涙は繭の中
「僕を……抱きませんか」 突然そんなことを言われては、トリスラントもさすがに呆気に取られるしかなかった。 ドアの外には、普段はきちんとまとめられている長い金色の髪を下ろして、灯りの点った燭台を掲げだひとりの少年が立っている。 彼の後ろ、廊下に続く闇は深い。家の者はもう寝静まってしまった頃だろう。トリスラントは止まってしまった思考をなんとか動かそうと、寝癖のついた前髪をかき上げた。未だ抜けていない酒精と眠気とで頭の芯が痺れるようだ。 とにかく、何がどうしてそういう話になっているのかさっぱりわからない。 だいいち自分はジョウイに思いっきり嫌われているのではなかったか。 「抱きませんかって……つまり、ええと、誘われてるって思っていいのかな、僕は」 ジョウイは何かを耐えるように瞼を伏せ、無言で肯定を示した。 トリスラントが衝動的にジョウイを抱いてしまってから一週間。 明日には、彼ら三人はマクドール邸を出発することにしていた。 漠然と、彼らがどこかこの近郊にでも定住するのだろうと思っていたのでトリスラントは少なからず驚いた。しかしユーナクリフたちは旅をして、もっと色々な世界を見てみたいのだと言うのだ。なんとなく寂しいような、羨ましいような心持がした。 送り出すためにごく内輪でささやかながらも酒宴が催され(と言っても、ユーナクリフたちはグレミオに窘められて、舐めるだけで我慢したのだが)夜もすっかり更けてから床についた。 一週間前の出来事についてトリスラントは反省していた。自分の心理的な弱さをジョウイに押し付けてしまったのだと。旅立ちまでの限られた期間にトリスラントはジョウイとの仲直りの機会を探っていたのだが、謝ろうにも今まで徹底的に警戒され避けられていた。ジョウイはユーナクリフかナナミか、どちらかに必ず張り付いて行動するので話を切り出すことすらできなかったのだ。 このまま彼らが旅立てば……姉弟の方はまた遊びに来ますと言ってくれたものの、きっとジョウイが適当に理由をつけて反対するだろう。次にいつ会えるのか、予想もつかない。 それが、今ごろになって。 「一体どういう風の吹き回しだい?君には嫌われていると思っていたけど」 ジョウイの青灰の瞳が鋭さを増す。 「嫌いです。あなたなんて」 吐き捨てるように言って、ジョウイは自分の袖を握り締めた。 同じ男であるというのに犯されて、いいように扱われて、憎まない方がどうかしている。ジョウイはトリスラントを睨みつけながら、それでも同じ問いを繰り返した。 「だからさっさと決めてください。抱くんですか、抱かないんですか」 きつい視線にたじろぐでもなく、トリスラントは扉に寄りかかっていた身体を起こした。ようやく眠気が醒めてきた。 「なにか交換条件でも?」 仕返しに犯してやると言われるならともかく「抱け」と言われるからには理由があるのだろうとしか思えない。 トリスラントとしては妥当な問いだったのだが、ジョウイは目に見えて動揺した。 咄嗟に口実を作ることもできず、消え入りそうな声を返すだけ。 「…………いえ、別に」 「なんだいそれは……まさか旅立ちを前にして愛の告白?」 ジョウイは露骨に嫌な顔をした。 「まさか。清々しているんですよ、僕は」 「だろうね」 トリスラントは軽く肩を竦めた。掴み所がない相手に、ジョウイは苛立ってきた。 「あなたにその気がないなら別にいいんです。お邪魔しました」 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。 まったく、なぜこんな馬鹿げたことを言い出してしまったのだろう。情けなさに歯噛みして、ジョウイは踵を返した。 だが立ち去ろうとしたジョウイの腕を、トリスラントが掴んで引き留めた。 「まあ急かないで。……とりあえず、そんなところに立っていないで中に入りなよ」 「…………っは……」 露わになった白い胸から脇腹へ指を滑らせると、ジョウイは苦しげに吐息を漏らした。身体は敏感に反応しているのに、ジョウイは指が白くなるほどシーツを握り締め、声を噛み殺している。 額にかかる細い髪に隠されて表情が見えないので、空いた手でかき上げてやれば、眉を寄せて顔を背けようとする。 与えられる感覚を拒むように固く閉ざされた瞳。 そんなに嫌なら、どうしてこんなことを持ちかけてきたのだろう。 訝しく思いながらもトリスラントは丹念にジョウイの肌を辿ってゆく。 「……う……んッ……」 「我慢しなくていいのに。何か気に入らないことでもあるのかい」 尋ねてみれば、荒い呼吸を押え、ジョウイは瞼を上げて挑戦的に睨みつけてきた。 「あなたのしたいようにすればいいでしょう……言い出したのは僕なんですから」 顔を顰めそうになって、トリスラントは思い留まった。挑発に乗ってしまっては以前の二の舞だ。 トリスラントは以前のように彼のプライドを傷つけ屈服させるつもりで丁寧な扱いをしているわけではなかった。慣れない行為の中でもできるだけ快楽を追えるように、と気を遣っているつもりだったのだが。 おそらくジョウイが必要としているのは違うものなのだろう。 縮まらない距離を確認させられた気がして、トリスラントは苦く笑った。 「まあいいよ。君がそのつもりならつきあってあげよう」 「え……あっ……!?」 突然強い力でシーツに押し付けられ、脚を抱え上げられてジョウイは慌てた。 「――――ッ!」 侵入してくる熱。 呼吸もままならず、喉を引きつらせる。 「ゆっくり息を吐いて。力を抜いて……そう」 なるべく負担をかけないように、トリスラントは気がはやるのを抑えてジョウイが落ち着くのを待った。 「やぅッ……」 軽く揺すると幼い仕草で、いやいやをするように首を振る。無意識にか逃げようとする腰をトリスラントは引き寄せた。 「ぁ、く……ぅッ……」 「こうして欲しかったんだろ?」 内奥を突き上げられ、ジョウイは掠れた声を上げる。 「言っただろう、いいって言えないのなら僕の名を呼んでごらん」 反らされた白い喉を撫で、優しい声で耳元に囁いてやると、ジョウイはトリスラントの肩に爪を立てて縋りついた。 「あぁっ、や……トリスッ……トリ―――」 うわ言のようにひとつの名前を切れ切れに繰り返す。 その瞬間トリスラントは、彼がここに来た理由が解った気がした。 ジョウイ、もしかして君は…… けれど問う代わりに、トリスラントはジョウイの震える睫毛の先で溢れた涙に唇を寄せた。 翌日の朝食の席には、旅支度を済ませた三人の少年少女とマクドール邸の住人達が揃っていたが、なぜかグレミオの姿だけがなかった。 首を捻りつつも代わりにクレオとユーナクリフがサラダやスープなどを各自の皿に取り分けている。 「はい、ナナミ」 「ありがと!このスープすごくおいしいのよね。グレミオさんに貰ったレシピ帳に入ってるかな?入ってたら、今度わたしも作ってみる!」 まず間違いなくソレを試食する大役を仰せつかるであろう幼馴染の少年は、頬を引きつらせた。 「た、楽しみにしてるよ……」 睡眠不足と低血圧で少々ぼんやりしているものの、ジョウイはどこか晴れ晴れとした表情をしている。それを目に留め、トリスラントはうっすらと口元を綻ばせた。 「これからどこに行くんだい?」 ユーナクリフからスープ皿を受け取りながら、トリスラントは尋ねた。 「特別に目的地があるってわけじゃないんですけど……とりあえず、まずはトラン内の街を見て回ろうと思うんです」 「それはいいね。僕も戦争が終わってからは国内を回っていなかったし」 「……へ?」 トリスラントはきょとんと返された視線に、にっこりと会心の笑みを返した。 「僕も一緒に行くことにしたんで、よろしく」 「え……ええーーーーーッ!?」 食卓には三人分の叫びが響き、クレオやパーンはやれやれといった顔をした。 「迷惑かな?」 「そんなことは……あの、僕は嬉しいですけど。えっと……いいんですか?」 「スゴイスゴイ、トリスと一緒なんて、面白そう!色々教えてくださいねっ!」 そこへばたんと扉を蹴立てて大荷物を背負ったグレミオが現れた。 「坊ちゃん!坊ちゃんが行くならと〜っぜん!!私も行きますよ!!」 彼は同じ爆弾発言を早朝のうちに受け、すぐ荷造りに取り掛かっていたのである。坊ちゃんも慣れたもので、こうなることは予想済みであった。 「はいはい。でもグレミオ、それはちょっと荷物が多すぎるんじゃないかなぁ」 「うぅ……坊ちゃんの着替えとか坊ちゃんの枕とか坊ちゃんのためのお料理セットとか坊ちゃんの……」 「……いいから減らしてこいって」 「…………はいぃ〜……」 家中が騒然とし始めた中でトリスラントは悠々と食事を続け、ジョウイは唖然として動けないでいた。 「どうして……そんな……」 「だってわざわざ愛の告白をしにきてくれたのに、お別れなんて勿体ないだろう」 「ふ、ふざけないでください!違うって言ったでしょう!」 怒りのためにか、あるは別の理由か、かっと頬を染めて噛み付いてくるジョウイをよそにトリスラントは軽やかな笑い声を立てる。 昨夜―――ジョウイは自分のところに泣きに来たのだ。 「強いて言うなら冒険がしたい。たくさんのものが見たいんだよ、君たちと同じで。色んな人に心配をかけるからとか、変に理由をつけて重石にしてしまっていたけど……本当はそんなの関係ないんだよね」 もっと自分を解放してやればいい。求めるものを自らに問うてやればいい。 ジョウイは息を詰めて言葉を受け止めていた。 「でも……どうして僕たちと一緒に?」 「僕は意外と欲張りなんだってことに気づいたんだ、それだけさ」 意味を問おうとしたジョウイの横に突然影が差す。 「なになに??何かあったの?」 「な、なんでもない。ナナミ、コップを倒すよ」 寄ってきた肩を、ジョウイは慌てて押し戻している。 ユーナクリフやナナミ……守りたい人たちの前では、彼は泣くことなどできないのだろう。けれどひとりで泣くこともできずに、ジョウイはトリスラントを訪ねたのだ。戦いに傷ついた心はそうまでして癒されることを望んでいる。 理由がなければ泣くこともできないひねくれ者。 ジョウイがそれきり口を噤み、特に反対しようとするわけではないのが何よりの証拠だ。 縋ってきた指を一晩だけ癒して逃がしてしまうのは味気なくて。 僕を逃げ道として使いたいならそうすればいい。少々乱暴な方法ではあるが、泣く場所すらないよりずっといい。 トリスラントはこっそりと呟いた。 「もちろん、いつまでもその位置に甘んじているつもりなんてないからね」
|
素直じゃない者同士お似合いかな〜と…
って、存外に坊ちゃんは素直になっちゃいましたが。
これで、この先は諸国漫遊記ができますねー(違)