翌檜異聞
1. Jowy
「トリスが釣りに行こうって言ってくれたんだけど、ジョウイも行くだろ?」 「……いや、僕は―――」 首を振ると、ユーナクリフに「またか」という顔をされた。 階段の脇に立つ二人の少年は、両方とも紅い服を着ているせいかよく似ているように見えた。 「ええと、ナナミは?」 「もう先に行ってる」 ナナミもダメか……。内心で溜息をつく。 ユーナクリフも不審に思い始めているようだし、そろそろ何かと理由をつけて避けつづけるのも限界だ。 「昨日マリーさんに本を借りたから、早く読んでしまいたくてね」 ここ数日というもの、トリスラントが外出に誘うのをほとんど断っている。 はじめのうちは一応グレッグミンスター内を案内してもらったりもしていたのだ。 僕やユーナクリフが実際に目にしたことのある都と呼ばれるほどの街は、グレッグミンスターの他にはルルノイエしかないのだが、その話題は不自然なほどに避けられていた。 僕だってもう崩れてしまったあの城をわざわざ引き合いに出そうとは思わないが―――ハイランドのことと言えば、たまにユーナクリフやナナミがキャロの街について話すくらいだ。 つまりトリスラントは僕をハイランドの元皇王としてではなく、ユーナクリフの友人としてもてなしていると暗に言いたいのだろう。別にそれが悪いとは言わないし、むしろ妥当だとも思う。 だがしかし―――だ。 「勉強家なんだね、ジョウイは。優秀で羨ましいよ」 「……あなたほどじゃありませんよ」 トリスラントはいつものように底の見えない笑みを浮かべている。 さりげない言葉の端々がなんというか、とても厭味に感じられるのだ。表面的には親切そうに、仲良さそうに振舞うので余計に性質が悪い。ユーナクリフたちを心配させたくなくて、同じように親しさを装ってしまう自分も自分だが。 誘いを断られても軽く肩をすくめただけで平然としたまま、彼はユーナクリフを促して出て行った。僕はソファに座りなおし、本の表紙を開いた。 彼の態度は、気に障ることは障るのだが、もしかしたら僕がひとりで神経質になっているだけなのかもしれない。もし彼の性格に難があるならユーナクリフが何かしらフォローを入れてくるはずだ。 認めたくはないが、僕が彼にコンプレックスを持っているのは確かなのだ。 ついでにユーナクリフやナナミが彼について嬉しそうに話すのを聞いていたので、感情がささくれだつのを嫉妬が手伝っているのだろう。 だがそんなことを言ったところで仕方がないので……多分、相性が悪いのだということにしておきたい。 人は、他人に対して自分に向けられたのと同じだけの好意を返すのだと言う。こちらがこれだけ苦手意識を持っているのなら、向こうからもあまり好い感情を持たれてはいないのだろうし、厭味に感じるのも原因はそのあたりにあるのかもしれない。 ともかく、今度何かに誘われたならとりあえず受けて、トリスラントとはなるべく当り障りのない会話をしておけばいい。 こういうときにいちばん簡単な解決方法は何かといえば、それはお互いに必要以上に近づかないことだ。 ―――と、思っていたのだが。 「……『古代ハルモニアの庭園と食文化』?察するに、君は乱読型なんだね」 まださして読み進んでもいない本を取り上げられ、行儀悪く舌打ちしたくなるのをなんとか止める。 「…………早かったですね。もう帰ってきたんですか」 「忘れ物を取りにきただけだよ」 なら、僕に構わないで用だけ済ませればいいものを。 しかしトリスラントは忘れ物を捜しに行く様子も見せず、それどころか僕の隣に腰をおろした。柔らかなソファに背を沈めてただ僕の方を見ている。 居心地悪いことこの上ない。僕の方が席を立とうかと思ったとき、トリスラントが口を開いた。 「こうして、ハイランドの皇王どのと話をする日がくるとは思わなかったよ。今では『元』皇王と言うべきだろうけれど」 「そう……ですね」 彼の口からようやく今まで徹底的に避けられていたハイランドについての言葉を聞いて、少なからず驚いた。 思わず顔を上げた先には、口調とは裏腹に漆黒の瞳が剣呑な光を湛えていた。 息を呑んだ僕に、彼の右手が伸びてくる。 「亡国の王が―――しかも同盟国の敵だった国のさ―――逃げ込んでるなんてことが知られたら、トランも厄介な問題を抱え込むことになるね。そうなる前に僕が突き出してやろうか?死体だってシュウは構いやしないだろうし」 なるほど、と思った。僕の側だけの問題ではなく、嫌われるだけ仕方がない立場に僕はあったのだ。 トラン建国の立役者たる彼がそうするなら、ユーナクリフだって文句は言えない。 掴まれて気管が狭くなり、呼吸が苦しくなる。このまま力を入れられれば、僕の喉は簡単に潰されてしまう。実際よりも長く感じられる沈黙の後、緊張を解いたのはトリスラントの方だった。 「どうして抵抗しない?」 「所詮負け犬ですから、僕は」 トリスラントは目を細めると、僕のシャツの襟を掴んで力任せに裂いた。 「なら、それにふさわしい扱いをしてあげようか」 手袋が外され、あらわになった指先が喉元から胸へと辿り始めるのを、僕は動かずに受け止めた。トリスラントは嘲るように口の端を持ち上げて見せた。 「どれくらいの人間をたらしこんだんだか知らないけど、こうやって王座を手に入れたってわけ」 「……そんなことをした覚えはありませんが」 昔から、何を勘違いするのか僕を女の代わりに扱おうとする輩には慣れている。普段なら一発お見舞いしてやるところだ。侮辱されて怒りが湧かないわけではなかったが、相手が相手なので抵抗する気も起きなかった。 好きなようにすればいいのだ。自国においてだけでなく他国の戦いにおいてさえ勝利者の側にありつづけた、彼は完全なる成功者で、僕は脱落者だ。彼にとっては僕など愚かしさの極みなのだろうから。 トリスラントの手がするりと動き、下半身にかかる。 下着ごとズボンを剥がされ、僕は顔を背けて唇をかんだ。取り乱してみせるのはなけなしのプライドが許さなかった。 そのままいいようにいたぶられるのかと思っていた僕は、耳たぶを甘噛みされて驚いた。 「あ……」 うなじを撫で上げられて思わず声があがる。 柔らかな感触が首筋を辿って、やがて僕の唇に被さってくる。口内をかき回され、自由にされたときにはすっかり息が上がっていた。 「何、を……!?」 これではまるで、愛撫されているようなものではないか。 「強姦なんて趣味じゃないんでね。じっくり楽しませてもらうよ」 言葉通りトリスラントはそこら中に手を、舌を這わせてきた。 鎖骨から、胸へ、脇腹へ、そしてうなじから背中へ向かって。 弱いところをひとつひとつ暴かれる。その度に僕はただ両手で口を抑えて声を噛み殺した。 やがて紅い跡を散らばせることにも飽きたのか、トリスラントの腕は背中から僕の中心に伸ばされた。悔しいが男の本能は実に素直だ。既に熱を持ち始めていたそこは、直接に刺激を受けて一気に張り詰めてしまう。 だがトリスラントは指をきつく巻きつけて僕の欲望をせき止めた。もう片方の手が探るように内腿に滑り込んでくる。 「うっ……!?」 突き入れられたのが彼の指だと、気づくまでに数秒を要した。 身体的にだけでなく、なんだか……ものすごくショックだ。知識として知ってはいたけれど、実際自分が、こんなところに、こんな――― 「んっ……は、うッ」 中で、気味悪く蠢いていた指が奥に突き当たり、自分自身の身体が思いがけない反応を返した。 「ふうん……ここがいいんだね。そうなんだろう?」 楽しげなトリスラントの声が耳元に吹き込まれる。 屈辱と羞恥と、怒りで目の前が真っ赤に染まる。 「いいって言えないのかい?じゃあ代わりに僕の名前を呼んでごらんよ」 もしただ乱暴に押さえつけられてめちゃくちゃに犯されたのだったら、僕は唇を噛み締めて耐えただろう。 それがこんな。 「呼んで、ほら……トリス、って」 「…………ぁ……ト……リ……」 ―――快楽に堕とされるなんて。 解放を求める狂おしいほどの熱に、唇は彼の望むままに動いた。 耳元でくすりと笑う声が聞こえ、待ち望んだ解放が与えられた。 「…………!」 弛緩して崩れ落ちそうになったところを抱え直される。 ずるりと内側の指が引き抜かれて背筋が震えた。 次の瞬間、とんでもない感覚に息が詰まった。靄がかっていた意識が一気に醒め、額から血の気が引く。 「……ッ!?」 「きついよ、ジョウイ……力を抜いて」 膝に力が入らなくて逃げることもままならない。 同性との行為がどんなものか、知らないわけではなかったけれど。いざとなってみれば情けなくて涙が出そうだ。 腰を支えていた腕に力が篭ったと思うと、全身を揺さぶられるような感覚に襲われる。 「いっ……あ……あ、あ!」 苦痛とも快楽ともつかない感覚、不安と恐怖とがないまぜになって、どうしたらいいのかわからない。 必死に抑えていた声も、もう止まらない。 「や……嫌だッ……あ、あッ……痛、ぁ、やぅっ……」 情けないことに僕は引きつった喉で泣き喚くしかなかった。 けれどトリスラントは止めるどころか、更に動きを激しくする。 「……い、やッ……トリス……ッ」 よく分からないが、普通はもう少し慣らしてからするものじゃないのか?こういうのは…… 妙に醒めた声が沈もうとする意識の底で呟いていた。 目を覚ましたとき、既に外は暗かった。 喉ががらがらになっていて痛い。状況が把握できずに暗い中を見回してみると、そこはマクドール邸の客室のひとつであることが分かった。 (ええと……どうしたんだっけ?) とにかく全身が気だるくて頭がうまく働いてくれない。 ぼうっとしてカーテンから漏れる月の光を眺めていると、背後でドアの開く音がした。 「ジョウイ……起きたのかい」 その声の主を判別した途端、記憶が蘇ってきた。かっと耳が熱くなり僕は跳ね起きたが、次の瞬間には痛みに悲鳴を上げていた。 「無理をせずに寝ていた方がいいよ。……血が、少し出ていたからね……」 誰のせいだ、誰の!? やりきれない気分でつっこむ気にもなれず、僕は小さく呻いて毛布に顔を埋めた。 トリスラントは僕の分らしい夕食と灯りを乗せたトレイを脇の机に置き、出て行くのかと思いきやそこに留まっている。 どうしたのかと訝しんでいると、彼は言い難そうにずいぶんと逡巡しながら視線をさまよわせていた。 「ところでジョウイ、……その……」 なぜだか途方に暮れたような、奇妙な声だった。 「……君、本当にはじめてだったの?」 「――――――」 僕は怒りのあまり眩暈を感じるほどだった。 「……言いませんでしたか……?」 「……そうだったね」 トリスラントはなんとも言いようのない複雑な表情を浮かべて立ち尽くしている。さっきまでの高圧的な態度はどこへやら、僕としては気味悪ささえ感じる。 胸のあたりで何度も指を組替えながら、トリスラントは言葉を探しているようだった。 「えと、その……セックスもはじめてだった……?」 この人は僕を一体なんだと思っていたのだろう――― もう怒りどころか、脱力するしかない。 「……これでも妻帯者ですよ……」 「…………そうだったね……」 彼が背中にどんよりとした重たい空気を背負っているように見えるのは、気のせいだろうか? 何か尋ねるべきだろうかと考えあぐねていると、ユーナクリフとナナミが賑やかに飛び込んできた。 「ジョウイ!急に具合悪くなったって、大丈夫なの!?」 「それで今日釣りに行かなかったのかい?ダメだろ、調子悪かったなら言わなきゃ!」 なんやかやと世話を焼きたがる二人に、苦笑しながらもほっとする。 トリスラントはそれ以上何も言わず、部屋を出て行った。 どちらかといえば落ち込むべきは僕じゃないかとも思うのだが、なんだかすっかりタイミングを逃してしまった。 一体、何だったのだろう。 謎が解ける日がくるかどうかは、未だ謎である。
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ジョウイだけではなく、 これだけでは、
なにがなんだかさっぱりわかりませんね―――
次は坊ちゃん編です。
少しは謎が解けるかなぁ…