ヒュークリBBS連載
お絵かきBBSにて連載していた超いきあたりばったりSSです。
(連載期間2003/11/16〜2005/1/15)

第1話
 今日のヒューゴはご機嫌だった。
 それはなにぶんにも、クリスとデートの約束をしているから。
 なにかと忙しいゼクセン騎士団長にようやく休みを取って貰って、ヒューゴは張り切ってデートの計画を立てたのである。
 段取りはもう、ばっちり。ダッククランの宿まで予約を取って夜の準備まで万端である。
 ビュッデヒュッケ城の広場を浮かれた足取りで歩く少年に、声を掛ける者があった…。

第2話
 声を掛けてきたのは魔法使いの少年ロディだった。
「あっ!ヒューゴさん、良いところに!」
 ヒューゴは思わず怯んだ。
 別にヒューゴはロディが嫌いなわけではない。同年代ということもあってそれなりに親しいし、天真爛漫な性格も嫌味がないのでまあ好ましいとは思う。
 ただ、彼の背後にいる人物が問題なのであって。
「これをどうぞ!お師匠様に教わって背が高くなる薬を作ったんです」
 と、満面の笑みと共に差し出される一本の瓶。
「うっ……」
 あやしい。
 見るからにあやしい。
 しかし、いかにも人の好いロディの笑顔を前に、無下に断るのも難しい。
「……えーと……あ、ありがとう……」
 躾の良いカラヤの少年は頬を引きつらせつつ瓶を受け取ったのだった。


第2.5話

 待ち合わせのレストランに来たヒューゴは瓶を手に悩んでいた。
 我が身の安全を考えるなら、この薬は絶対に捨てた方がいいと思う。
 そうは思ってもなかなか躊躇いを振り切れないのは、ロディが言った『背が高くなる』という言葉のせいだ。
 真実性はめちゃめちゃ低いが、もしも、一千万が一にも本当に効果があったりしたら……?
 瓶を見つめて唸るヒューゴの耳に、待ち望んでいた声が聞こえてきた。
「待たせたな、ヒューゴ」
 喜びに顔を輝かせ、振り返ったヒューゴが見たもの、それは……

第3話
「クリスさん、どうしたのその格好…!?」
 見慣れない服装のクリスに、ヒューゴは驚いた。
 クリスは言いにくそうに視線を落とした。
「いや、その…これが一応私服なのだが……」
 多くのゼクセンの女性がそうであるように、今のクリスは襟の深いブラウスと長くてゆったりとしたスカートを身に付けていた。さすがに名家の娘らしく、見るからに上等な仕立てである。
 しかし普段の彼女なら、私服とは言っても女性らしいシルエットの柔らかいブラウスより分厚く丈夫な布地の上着を着ただろうし、優雅に脚を隠す長いスカートより動きやすいズボンを選んだだろう。
「やはり着慣れないものを着ると歩きづらいな。それにこんなの、私には似合わないし……」
 クリスは困った顔で、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「すまない。私は、その……デートなんてしたことがなかったものだから、どういうものを着たら良いのか分からなくて。リリィに訊いたらこうなってしまったんだ」



第3.5話

「そんなことないよ!すごく似合ってるよ」
 ヒューゴはぶんぶんと首を振った。
 普段見慣れない、お嬢様らしいクリスの姿は新鮮だったし、なにより自分のためにあのお堅い騎士団長が女性らしい姿を選んでくれたのだから、嬉しいことこの上ない。
「そ、そうかな……」
 照れているのかうっすらと頬を染めているのも可愛らしいと思う。
 ああ、今日というこの日にデートができて良かった。ヒューゴは幸せを噛み締めた。
「ところで、ヒューゴ。その瓶は何なんだ?」
「…………」
 幸せに緩んでいた顔が瞬間的に凍りついた。



第4話
 咄嗟のことにヒューゴの心には一瞬の葛藤の嵐が吹き荒れた。
 素直にこの瓶についての経緯を話すべきか?
 だが好きな女性に自分が背丈のことを気にしているなんて知られるのは、あまりにも格好が悪いではないか。
 ヒューゴの手は素早く後ろに回っていた。
「……な、なんでもない」
「…………」
 当然のごとく、返ってきたのは菫色の、不信に満ちた瞳だった。
「なんでもないなら見せてくれてもいいだろう?」
「いや、その、別に面白いものでもないし」
「面白いかそうでないかは私が決めることだっ」
「断言するけど絶対面白くないっ」
 隠そうとするものほど気になるのが人間の性。
 後ろを覗き込もうと左右から攻めてくるのを、ヒューゴは身を捩りながら避けた。
 更には身長差を利用して上から覗き込もうとしてくる。必死に背を反らせると、クリスは焦れた様子で一歩踏み出した。
 が、それが失敗の元。
「うわ……」
「げっ……」
 普段着慣れない長いスカートが脚に絡まり、クリスは大きくバランスを崩した。
 二人分の悲鳴がレストランに響く。
 折り重なって倒れた二人が起き上がる動作は妙にのろのろしていた。
「…………」
「……ご、ごめん……」
 クリスの銀色の髪と白い顔は、ぐっしょりと濡れていたのだった。



第4.5話

 そこへ悲鳴を聞いて駆けつけてきた複数の足音。
「クリス様っ!」
「クリス様、大丈夫ですか!?」
「さあ、このタオルをお使い下さい……」
 金属ががちゃがちゃ鳴る音に、ヒューゴはげんなりした。
 ゼクセンの誉れ高き六騎士(と、騎士団長の従者)が、仕事も放り出して何をしているのだか。
 この人たちは……絶対どこかに隠れて様子を伺っていたに違いない。もちろん『銀の乙女』とのデートに、それくらいの障害がないはずがないと分かってはいるけれども。
 体格の良い男たちに見下ろされてヒューゴは憮然としていたが、とにかくクリスと二人きりになれるように、どうにかこの包囲を突破しなければと周囲に隙を探す。
 そのとき、ヒューゴの胸元をがしっと掴む手があった。




第5話
 地面に引き倒さんばかりの勢いでヒューゴの胸倉を掴んだ腕は、その力強さに似合わぬ細くて白い腕だった。
 振り返ると、クリスがなぜか切羽詰った顔で見上げてきている。
「ど……どうしたのクリスさん?」
「いや、その……私もよく……わからないんだ……が」
「え?」
 紫の瞳に凝視され、ヒューゴはどぎまぎした。
 ―――というか、なんか。……なんとなくヤバイ気がするんですがクリスさん。
 なんでほんのり頬が染まっていて、見上げる目が潤んでいるんですか。必要以上に身体が密着していて、大きく開いた襟元が強調されている気がするのは気のせいですか。
 思わず固まってしまったヒューゴには、見つめ合う二人の周囲からブーイングが起こっているのも聞こえない。
「ヒューゴ……あの、わ、私……」
「な、何……?」
 擦り寄ってくる柔らかなふくらみに、ヒューゴはどうしていいのか分からなくなって本能的に後じさりしようとしたが、すんなり逃がしてくれるほどゼクセン騎士団長の腕は甘くなかった。
「なんで逃げようとするんだっ……」
 いや、なんでって。
「クリスさんこそなんでそんなに近寄って来るんだよ!?」
「知らん!」
 とうとうヒューゴは押し倒されるような形でクリスに抱きつかれてしまった。
「よくわからないがとにかく今すごくヒューゴに触りたいんだ!!」



第6話
 この爆弾発言にいきり立ったのは周囲の男達である。
「ク、クリスさま!何をおっしゃるのですか!」
「けっけっけしからぁんっ!!」
「おのれぇ、蛮族!クリス様から離れろーーー!!」
 騒いでいる者はまだ良い方で、物騒にも弓を構えているエルフなんかもいたりする。
 生命の危機を感じて冷たい汗を流すヒューゴ。
「待ちなさい!」
 そこへ、喧騒を割るように強い声が響いた。
「皆、落ち着きなさい。ヒューゴ殿、これはどういうことなのですか」
 よかった、ひとりでも冷静な人がいた。
 天の助けとばかりにヒューゴはサロメを振り仰いだ。
 ……が、しかし。
「さあヒューゴ殿、クリス様に何をされたのですか……答え如何によっては……」
 ―――って全然冷静じゃないだろこの人!
 ヒューゴは泣きたい気分で、ヤケになって叫んだ。
「しらない!ロディに訊いてくれよ、きっとあいつの作った薬のせいだ!」
 その声に男達の動きが止まる。
「ロディ?」
「あの魔法使いの少年か」
 さっと顔を見合わせると、騎士達はすぐに行動を開始した。サロメが範囲を指示し、他の者は慣れた様子でてきぱきと捜索に取り掛かる。
 サロメを残して彼らがいなくなるまで1分とかからない手際の良さにヒューゴがぽかんとしていると、敵(?)がいなくなった隙を狙ったようにクリスが動いた。



第7話
「あ…!?」
 サロメが気づいたときには遅かった。
 小柄な少年を脇に抱え、揺れる銀の髪がものすごい勢いで遠ざかってゆく。
「く、クリス様―――!?」
 驚いたのはヒューゴも同じだ。
 クリスの行動はさっきから予想もつかないことばかりだ。
 いや、それ以前に自分より背が高いとはいえ、女性に抱えられて足が地に付かないこの状況は、ヒューゴにとってなんとも屈辱的だった。
「クリスさん!降ろしてくれよ!!」
 舌を噛みそうになりながら叫んだが、返答はなかった。
 脚にまとわりつくドレスを着た上人一人抱えているというのに、後ろから追いかけてくるサロメの声はどんどん小さくなってゆく。
 ロディ…あいつ一体どんな薬作ったんだよ……
 ヒューゴは空恐ろしくなって振り落とされないよう身を縮めるしかなかった。



第8話

 激しく揺れる視界に、手も足も出しようがない。
 耳元で聞こえる息遣いがだんだん苦しげになってきて、ヒューゴは不安に駆られた。
「だ、大丈夫!?クリスさん!いったい、どこに、行くつもりなんだよ?」
「……、……こ……っ」
 クリスの呼吸は声になりきらない。
「え、何!?」
 その瞬間向けられた瞳は怖いくらい切迫した鋭い光を放っていた。
「二人っきりになれるところだ!!」
 とても普段の彼女からは考えられないとんでもない発言に、ヒューゴの思考が停止する。
 そのため、危険を察知するのが遅れた。
「あ、危ない!」
 クリスは開放されている勝手口から城の内部に入ろうとしたのだろう。しかしあまりにスピードがつきすぎていたため、軌道修正がきかなかったようだ。
 警告は間に合わず、二人はこの間補修されたばかりの城の壁に、ヤザ平原のイノシシもかくやという勢いで思いっきり突撃したのだった。
 ヒューゴは肩やら腕やらをしこたま打って、芝生の上に投げ出された。
「いってぇ……!」
 くらくらする頭を振って目を上げると、隣にクリスがのびていた。とっさにヒューゴをかばった挙句頭から壁につっこんでしまったようだ。
「うわーっ!?クリスさん、しっかりしてくれよ!!」




第9話

 ヒューゴは痛む身体に舌打ちしながらクリスに這い寄った。
「クリスさん!」
 呼びかけても、返ってくるのは呻き声だけ。クリスはすっかり目を回しているようだ。
 そっと銀の髪をかき分けてみれば、立派なタンコブができている。
 偶然にも周囲に人はいなくて、手助けもなくて困ると言えば困るし、こんな間抜けた異常事態を吹聴せずに済んで良かったと言えば良かったのか。結論の出しようもない状況に情けない気分でヒューゴはどうにかクリスを助け起こした。
 フラフラしている彼女に肩を貸してよろけつつ城の中に入る。
 本当は格好よく横抱きに抱え上げていきたかったのだけれど、打った腕が痛かったのと、体格差が邪魔をした(おそらくこっちが理由のほとんどを占める、というのは認めたくないのだが)ので諦めた。
「うぅ〜…頭が痛い…」
「大丈夫?すぐに医務室に着くから」
 なるたけ優しく話しかけたが、クリスからぼそぼそとはっきりしない声で抗議が上がった。
「……嫌だ……」
「え?」
「二人っきりになれるところに行くんだって言っただろう?」
「……」
 どうしたもんだろう。ヒューゴは途方に暮れて天を仰いだ。



第10話
 ヒューゴがどれだけなだめすかしても、クリスは医務室へ向かってはくれなかった。
 それどころか、支えているはずのヒューゴの方があの怪力でずるずると引きずられていく始末である。
 城の地下にはいくつか倉庫となっている部屋があるが、その一室に二人は転がり込んだ。女性の柔らかさを持っているのにやたらめったら力強い腕で引き倒され、ヒューゴは蒼ざめた。
 のしかかってくる豊かな胸元。
「あわわ、くっクリスさん!?」
 こ、これはもしや、貞操の危機!?
 ……いちおう恋人同士としてそれなりの経験を経てきている間柄に貞操の危機も何もあったものではないが、この状況でヒューゴの心中は、悪漢の手で暗がりに連れ込まれたいたいけな少女のそれだ。
「うわああクリスさん!!だ、ダメだよこんなところで!!」
「人がいるところで……こんなことできないだろう……」
 妙なところに理性が残っていたらしいクリスは、白い腕を少年の背に回した。
 良い香りのする髪が首筋に寄せられ、うっとりと伏せられた瞼がカラヤの文様に重ねられる。
 うわーうわーうわー!!!
 頭の中に意味を成す言葉が浮かんでこない。
 ぎゅっと目をつぶって身体を固くしているヒューゴの耳に、やけに能天気な声が入り込んできた。
「あー気持ちいー」
「……あ?」
 予想外の言葉に目を開けてみると、クリスが微笑みを浮かべて胸にすりすりと頬擦りしていた。
「なんかもうすごくヒューゴに触りたくてしょうがなかったんだ。……人前じゃこんなことできないし」
「……えーと」
 クリスはすっかりご機嫌な様子でぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
 そしてちょっと身を離したかと思うと、上目遣いになって首を傾げた。
「なあヒューゴ?」
「な、なに?」
「ちょっと服を脱いでくれないか?素肌の方がもっと気持ちいい気がする……」
 ぶっつん。
 頭の中でなにかが切れた音がした。
 ヒューゴは思いっきり腕と背中に力を入れ跳ね起きた。
 突然体勢を逆転されたクリスがきょとんと見返してくる。
「ああもう、俺にだって我慢の限界はあるんだからな!」
 引き剥がすような勢いで自分の上着を脱ぎ捨て、ヒューゴはクリスの肩を床に押し付けた。
「薬のせいとはいえ言ったことに責任はとってくれよ、クリスさん」




第11話
 クリスはヒューゴの言葉の意図を理解できなかったらしく、きょとんとしている。
 抵抗がないのをいいことに、ヒューゴはクリスの上に馬乗りになった状態で自分の服を脱ぎ捨て、次にクリスの襟に手をかけた。
「なにするんだ?ヒューゴ」
 この期に及んでそんな無邪気に質問するか?
 薬のせいで極端に警戒心が薄くなっているのかもしれない。いつもなら脱力しているところだが、いったんキレたヒューゴには、火に油を注ぐようなものだ。
「素肌の方が気持ちいいって言ったろ。素肌同士のほうがもっと気持ちいい」
「ふうん?」
 ……ふうん、ってあんたなぁ。ヒューゴは唸りながら、深緑のドレスのボタンを些か乱暴に外していった。真っ白な肌を覆う下着もずらして避け、現れた豊かな胸に指を伸ばす。
 くすぐったそうに笑いながらもクリスは嬉しそうだ。その滑らかな鎖骨を撫で、柔らかなふくらみに唇を寄せると、腕が背に回って引き寄せられた。
 密着した肌のぬくもりは確かに気持ちがいい。けれど、ヒューゴにとっては身体の奥の衝動を煽る激しい熱になる。
 ヒューゴはもどかしいくらいに急いた気持ちで彼女の衣服を乱した。ふわりとしたスカートは普段の彼女と違って簡単に侵入を許してくれる。
 白い脚に手を這わせ更にその奥へ進もうとした時、ためらいがちな声が上から降ってきた。
「……あの、ヒューゴ」
「ん?」
 先程までの、どこかとろんとした話し方とは違う。嫌な予感がする。
「ええと、ひょっとしてこの体勢は」
 どうしてこう、最悪のタイミングで理性というものが復活してしまうのか。ロディの作る薬などこれだから信用ならない。
 ヒューゴは顔を上げる気にもならなかった。 
「……やめないからな。今更」
「う、その、ちょ……ちょっとだけ待」
「待たない」
「……うぅー」
「気持ちよくしてほしいって言ったのはクリスさんなんだから。遠慮なく気持ちよくなってくれよ」




第12話

 一方、その頃誉れ高きゼクセンの騎士(見習い)は元凶となった少年の居所をようやく突き止めたところだった。
 魔法使いの弟子は師匠のいいつけをごく素直に実行し、『水魔法の強化のため』城の裏にある池に竹筒を咥えて潜っていた。発見したとき、ルイスはどれだけ筒の上部を塞いでやろうかと思ったか知れない。が、そうすると肝心なことが訊けなくなるので渋々ながら水を掛けるだけに留めた。
「ぶはぁっ!!ひどいなあ、溺れちゃうじゃないですか!?」
 今度から気をつけて下さいね〜と迫力のない抗議をするロディをすっぱり無視し、挨拶も抜きにして本題に入る。
「ヒューゴさんにあげた薬、あれは何ですか?解毒剤は持っていますか?」
「ええと、背を伸ばす薬のことですか?あれは毒じゃないから解毒剤はありませんよ」
 きょとんとして返すロディ。
 クリスの背が伸びた記憶はない。例によって絶対騙されている、とルイスは確信した。
「……背を伸ばす以外に、どういう効果のある薬なんですか」
 ニコニコと嬉しそうに魔法使いは答えた。
「あれは元々は男らしさを上げる薬なんです。筋力と瞬発力の増強に効果があって、興奮剤も少し入っています。男らしさが上がるんだから、背も伸びるってお師匠様が」
 嘘だ。ルイスは額を押さえた。
 ロディは少しも悪びれず説明を続けている。それはそうだろう。迷惑極まりないことに、彼は心にやましいことなど何ひとつないのだ。
「副作用は軽い催淫効果です」
「……!!!?」
 ルイスは血相を変えて走り出し、そのためロディの説明の最後を聞きそびれた。
「でもこの薬、あんまり効果は長続きしないんです……」




第13話
 ルイスが慌てふためいて城下を走り回っている頃。
 クリスは困っていた。
 なにしろ身体に全然力が入らない。薬で強制的に筋肉を酷使した反動だろう。おまけにひどい眠気まで催してきた。
 のしかかっている少年は怒りのオーラを纏っていて、うかつに声をかけられる状況ではない。しかし彼の動きは性急に際どさを増してくる。
 甘く染まる吐息を聞かれるのがとんでもなく恥ずかしい。
 せめてまだあの怪しい薬が効いていれば、こんな気まずい思いをせずに済んだものを。
(わたしが何をしたって言うんだぁ……!)
 強く突き上げられ悲鳴を上げかけた時、扉の向こうに何かが聞こえた気がした。
 熱せられた身体が一瞬で強張り、声も呼吸も喉で止まる。異変を察知したヒューゴも動きを止めて、二人で耳を澄ませた。




第14話

 響いてきたのは板金鎧の立てる聞き慣れた金属音だった。それがいくつか集まってきて、扉の向こうで止まる。
「お二人は見つかったか?」
「いや……」
 隙間からかすかに漏れてくる声もお馴染みのもの。ヒューゴとクリスは息を殺して聞き入っていた。
「たっ大変です!ロディを見つけたのですが……」
 そこへもうひとつ、少し軽めの鎧の音が飛び込んできた。しばらくくぐもった音だけになり、そして―――
「さっ催淫効果ぁっっ!!?」
「ボルス卿、そんな大声で!騎士団の品位が疑われ……」
「そそそれでは今頃あの蛮族が!こっこともあろうにクリス様と!!不埒な行為に及んでいるやもしれぬということではないか!!!」
 ボルスが言い切ると、一瞬場が静まり返り、それからいくつもの怒号が上がった。
「捜せ、捜すんだ!草の根を分けても捜さねば!!」
 ヒューゴとクリスは顔を見合わせた。二人とも顔がこわばっている。
 こんなところ見つかったらヒューゴが殺される。マジで。
「地下の方はおおかた捜してしまったぞ。船の方はまだだが……」
「そこの扉は?」
 むきだしの背に冷たい汗が流れた。




第15話
 できることならこんな倉庫など無視して去って欲しい。祈りもむなしく、こんな声が聞こえてきた。
「ではここはボルス卿にお願いします。私たちは船の方を」
 よりによってゼクセンに名高い火の玉騎士か!クリスたちは悲壮な顔を付き合わせた。
 力の入らないクリスをどうにか引っ張って、ヒューゴは奥に積み重なった荷物の陰に二人分の身体を押し込めた。
 厚く重い木の扉が軋んだ音を立てて開いた。
「クリス様、いらっしゃいますか?」
 カシャ……カシャ……と足音が響くたび気が気ではなくて、奥へ奥へと身体を押し付ける二人。
 緊張に喘ぐ彼らの気も知らず、倉庫内をチェックしていたボルスだが、木箱や荒布の袋などが並ぶ地味な倉庫内の一角に鮮やかな色合いを発見し叫び声をあげた。
「ぬおッ!?こ、これは!!」
 それは華麗な文様が織り込まれたカラヤ族独特の衣服だったのだ。
 瞬間に若い騎士の頭をよぎった最悪の想像を推測するのは難くないであろう……手がかりを得たボルスは猛然と荷物をひっくり返しはじめた。
 顔色を失ったのは隠れているクリスたちだ。だんだんと近づいてくる恐怖の音に慌てふためいたクリスは、萎えた腕を必死に動かした。
「クリスさん、何する気なの?」
「しーっ!」
 とうとうボルスが荷物の合間からにょきっと顔を覗かせるたとき、ほぼ同時に濃緑のスカートが頭からヒューゴを包んだ。




第16話

 ボルスは熱愛する上司がしどけなく乱れたドレスの胸を押さえていることに気づいてしまい、激情のため顔を真っ赤に染めた。
「くっ……クリス様、な、なんというお姿に……!?あの蛮族め!!」
 暗い倉庫の中でどうやらスカートの下に隠された少年には気づかれなかったらしい。クリスはほっとしたものの、問題はまだ目の前から消えていなかった。
「違うんだ、ボルス。私なら大丈夫だから、ヒューゴには乱暴するなよ」
「なんと!やはりあの蛮族めに不埒なことをされたのですね!?」
「違うって!ヒューゴは何もしていない」
「しかし落ちていたこの服は……!」
「そ、それはだな……私が脱がせたんだ!」
 痛いほどの沈黙が落ち、ヒューゴはスカートの下で泣き出したい気分だった。自分の立場がどんどんヤバくなっている気がする。
 おまけに、幸いにもボルスの目からは隠れているものの、不自然な体勢になっていてかなり苦しいのだ。すべらかで引き締まった太腿の感触が押し付けられてくるものだから、精神的にも危険極まりない。
 お願いだから早く立ち去ってくれ、ボルスさん……
 だが少年の願いなど知る由もない烈火の騎士はますますヒートアップしていた。
「あの薬ですね!?あの薬のせいでっ!い、今すぐ医者にお連れします!」
「い、いいから!薬ならもう抜けてるから!」
「しかし!!」
「うわー近寄るなーっっ」
 伸ばされた腕を避けようと、なけなしの力で身を捩ったクリスの体重がもろにかかり、ヒューゴの背骨が限界を訴えた。
「……わぁっ!?」
 突然自分の下で少年が体勢を変え、力の入らないクリスは耐え切れずに転がってしまった。




第17話
 スカートの端から顔を現してしまったヒューゴは、開けた視界に金髪の騎士が映って身を竦めた。
 罵声を浴びせられるか、殴りかかられるか、最悪の場合斬りつけられるかもしれない。咄嗟に腕で我が身を庇おうと腕を上げる。
 だが、何も起きない。
「……?」
 怪訝に思って腕を下ろすと、ボルスは目を見開いて固まっていた。
 次の瞬間、ゼクセン人らしい色素の薄い顔が赤黒く変色したかと思うと、青年騎士は鼻血を噴いて後ろ向きにばったり倒れてしまったのだった。
「ボルス!?」
「ボルスさん!?」
 ヒューゴは慌てて起き上がり様子を確かめてみたが、とりあえずは気を失っているだけのようなのでほっとした。鼻血で気管がふさがると危険なので、重い鎧に四苦八苦しながらなんとか背を持ち上げて壁にもたれさせる。
 労働を終えて振り向いたところでヒューゴは納得した。
 クリスが先ほど転がってしまったために、なんともきわどい格好を晒してしまっていたのだ。乱れたドレスから覗く豊かな胸の谷間や、踝から太腿にかけての真っ白な肌。肝心な所はぎりぎり隠されていたが、ボルスには刺激が強すぎたらしい。
 二人は複雑な気分で顔を見合わせて苦笑した。




第18話
 こうして今回の騒動は、一つの教訓を残してとりあえずのところ収束したのである。

 その教訓とは、ロディが持ってくる怪しげな薬は絶対に信用するな、ということだ。

 数日の後、すっかり体調も元に戻ったクリスは、風呂場で湯船に浸かってくつろいでいた。
 例のごとく近寄ってきたのは派手な美貌の女魔法使いである。
「クリス、知ってる?カラヤでは毎年、この時期になると料理コンテストを開くそうよ」
「エステラさん……また嘘ばっかり言って」
 何度も騙された経験から、クリスはいい加減用心深くなっていた。
「本当よ。グラスランド全域から腕に自信のある人たちが集まってくるらしいわ」
「…………」
「これで優勝した女性をお嫁さんにするのは、カラヤの男性にとってそれはもう名誉なことなのだそうよ」
「…………」
「もちろんルシアは優勝した経験があるんですって」
「……わ、私は料理なんてできないし、関係ないから」
 ぼそぼそとクリスが呟くのを聞き逃すエステラではなかった。
 ここぞとばかりにどこからか一本の瓶を取り出してみせる。
「そんな貴女にはこれよ。一滴混ぜるとアラ不思議、たとえケシズミみたいな料理でも一流シェフ顔負けのごちそうに変身してしまうの」
「…………」
 なんだかクリスの眼差しが熱っぽい。
 すぐそこに身の危険が迫っていることを、ヒューゴは知る由もなかった。

 おしまい。