重い溜息をつく女性がひとり。
彼女は細身の身体に銀色の物々しい鎧を纏っていた。
そしてその重そうな鎧に負けないほど重い溜息がまたひとつ。
広い湖の水面はやわらかな陽射しを反射して波打っている。城に突っ込んだ形で施設の一部として利用されている船の甲板に彼女は立っていた。
隣には褐色の肌をしたカラヤ族の少年の姿があった。ヒューゴは眉を顰めて彼女の顔を覗き込んだが、これだけ近づいていてもどうやら彼女の目には入っていないらしかった。
一陣の風が銀の髪を揺らし、淡い吐息が薄紅の唇から滑り出る。愁いを帯びた横顔は、普段の毅然とした表情との差も相まって、はっとするような艶を帯びていた。
いつになく沈んだ様子に声をかけて良いものかどうか悩んだ末、ヒューゴは意を決して口を開いた。
「クリスさん……大丈夫?」
応えがない。よほど何かに気をとられているようだ。
あまりに尋常でないので、ヒューゴは不安に駆られもう一度呼びかけた。
「クリスさん」
ようやくぴくりと肩を震わせ、菫色の瞳が上がる。
だがその瞳にはいつものきつい光がなく、潤んで揺れていた。
「ああ……ヒューゴ」
ヒューゴの心臓が大きく跳ねる。
「ど……どうしたの?」
クリスは痛ましげに俯いた。
消え入りそうな声が甲板を吹きぬける風に零れる。
「……死んでしまったんだ……」
胸を突く言葉。ヒューゴは表情を改め、できるかぎりの誠実な態度で問うた。
「誰が?」
「…………が……」
「え?」
聞いたことのあるような名だが誰だっただろうか。記憶を辿ってみてもなかなか思い当たらない。
かすかに聞こえた名前は女性のものだったような気がするが、クリスがこんなに落ち込んでしまうほどの人物とは……。
そこへもう一人、がちゃがちゃと鎧の擦れる金属音を立てて駆け寄ってきた影があった。クリスをそのまま小型にしたような、重そうな鎧を纏った小柄な少女である。
「クリス様!!」
「セシルか……」
振り返ってみて、ヒューゴはうろたえた。
この城の警備隊長を努める少女の、普段なら快活にきらきらと輝いているはずの瞳。だが今は滂沱の涙が溢れ出していたのだ。
「クリス様ぁぁぁ……マリーンが死んじゃいましたよぅ……!」
少女の胸元に握られた震える拳をクリスは自分の手で優しく包み込んだ。
「ああ、セシル……あなたも読んだのね……」
「ううぅ……エークはあんなにマリーンを愛しているのに……可哀相すぎます!!」
「……えっと」
この瞬間、ヒューゴは状況にさくっと置いていかれた。
「元気を出して、セシル……マリーンのことは、残念だ……しかしエークはこんなことでへこたれるような男ではないだろう。マリーンもきっと遠くから彼を見守っている」
「クリス様ぁ……。そうですよね!!エークはまだまだピンチですもの。私も頑張って応援しなくちゃ!!ベーカーなんかに負けるな、エーク!!」
クリスとセシルは手を取り合ったまま、きっと顔を上げて遠くを見つめた。カラヤの少年の存在など忘れ去られているに違いない。
「…………」
小説『エークの大冒険』。
エークという男を主人公に彼の冒険を描いた活劇小説であり、マリーンは彼の恋人、ヒロイン役である。
ビュッデヒュッケ城の知る人ぞ知るひそかな名物・壁新聞、その中でも激烈に面白くないとの評判を得ている連載小説であった。
……意外と、ファンがいるもんなんだなぁ……。
作者が誰なのか、大体のあたりはついているのだが。
「あの人に言ったらきっと喜ぶだろうな……」
ヒューゴはぬるい笑みを浮かべ、盛り上がっている娘たちとは違った意味で遠くを見つめた。
その後。
マリーンが生き返ったということで大喜びしている彼女たちの姿が城の片隅で見かけられたとか。
なんとなく気になって連載を読み始めてしまったヒューゴはそんな自分に釈然としないものを感じつつも、ついつい最後まで読み通してしまったのだった。
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