教えてあげる
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二重人格ではないか、とクリスは思う。 さもなければ、彼の被っている猫は大きすぎる。 「綺麗な月だねぇ」 「そうだな」 深夜の甲板には人気もなく、湖の上を走る涼しい風が銀の髪を乱す。 「でも、月よりもクリスさんの方が綺麗だよ」 「……棒読みだぞ、ヒューゴ」 冷徹なツッコミに、元々嘘くさくヒューゴの顔に張り付いていた笑みはとうとう崩されてしまった。 「せ……せめて喜べとは言わないから照れるくらいしてくれよ……俺死ぬほど恥ずかしかったのに……」 毎度誰に炊きつけられてくるのやら。クリスは呆れ返って溜息をついた。自分と彼の関係を知っている人物など限られているので、大体の予想はつくけれど。 そういう歯の浮くようなお世辞ならパーシヴァルあたりに散々言われているので、今更照れるようなものでもない(中にはお世辞でないものも多分に含まれていたのだろうが、クリスにはそれに気づくほどの甲斐性など皆無である)。それよりは、歳相応なのか、民族的な気性なのかはわからないがヒューゴの率直ですなおな言葉の方が好ましかった。 「ロミオ様は舞台を降りると照れ屋になるんだな」 冗談めかして小さく笑うと、ヒューゴは赤い顔で睨みつけてきた。男らしさよりは幼さが幾分勝っている顔立ちに、その表情はよく似合う。 「あれはお芝居じゃないか。本気であんなセリフ言えないよ。クリスさんだって、ジュリエットは可愛らしく恥らっていたよね」 「かわいらしくはじらっていた……?」 あのひどい大根劇のどこを見ればそんな風に解釈できるのだろうか。嫌な記憶にクリスは眉間を寄せ、二度と舞台になど立つものかと決意を新たにした。 可愛らしいと言うのなら、目の前で拗ねたように膝を抱えている少年の方が可愛らしいと思う。と、以前本人に言ったら「嬉しくない」と大層怒られたので口には出さないが。 「あーあ。クリスさん、あなたはなぜクリスなの?」 「はあ?」 「ジュリエットの気持ちが少し解る気がするなぁ。なんでクリスさんはクリスなんて名前で、ゼクセン人で、騎士団長なんてやってて、俺より背が高くって年上なんだろう」 「……そんなこと言われても」 クリスは憮然と呟いた。 他のことはともかく、別に好きで背が高いわけでも先に生まれてしまったわけでもない。彼がそのあたり随分気にしているようなのを知ってはいるものの、どうしようもないことだし自分に責があることでもない気がする。 「でも、もしクリスさんがカラヤ族で、俺より年下のふつうの女の子だったりしたら、今こんな風になっていないよね。やっぱりクリスさんはクリスさんだからいいんだよ」 独り言のように話していた少年の草原の色をした瞳が突然まっすぐ向けられ、クリスの心臓が跳ねた。 「だから俺、クリスさんが好きなんだ」 クリスは言葉を失って、そして一気に血が逆流した。 「……どうしたの、真っ赤だよ?」 これは危険な展開だ。 まずい、やばいと心に警鐘が鳴るけれど、うまく話を逸らす術もなくて俯くしかない。 ヒューゴの率直な言葉は好ましいけれど、率直過ぎるのも困りものだ。慣れていないから、どうしていいかわからないのだ。 「クリスさんって可愛いね」 「な、なにをばかな……ッ」 毒づこうとした唇は、次の瞬間奪われていた。 ここまではいい。キスくらいならどうということはない。けれど、この後に来るものの予想がついてしまい、クリスは慌ててもがいた。 少年は素早かった。口内に侵入され、息苦しさに涙が滲む。 「クリスさん……」 熱い吐息の合間に名を呼ばれてぞくりと肌が粟立った。 ここで取り乱せば彼の思うつぼだ。分かってはいるのだが、意に反して足元から力が抜けてゆく。 甲板の狭い段差には、二人並んで腰掛けるともう逃げ出せるほどの隙間もない。クリスの背は簡単に、板敷きの床に押し付けられてしまった。 襟の合わせが解かれ、白い胸の谷間に涼しい湖の風が吹き込んだ。 もっと脱がせにくい服を……騎士団の制服か、いっそいつもの鎧を着込んでくればよかった。後悔しても後の祭りだ。 「ヒューゴ!こんなところで何をする気!?」 「しーっ、騒ぐと聞きつけられちゃうよ。今なら誰もこないから」 こないからなんだと言うんだ。クリスは血が上ってくらくらする頭をなんとか支えるしかなかった。 湖の冷気を含んだ空気が素肌を撫でる。こんなところで。どうしよう。と、戦場で生死の合間に一瞬の決断をしているはずの女騎士は、今や軽い恐慌状態の中で思考能力を失くしていた。 ヒューゴは露わになった豊満な胸の感触を両手で弄んだ。何が楽しいのだろうとクリスはいつも不思議に思うのだが、彼はこれが気に入っているらしい。舌を這わされ、先端の突起に軽く歯を立てられると、微妙な刺激に思わず身じろいでしまう。 「ん……ふ……」 微かに漏れた吐息を耳聡く聞きつけ、ヒューゴは顔を上げた。 「気持ちいい?」 下唇を舐める様が妙に艶かしくて、妖しい光を帯びた瞳に射すくめられたように動けなくなる。 何も答えられないでいるうちに、褐色の指が腹部の肌を滑って衣服の奥に潜り込んだ。 「い、いやっ……」 慌てて膝を閉じようとしたが、既にその間に少年の身体が割り込まれていることに気づき愕然とする。 衣服は更に乱され、月明かりに大腿までが白く浮かび上がった。とんでもない光景にクリスはいたたまれない気分になった。 下着の薄い布一枚を隔てて撫で上げられ、びくりと大きく震える。 「クリスさん、濡れてるね……感じてるんだ……」 「いや……ぁっ……」 敏感なところに触れられると堪えたくても息が乱れ、うまく言葉が紡げない。力なく首を振るクリスをよそに、ヒューゴは秘部を隠す最後の一枚までも取り去ってしまった。 「あっ……!」 熱くなった下肢の深いところに指を突き入れられ、クリスは背を逸らせた。 「や、だ、だめ……そこはだめっ」 必死で抗議しているのに、ヒューゴは涼しい顔でますます責め立てた。 喉から胸のすべらかな膚に紅い跡が散らされ、その度に甘い痺れが背筋を走る。しばらくは襟の開く服は着られないな、と場違いな考えが意識の隅をよぎった。 「あぁっ……だめだっ、て……!」 「クリスさんは気持ちよければいいほどダメって言うね。ここだって本当はいいんだろ?すごく絡みついてくるよ」 「そん、な……こと……言わなっ……」 恥ずかしさに耐えられなくなってクリスは顔を覆った。だがヒューゴは無情なほどクリスのしたいようにさせてくれない。 「隠さないで。クリスさんの顔が見たい」 力の入らない腕は簡単に外されてしまった。 翡翠の視線に晒されるには、今の自分はきっとあまりにも無防備に浅ましくいやらしい心が暴かれてしまっている。せめて目を合わせないように、震えながら瞼を固く閉じるしかできなかった。 「クリスさん、すごく可愛い……」 「……うそつき……っ」 「そういうことばっかり言う。もう入れるからね。すごく可愛いから、我慢できないんだよ」 「……!……あ、あぁっ……!!」 逃げようとする腰を思い切り引き寄せられ、奥を深く穿たれてクリスは悲鳴を上げた。 泣いているような上ずった声はまるで自分のものとは思えず、こんな情けない声を人に聞かれたくはなかった。 揺れてぼやけた視界に褐色の膚が映る。まだ幼い顔立ちに、獣のような欲情を光らせている翡翠色の瞳。 さっきまで照れたり拗ねたりしていた可愛らしい少年はどこへいってしまったのだろう。 これが同一人物だなんて、どうにも納得がいかなかった。 「も……もぅっ……ヒューゴ……」 「もう、何?いっちゃいそう?いかせて欲しい?」 「ち……」 違う。クリスは絶望的に泣きたい気分になる。確かに身体は感じきっていてどうしようもないのだけれど。 もうだめとかもう嫌とか、どうせ言ったって聞いてはくれないのだし、とにかく恥ずかしくてもう死んでしまいたい。 「俺も、もう限界……ね、クリスさん。一緒にいこう?」 7つも年下の少年に為すすべもなく翻弄されて、あられもない格好をさせられて、恥ずかしい声を上げさせられて。こんな自分が存在するなんて誰が想像しえただろう。自分自身が一番信じられない。 ひときわ強く突き上げられクリスは高みに上り詰めた。 びくびくと痙攣する身体にはまったく力が入らず、ヒューゴが支えてくれなければ段差から落ちてしまいそうだ。優しいんだか意地悪なんだかよくわからないな、と少しずつ溜まった熱を吐き出しながらクリスはぼんやり目の前に揺れる金の髪を眺めた。 見上げてくる顔には戻ってきたいとけなさと熱の余韻が入り混じっている。 「あー……気持ちよかった」 「おまえなぁ……」 クリスは呻いた。 場所柄を考えろとか嫌だと言っているんだから聞けとか、色々言いたいことがあるのだがどう言えば一番効果的だろう。言葉を捜しているクリスに、ヒューゴはさすがにまずいと思ったらしい。 「ご、ごめん……クリスさんを見てたら我慢できなかったんだっ……」 「だからといってところかまわず盛るな!少しは我慢しなさい!」 ぴしゃりと言われてヒューゴはうなだれ、クリスが手早く衣服を直すのを名残惜しげに見ていた。 「クリスさんだって気持ち良さそうにしていたくせに……」 「殴られたいのか?」 「俺が悪かったですごめんなさい」 まったく、おとなしくしていれば可愛いのに。なんだって事に及ぶと途端に強引で意地悪になるのだろう。 けれど、とクリスは思う。 もしも彼がただのおとなしい少年で、自分を女として意識していなかったなら、自分もきっと彼を男として意識しなかっただろう。こんな風に―――恋、と呼べるような感情はきっと持ち得なかっただろう。ほんの小さく苦笑が浮かんだ。 ヒューゴはまだ不満げになにやらぶつぶつ言っている。 「……我慢しろったって……。酷なこと簡単に言うよなあ」 「いやらしいことばっかり考えていないで、若者らしく勉学と鍛錬に励めばいいんだ」 ふん、と鼻を鳴らして言い放つと、ヒューゴは非難がましい視線を向けてきた。 「エッチで悪かったな。女の人はいいかもしれないけどさ。言っとくけど俺くらいの歳の男はみんなこんなものだよ」 「え……」 クリスは城内で見かける10代の少年たちを思い浮かべた。 「そ、そうなの……?」 考えてみれば、クリスがそのくらいの歳だった頃には周囲に同年代の少年などいなかったので、いまいち彼らの実態が分からなかった。現在だって身近にルイスがいるくらいだが、彼は言わない方が良いことをよくわきまえているので本音は果たしてどうなのか、想像がつかない。 誰も彼もがヒューゴの言う通りなのだとしたら空恐ろしいような気がする。そこかしこに大きな猫ばっかりだ。 思春期真っ盛りの少年代表はにやりと笑った。 「そうだよ。俺知ってるもん、シーザーだって毎晩アップルさんのこと考えてしてるんだぜ」 クリスは生真面目に彼の言葉に考えを巡らせ、そして難しい顔でどこまでも生真面目に尋ねた。 「……してるって、何を?」 「…………」 脱力したヒューゴが立ち直るまで、15秒。 「クリスさんは男についてもうちょっと勉強した方がいいよ……じゃないと危ない……」 「何が危ないって?ねえ、シーザーが何をしているの?」 戸惑ったクリスが無意識に近寄ると、腕を掴まれ彼の方に引き倒された。 「ヒューゴ……っ!?」 上げかけた抗議の声は素早く唇で塞がれる。 折角きっちり結んだ合わせの紐を再び解きながら、ヒューゴは半ば据わった目でクリスに宣言したのだった。 「実践で教えてあげるよ」
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