見えない暗号
つれない恋人を持ってしまった者の悩みは深く。 やっぱり昔から一緒にいる幼馴染たちの間に入るのはほんの少し気が引けて。些細なことに心が荒れてしまうのは悔しく、かといっていちいち対抗するのも大人気ない。 だから、ちょっとした意地悪に謎かけをひとつ。 秋色に染まった木立を見上げ、トリスラントは大きく張り出した根元にごろりと転がった。 まどろみの海の中から、ぽかりと意識が浮き上がる。 瞼を上げると萌黄色の木漏れ陽がさらさらと揺れた。最後に見た太陽は中天にあったが、今はほんの少し傾いている。 「――――?」 地面に投げ出したままの脚に重みを感じて首を動かし、トリスラントは目を瞠った。自分の膝にもたれて一人の少年が寝息を立てていたのだ。 背を丸め、口元には淡い笑みが浮かべて。くせのない金の髪が一筋ほつれて白い頬にかかっている。 「ジョウイ……?」 静かに声をかけてみたが彼は穏やかな呼吸を繰り返すだけ。 うたたねを始める前には、確かに彼はここにはいなかった。自分が眠ってしまった後に来て、起こそうともせずに、彼まで眠ってしまったのだろうか。木に寄りかかって少々無理のある姿勢でいたため、本当を言うとトリスラントは立ち上がって身体を伸ばしたかったのだが、ジョウイがあんまり気持ちよさそうに寝ているので動いて起こしてしまうのも忍びなかった。 仕方がないので強張った背中を我慢して寝顔を眺めることにする。初めて出会った頃の、不信感丸出しだった彼からすればびっくりくらいにやさしい顔。懐かない猫がすり寄ってきたような気分だ。今の自分はさぞ鼻の下が伸びているのだろうなと思う。 「……ぅん……」 そっとほつれた髪を撫でつけてやると、ジョウイがかすかに身じろいだ。手を引いて様子を伺ったがそれ以上の反応はなく、再び規則正しい呼吸が戻ってくる。 彼の眠りを妨げないですんだことにほっとした、その刹那に。 「…………トリス……」 心臓を掴まれたように固まってしまった。 彼がこの瞬間に目覚めたりしないよう願いながら、トリスラントはゆるゆると手を上げ口元を抑えた。こんな顔、ジョウイには絶対見せられない。 吐息に紛れてしまいそうな唇のわずかな動きが、確かに自分の名前を紡いだ。たったそれだけのことで。 トリスラントは苦笑を漏らして天を仰いだ。 「まったく……重症だな、僕も」 膝を揺らさないよう細心の注意をしながらトリスラントは静かにジョウイの手を取った。ゆっくりと覆い被さり、額に、瞼にやさしいくちづけを落としてゆく。 やがて薄く色づいた唇を探り当てたとき、ふっと青灰の瞳が現れた。 「あ……?」 「おはよう、ジョウイ」 はじめぼんやりと視線をさまよわせていたジョウイだったが、数瞬の後に状況を把握し慌てて身を起こそうとした。しかしトリスラントの腕に胸を押さえられていたために、ただもがくだけに終わる。暴れるだけ暴れたところで相手が面白がるだけなのが分かっているので、反対にだらりと力を抜いた。 「……離してください」 トリスラントはくすくす笑って身を起こした。 「別に、そのままでいてくれてもいいよ」 「結構です」 ついつっけんどんになってしまうのは朱が浮かんでいるだろう自分の顔を見られたくないからだ。いらない見栄だといつも思うのだけれど。 「なんだ、君も昼寝しにきたわけじゃないのかい」 「そんなわけないでしょう。……本当はあなたを探しにきたんですけどね」 無防備な寝顔に、なんとなく起こすのが勿体なくなってしばらく眺めていたのがいけなかった。丘の上にぽつぽつと立つ木々は金色に色づきはじめており、吹き抜ける風や木漏れ陽があんまり心地よくて眠りを誘われてしまったのだ。なんとトリスラントの膝を枕にして。 起き上がると、トリスラントは体勢を変えて伸びをした。 「ユノとナナミは来なかったんだ?今日は一緒に出かけたんだろ」 ふと口の端を上げ、ジョウイはポケットから一枚のメモを取り出して見せた。 「これがありましたから」 「……ああ。それ、見たんだ?」 「ええ、まあ。暗号のつもりですか」 「暗号にするつもりならこんなにあからさまに書かないよ」 トリスラントは首を傾げた。メモに書かれているのは本当に単純な言葉だったのだ―――『東側の丘 桜の木』。 単に今自分がいる場所を書いただけだ。暗号と呼ぶにはあまりにも単純で直接的に思える。 だがジョウイは意味ありげに笑みを深めた。 「充分ですよ。ちゃんと隠された意味まで読み取りましたから」 「隠された意味?」 きょとんとしているトリスラントに、まるで秘密を打ち明けるように声を落とす。 「探しに来て、見つけて欲しいって―――他でもない、この僕に」 メモがあったのはジョウイのベッドに置かれた見慣れない本の表紙の裏。 自分以外の誰が気づくだろう。ユーナクリフやナナミではなく、グレミオでもなく。ジョウイだけに。 メモを見つけたときには嬉しくてくすぐったくて、なんでもない風を装って誰にも告げずに暗号の主を探しに出た。 トリスラントが呆気に取られていると、ジョウイは笑みを消してわずかに睫毛を伏せた。 「……そう思って良いんでしょう?」 自惚れてしまいたかった。けれど最後の最後で自信が持てず、生真面目に問いを付け足す。 悪いと思いつつもトリスラントは笑ってしまった。ジョウイは少しの憤慨と、否定されなかったことへの安堵を込めてやさしく睨みつけてきた。 トリスラントは軽やかな笑い声を立てながらするりとジョウイに腕を伸ばした。 「そこまで分かっているんなら、いいかげん気づいてもいいんじゃないかな?」 「え……」 持ち上げられた自分の左手に初めて目を向け、ジョウイは言葉をなくした。 午後の陽射しを受けて薬指にきらめいているのはシンプルな銀の指輪。華やかさがあるわけではないが、しなやかな指にしっくりとはまっていた。 「受け取ってくれるよね、ジョウイ」 トリスラントが左の手袋を外せば、同じ指輪が薬指を飾っている。ジョウイはと言えば、ばかみたいにぽかんと口を開けたまま何も言えないでいた。 上機嫌の微笑みとともに腕を引っ張り、トリスラントは恋人を引き寄せた。さしたる抵抗もない身体と、これ以上ないほど真っ赤になった顔が彼の答えを代弁していた。 おずおずと、けれど力の篭った腕が背に回されて、互いのぬくもりが重なる。 「よかった。こんなものいらないって言われたらどうしようかと、実は思っていたんだ」 「……嘘を言わないでくださいよ。くそ、こんなのずるすぎる……本当にあなたって人は」 低い声が耳元で毒づくのもむしろ快いくらいだ。トリスラントは嬉しさと愛しさと、ほんの少しの意地悪が混じった気持ちでジョウイの朱が刷かれた眦に唇を寄せた。 「本当さ。君に関しては僕はけっこう悲観的なんだよ?なにしろ君を独占するにはユノやナナミっていう強力なライバルがいるし、君だっていつまでも敬語をやめてくれないしね」 ジョウイは虚を突かれて言葉を呑み込み、苦笑混じりに軽いキスを返した。 「もう癖になっているから難しいかもしれないけど。努力するよ」 甘やかなくちづけを交わし、ぴったりと寄り添って。 旅の仲間たちが彼らを探し回り呼びに来るまで、二人はそうしていた。 |
大変お待たせしてしまったキリ番リク「とろけそうにラブラブな坊ジョ」です。
思えばこの二人で混じりけなしラブって書いてなかったですよね。
初めから目指していたのはラブラブだったはずなのに…
いざラブを書こうと思うとなかなか難しいのが坊ジョのようです。
坊ちゃんが暴走している…;
多分グレミオあたりが後で探しに行ったんでしょうけど、
私はこんな奴ら呼びに行きたくありません。勝手に帰ってきなさい(砂吐)