戦友



 
 
 
 
 
 
 
 
 

 ハイランド軍人事局は連日、休む間もないほど働いていた。
 なにしろほんの短期間で皇王が二代も替わり、それに伴って人事は大移動したのだ。前皇王ルカ・ブライトの頃から貴族出身というだけで無能な指揮官は続々と職を失っていたが、新皇王はもっと厳しかった。その上度重なる戦で戦死者や負傷兵も多く再編成は困難を極めていた。
 目も回るような忙しさの中で書類の整理に追われ、室内に局員の姿はまばらだった。局長も机にかじりつくようにしてひたすら書類を書きつづけていたのだが、ふいに現れた人物を目にして椅子から飛び上がった。
「こ、皇王陛下!このような所におひとりでいらっしゃるとは……何か御用でも」
「忙しいところに申し訳ないが、至急探して欲しいものがあるんだ」
 現皇王であるジョウイ・ブライトの態度は丁寧で、前皇王からは想像もつかなかった(もっとも彼は人事局になどほとんど顔を見せたこともなかったのだが) 
 武勇で鳴らしたルカに対して、この歳若い皇王は敵味方なくなるべく人命を尊重するような戦い方をする穏やかな人柄であると噂されていた。
 彼が要求してきたのは既に壊滅した部隊の隊員の資料だった。
 田舎の街を拠点にした少年兵部隊の名を出されて、局長はうんざりした表情を押し隠すのに苦労した。少年兵部隊はハイランド軍の中でも実戦力として重視されていないために、実質上の人材管理は人事局の手を離れて地方に駐留している隊長にある。しかも戦死者や壊滅した部隊の資料は一定期間が経つと書庫の方に移されてしまうのだ。
「探して参りますので少々お待ちください。生憎、担当の者が今日は欠勤しておりまして」
 局長はこのくそ忙しいときに、と心中で毒づいた。局員も人間である以上、休暇が必要なのは確かだが、こう忙しいと少しでも人手が減るのは困る。
「手伝うよ。探しものなら二人でやった方が効率が良いだろう」
 目を白黒させて遠慮しようとする局長を尻目に、ジョウイはさっさと書庫に足を向けた。自分だってそんなに時間に余裕があるような生活をしていない。担当者の欠勤を知っていて、狙ってこの時に来たのだ。
 連日の書類の出し入れのために書庫の扉に鍵はかかっていなかった。局長は慌ててジョウイの後を追い、明り取りの窓はあってもなお薄暗い書庫内を照らすため蝋燭に火をつけた。入口の脇にある閲覧用の机に乗せると狭い範囲だが明るい輪ができた。
 まったく整理されていないわけでもないのだが、やはりこのところの多忙さ故に書類の並びはかなり乱雑だった。
 しばらくジョウイの言葉どおり二人で書類をめくっていると、篭った紙の匂いが身体に染み付いてくるようだ。いくつめかの束を解いて、局長は顔を輝かせた。
「見つけましたよ、陛下。ユニコーン少年兵部隊、ラウド隊長以下十七名」
 隊長と隊員の名前、それから出身地がリストになっている。補足欄にはジョウストン都市同盟との国境付近にて壊滅とある……ジョウイは手渡された書類にざっと目を通して頷いた。
「ありがとう……隊員個人の資料は?」
「そちらは拠点のキャロの街で管理されているはずです」
「そう……ではもうそれに関する資料はどこにも存在していないわけだ」
 皇王は不可思議な笑みを口元に乗せている。
「どういうことです?」
 怪訝な表情を向けられて、ジョウイは滑るようにリストで蝋燭の灯りをひと撫でした。
「こういうことさ」
 翻ったその紙の端から、一瞬の間を置いて炎が舐めてゆく。局長は色を失って叫んだ。
「なにをなさるんです!?公文書ですよ!」
「もう壊滅した部隊のだけれど……やはりないと困るのかい」
「もちろんです!特にユニコーン隊は……」
 同盟軍の夜襲によってユニコーン少年兵部隊が全滅したことはハイランド国民なら誰もが知っている。現在に続くこの戦争の発端となった事件だ。
 薄っぺらく白い灰が燭台の端に落ちる。
「キャロから資料を取り寄せなければ……」
「その必要はないよ」
 ジョウイは平然と指先をはたいて、自ら机の引出しを探り新しい紙とペンを取り出して局長に押し付けた。
「これから私が言う名前を書き留めていってくれればいい。そして最後に認証のサインを」
 わけのわからない要求に困惑しながらも、局長はジョウイの気迫に押されて椅子に掛けるしかなかった。唇にこそ笑みを残しているが、静かに凪いだ青灰の瞳はナイフのように危うい色に見えた。
 局長から有無を言わせぬ承諾を勝ち取り、ジョウイは澱みなく少年たちの名前と出身地を挙げ始めた。
 
 
 

 キャロに残っていた隊員それぞれの資料は、命を受けた忍びが密かに処分しているはずだ。
 故郷を離れ山中で過ごす心細さは、共同生活をするうちに少年たちの間に多かれ少なかれ仲間意識をもたらしていた。
 騒げば隊長から叱責されるので、こっそりとお互いに交わされる独自の合図。
 幼馴染の少女に想いを寄せているのだと噂されていた少年。
 小さい頃によくいじめられた相手もいたが、意外と世話好きだと分かった。
 そりの合わない者もいたが、気安く声をかけられるようになった。
 キャロの近隣の小さな村からも数人。貴族の別荘地の様子をことあるごとに訊きたがっていた。
 誰もが明日には再会する家族を夢見ていた最後の夜。
『もう着替えてるのか、隊長に見つからないようにしろよ』
『早く母さんに会いたいよ』
『帰ったら……』
『戦争が終わるんだ……』
 手を伸ばせば触れられる距離にあった想いたち。
 ひとりひとりの顔も名前もまだ覚えている。
『ジョウイ……』
 いつも変わらず側にあった幼馴染の仕草も声も。
『ジョウイ、明日はやっとナナミに会えるね』
 僕の仲間たち。
 その時、僕たちには確かに共有しているものがあったのだ。

 
 

「……以上十五名。ラウド隊長を除き、ジョウストン都市同盟との国境付近にて全員戦死」
 なぜこんなにもすらすらと見も知らぬはずの少年たちの名前と出身地を挙げていけるのか。田舎町から志願した少年兵たちと、皇都ルルノイエで軍の頂点に立つ皇王では立場が違いすぎる。呆気に取られながらも懸命に書き留めていた局長のペンが止まった。
「ジョウイ様、その、二名ほど足りないようですが……」
「ユニコーン少年兵部隊は、隊長含め十五名。何か間違っているのかな?」
「い、いえ……」
 念を押すように質問を返され、局長は蒼ざめた顔で書類の一番下に認証のサインを入れた。
 ちらりと視線を走らせるとジョウイの右手が目に入った。見せつけるように机にもたれかかるそこには、絶大な力を持つと言われる黒い剣型の紋章が宿っている。
「ありがとう、ご苦労様」
 ジョウイは新しく書き直されたリストを確認して元の束に紛れ込ませた。それから何事もなかったかのように、てきぱきと書類の束を書架に戻し始める。
 ペンやらインクやら書類やらを、局長はわざとらしく音を立てながら片付けて回った。自嘲交じりの、ジョウイの小さな呟きは誰の耳にも入ることはなかった。
「これで僕は……本当に帰るところをなくしたんだ……」
 帰る家も街ももはやなく。
 あの日から二人の少年は生も死も宙ぶらりんのまま。
 人事局の事務室に戻ると、先ほどはいなかった数人の局員たちが戻ってきていて室内に活気が増していた。人手が足りないというのに姿を消していた局長には、早速仕事が津波のように押し寄せてくる。
「忙しいところを邪魔してすまなかったね」
 そう言って微笑むジョウイは先ほどのことが嘘のように優しげで、かえって局長の背筋を寒くさせていた。
 皇王を事務室から送り出し、後ろ手に扉を閉めて長い息を吐く。皇王直々の用事に対する部屋中の好奇心に満ちた視線が鬱陶しく纏わりついた。
「……誰だ、穏やかな人柄だなんて言ったのは……」
 局長は唸るように呟き、視線を撥ね退けつつ自分の机に泳ぐようにして戻った。
 幸いにも、恐ろしい記憶は目の前の書類の山がひとまず消してくれそうだった。
 
 
 
 
 
 
 

 


ある日友人と話していて、ハイランドにいるときのジョウイは
カッコいいらしいという結論に達しました。
実証するべく書いてはみたものの…
……カッコいいってより、怖い?(爆)
ハイランド軍に人事局があるという設定はその友人から借りています。

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