしがちだった父の背を憧憬の眼差しで見つめていた少年時代に遡るかもね、と彼は笑うのかもしれない。 不器用な人なのだろう。愛し方が下手で、相手を束縛できなくて。 どうしてこの人は、こんなに。 「…ねぇ、ジョウイ」 寝室以外で名前を呼んでくれたのは、初めてだった。 「花から花へ。自由であれ。それが、君を一番美しく見せるから…」 微笑むクアトを見つめながら、きっと自分は今、泣きそうな顔をしているのだろうと、ジョウイは思う。 「…僕は」 「黙って…」 柔らかい感触が、ゆっくりと唇を塞ぐ。 「…ん」 押し付けられるキスに、なんだか笑いが零れた。 彼の優しさはどこか不器用で、そしていつも、泣きたくなるほど優しかった。
ねぇ。知っていましたか? 僕は、あなたが本当は好きでした。 行くな、とは言ってくれないあなたが好きでした。
花から花へ。自由であれ
そう言って笑うあなたは優しい。 いつだってあなたの思いは、泣きたくなるほど優しいんですね…。
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