その理想は山より高く



 
 

「ちょっとシーナ!まさかシーナじゃないだろうね!」
 軍議が終って皆が一息ついたところに、突然すごい勢いでシーナに迫ったものがあった。それはこのツインホーン軍をまとめる年若いリーダー、ユーナクリフ。つかみかからんばかりに身を乗り出し、目を吊り上げている。
「なにぐわっあうぅえぁえぇぇ?」
 普段は飄々としているシーナも、胸倉をつかまれ揺さぶられては逃げようがない。
「おいおい、落ち着けよリーダー。何かあったのか?」
 見かねたフリックが間に入ると勢いだけはおさまったが、剣呑な目つきは今だ変わりなく、それどころかフリックにまで同じような視線を送ってきた。その迫力に思わず一歩あとずさる。
 会議室にいた面々は、好奇心に負けて遠巻きに眺める者、呆れた顔で去ってゆく者、それぞれだが、誰ひとりとして場を収めようなどという者はいない。似たような光景は何度も見ているからだが、フリックはこういうときに放っておけない自分の性分をひそかに恨んだ。
「昨日ナナミが誰か男とレストランでお茶していたのを見たっていう情報が入ったんです」
 やっぱり……そんなことじゃないかとは思ったんだ。
「情報っておまえ―――」
 誰だ、こいつにそんな危険な情報を与えたやつは!
 と言いかけてフリックは口をつぐんだ。日ごとちょこまかと本拠地内を走り回る軍主の情報網はリッチモンドやタキに次いで広いと言われているのだ。その程度のことが耳に入るのは容易いだろう。
「だから相手が誰だったのか調査中なんです」
「ナナミに直接訊いてみればいいんじゃないのか?」
「……できませんよそんなこと、カッコ悪い」
 思わず吹き出してぎろりと睨まれる。ユーナクリフは憮然とした表情で(依然としてシーナは捕まったままだ)重い息をひとつ吐いた。
「あのね。この間もナナミが、誰か男に絡まれていたっていうんですよ。一緒にいたアイリが教えてくれたんだけど、しつこくお茶に誘われたとか……最近多いんですよね、一人じゃないみたいだし」
 ツインホーン軍は急激に大きくなり、人も増えた。上層部の人間はクセも実力もある者ばかり。ナナミはそれをまとめるリーダーの義姉だ。うまく取り入れば軍内での地位が上がると考える輩もいるのだろう(実際、ハイランドではジョウイがその方法で皇王の座を射止めたわけだし)。
 ただ、リーダーの義姉に対する溺愛ぶりを知っている人間なら、そんな恐ろしいことをやろうなどとは思わないだろうが。
 ユーナクリフは普段は、同年代の少年の中ではどちらかといえば大人しい方なのだが、ことナナミに関わると見境がないのだ。
 ―――疑いをかけられただけでシーナがこれだもんな。
 その場の誰もが襟で締められて酸欠状態のシーナを気の毒そうに眺めていた。誰も止めないあたりもいつものことだ。
 だからってなんで俺がその役目を引き受けなきゃいけないんだよ!とフリックは心中で毒づく。他がやらないから彼にお鉢が回ってくるのか、彼がやるから他がやらないのか……おそらく後者であろう。
「いやリーダー、それにしてもな」
「フリックさんは、ナナミがどんなヤツか分からないような男に誑かされていてもいいって言うんですか!?そいつがろくでもない男だったらと考えると……!!」
「それは分かったからな?いやだから、それがシーナだとは」
「僕に許可もなくナナミと楽しくお茶だなんて絶対許せないーーー!!」
 ユーナクリフが興奮すればするほど襟が締まり、シーナの顔が赤から青に変わってゆく。そろそろ生命に関わりそうだ。こうなったら実力行使しかないか、とフリックが身構えた途端、後ろからのんびりとした声がかかった。
「昨日のはヒックスだと思うぞ。なんでもテンガアールの誕生日が近いとかで、プレゼントにどんなものがいいか悩んでいたからな、ナナミに訊いたらどうだとアドバイスしてみた」
「なあんだ」
 ユーナクリフは途端にあっさりシーナを解放した。あまりの変わり身の早さに周囲の方が力が抜ける。
「く、苦しかった……ビクトール、そういうことはっ……早く言えよなっ!」
「いやーおまえらがあんまり面白くてな」
「ユーナクリフも……!!死ぬかと思ったじゃねえか!俺はダメでもヒックスならいいのかよ?」
「いい。ナナミ狙いじゃないのがわかってるし」
 苦しい息の下から文句を並べるシーナに、悪びれもせずに応える二人。フリックは頭を抱え、シーナは余計にがなりたてた。
「大体、おまえちょっと気にしすぎじゃないか!?ナナミだってあれでも一応年頃なんだから、男の一人や二人いたっていいだろ」
「一応ってなんだよ!年頃だからこそ心配なんじゃないか。ナナミは警戒心薄すぎるから、ヘンな男に引っかかったりするんじゃないかと気が気じゃないよ」
「じゃあどんなヤツが相手ならいいんだよ!」
 シーナが勢いのままに言ったことだが、改めて訊かれると、ユーナクリフは考え込んだ。
「そうだなぁ……やっぱりまず、ナナミの料理を平気で食べられる人じゃないと」
「…………」
 ―――この時点で城の住人の9割以上が除外された。
 しかし残った味オンチの人間でさえ「食べられなくはない」と言うほどのナナミの料理である。平然と平らげた上に「美味しかったよ、また作ってね♪」などと笑顔で言えるのは誰でもない、彼女の弟くらいのものだ。
 ちなみに、ここですでに彼らの幼馴染かつ親友である少年も除外されている。彼はいつもナナミが差し出す得体の知れないモノに脂汗を垂らしながら、なんとか言い訳をひねり出して回避するか、命懸けで挑むしかなかった。こっそりと胃薬を握り締めて。
 フリックは恐る恐る尋ねた。
「……おまえさー、本当にアレが美味いと思ってるのか?」
「美味しいです(きっぱり)……あ、心配ないですよ、一般的に言って僕の舌が味オンチの部類に入るって事くらいは自覚してます」
「…………」
「あとは、腕の立つ人。ナナミを護ってあげられて、ナナミが暴走したとき止められないと」
 護るはともかく、あの暴走を止めるのか?
「…………存在するのか、そんな奴が」
 誰かが低く呟いた。
「少なくとも僕よりは強くないとね」
 うんうんと頷いているその本人は、近頃めきょめきょと腕を上げている。おまけに最近の楽しみは、交易などで稼いだ金で武器をがんがん鍛えることだ。それだけでも恐ろしいのに彼の右手に在るものといったら……。
 ビクトールは肘で隣の腕をつついた。
「挑戦してみるか?シーナ」
「……え、遠慮しとく」
 手もとのトンファーをぽんぽんと叩くユーナクリフの様子は、どう見ても「手合わせ」で済みそうもない気配を放っている。
 『使える物は使え』が信条である真の紋章持ちに、どうやって勝てというのだ。
「それから歳が離れすぎているのは……ちょっと、困るよね。容姿に関しては特に何も言う気はないけど、ナナミって面喰いだからなぁ……」
「…………」
 ―――どうしろと?
 果たしてナナミがお嫁に行ける日が来るのか。誰もが、その可能性はガンテツの頭に毛が生えるほどもないと思った。
 しかし沈黙を振り払うようにテレーズが助け舟を出した。
「そこまで言うなら、ユーナクリフさんのお嫁さんになさったらどうですか?血は繋がっていないんでしょう?」
 言葉をなくしていた男たちは、おおその手が!と顔を輝かせたのだが、ユーナクリフはきょとんとして返した。
「僕が?なんで??」
 ―――だめだこりゃ。
 フォローの入れられない気まずさが部屋中に広がる中、扉が小さく開き、明るい顔がひょこんと覗いた。
「ユノぉ?会議終ったみたいなのになにやってるの?」
 噂をすればなんとやら。他の人間が反応を返せないでいるうちに、ユーナクリフはぐるりと首をめぐらすと最愛の義姉に大真面目な顔で言い放った。
「ナナミ、僕はね、僕の大事なお姉ちゃんを、そんじょそこらの男になんかやらないよ」
 突然そんなことを言われ数瞬呆気にとられた後……ナナミは歓声を上げて弟に抱きついた。
「ユノ……!あんたってば、なんて可愛いこと言うの!!心配ないからね、ユノが『いい』って言った人じゃなきゃ旦那さんになんかしないわよ。なんたってユノのお義兄ちゃんになるんだから。ね、ね、じゃあユノはどんな人がいいの?お姉ちゃんに言ってごらん?」
 ユーナクリフは固唾を飲んで見守る周囲の人間など完全に無視して、極上の笑みを義姉に向けた。
「そりゃあ、ナナミが好きになった人なら誰だっていいよ。ナナミの人を見る目は信用しているからね!」
 
 
 

 ……そして今日もラブラブの姉弟は、
「嘘をつけーーーーっ!!」
「なあ、死にかけた俺の立場は!?」
「この猫かぶりー!!」
 等々、わけのわからない叫びが交錯する会議室を仲良く後にしたのであった。
 



 


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