以上で、未満で。



 
 
 
 
 


「ビクトールさーんっ」
 ユーナクリフがビクトールの脇腹に抱きついた。いや、抱くつくというよりはタックルするような勢いだったのだが、不意打ちだったにも関わらずよろけただけで終わるのは、さすが密かに熊とあだ名される傭兵隊長なだけはある。
 がしぃっ。と硬い感触にユーナクリフは目を細めた。
(この丈夫な腹筋……いいなぁ)
 自分より二回り以上も太い腰を抱えた手に感じる背筋、これもすばらしく引き締まっている。
「おう、ユーナクリフ。帰ってたのか」
 見上げる位置には日に焼けた顔が気の良い笑みを見せている。初見ではおっかなく見えるが、ほんの少し付き合ってみれば、人好きのする男だということがすぐに分かるのだ。
 砦の経済状態だってそう楽ではないのに、自分たちのような子供(しかも敵国出身の)を引き受けているのも、お人好しとも懐が深いとも言える。大酒飲みで大雑把だが戦いになれば意外と慎重で勘も鋭く腕が立つ。
「リューベで新しく仲間になってくれる人を見つけたんです」
「あぁ聞いたぞ。おまえらが動いてくれるんで助かるよ」
 ぐしゃぐしゃと髪をかき回され、ユーナクリフはくすぐったそうに首をすくめた。
「そうだ、丁度いいな。ちょっと来い」
 そう言って奥の方に手招きされる。いそいそとついて行く姿に向けられている視線があることに、ユーナクリフは気づいていなかった。
 

 ◆◆◆



 ジョウイは無意識に押さえていた息を吐き出して吹き抜けの手摺から離れた。
 階下にある親友の姿に気づいて声をかけようかと思ったのだが、彼がこの砦のボスに抱きついたのを見て凍り付いてしまった。
 ビクトールを見上げている熱のこもったまなざし。
 髪をかき乱されても嬉しそうに笑っている。
「僕にはいつも子供扱いするなって怒るくせに……」
 口の中で呟いて、ジョウイは踵を返した。重い気持ちが胸に広がってくる。
 階下に降りる気にもならずベランダに出ると、強い日差しが肌を刺した。
 手摺にもたれ鬱々とした気分で森を眺めていると、不意に背後から声をかけられた。
「ジョウイじゃないか。こんなところで何しているんだ?」
「フリックさん……いえ、ちょっと考え事をしていただけです」
「相棒と一緒じゃないのか?」
 青雷の二つ名を持つこの青年の笑顔は普段と変わらず爽やかだったが、今のジョウイはそれを好意をもって受け止めることができなかった。
「……スリッパじゃあるまいし、二つで一つのセットでもないんですから」
 珍しく刺々しい態度で迎えられてフリックは意外に思った。貴族のお坊ちゃんらしく礼儀正しい、どちらかと言えば穏やかな少年だと思っていたのだ。だがよく考えてみれば、捕虜になった親友を助けてこの砦から逃げ出したときの手際といい、案外侮れない人物でもあった。
 特別彼に用事があったわけでもないフリックだったが、興味を引かれてそのまま立ち去らずに同じように手摺にもたれかかった。わざとらしく立ち去るのも躊躇われて、ジョウイは押し黙っていた。
「ケンカでもしたか?」
「していません」
 気安い口調に苛立ちを誘われ、声が硬くなる。
 ジョウイにとって傭兵隊の砦は少々居心地が悪かった。人懐こいユーナクリフはジョウイが助けに行くより前に砦の陽気な連中と親しく声を交わすようになっていたし、ポールなどはすっかり彼のことを気に入っている。ナナミも持ち前の明るさと物怖じしない性格で、大人たちから可愛がられている。
 しかしジョウイは他人と打ち解けるのがあまり得意ではなかった。丁寧な態度は初対面の相手に対して好感を持たせるし波風こそ立てないが、冴えた端正な面差しもあいまってそれ以上他人が近づくことを許さない雰囲気があるのだ。
 ここからロープを伝って降りた時、彼の瞳に迷いはなかったように思ったのに。本当は違ったのだろうか……
 もしかしたら心残りがあったのではないだろうか?ここを離れることに……ここにいる人から離れることに。
 つっけんどんにあしらわれているにも関わらず、フリックは動こうとしない。ジョウイは躊躇いがちに口を開いた。
「フリックさんは、ビクトールさんとは……その……親しいようですけど、長いつき合いなんですか?」
「あ?ああー……まあ親しいっていうか、腐れ縁みたいなもんだな。長い付き合いかどうかは、どうかな。俺たちは3年……くらいか。おまえらはどうなんだ?」
 ジョウイは幼馴染の少年に出会った遠い日を思い出して声を詰まらせた。
 数えてみれば、もう二桁の年数を共に過ごしていた。お互いがお互いをいちばん理解しているなんて―――無意識にしろ思っていられたのが、今になって信じられなくなっている。
「何があったのかは知らんが、早いところ仲直りしておけよ。ユーナクリフなら食堂にでもいるんじゃないか?さっきビクトールを探していたから、そこにいるって教えてやったんだが」
 フリックがそう言うと、ジョウイは眉を顰め小さく呟いた。
「あの二人、どうして……」
「なんだ?」
 ジョウイは何度か逡巡した後に思い切ってフリックに質問した。
「フリックさん、あのぅ……ビクトールさんって妙な趣味があったりしませんか?」
「は?」
「この砦は男ばかりですし……その、やけにユノに構うと……思いませんか」
 たっぷり十秒ほどもぽかんとした後、フリックは爆笑した。
「ぶわっはっはっはっはっはっはっは!!!」
 手摺をばんばん叩き、身体を折り曲げてげらげらと笑いながら、酸欠になって喘いでいる。
「お、おまえまさかヤツとユーナクリフとの間を疑ってるのか!?」
「……もういいです。忘れてください」
 ジョウイは憮然とした表情で踵を返した。自分がいかに馬鹿な質問をしているかは分かっているが、それなりに真剣に訊いていたのだ。笑われていい気分はしない。自分たちに与えられた部屋に戻るつもりで階段に向かうと、フリックが未だに笑い止まない様子で声をかけた。
「無用な心配だぜ、安心しろよ。よしんばそういう趣味があったとしてもあんなガキに手を出しやしないさ」
 親友のためには喜んでいいのか憤慨していいのかよく分からない台詞だ。複雑な気分でジョウイは階段を降りた。食堂にはもうその親友の姿も、彼が懐いていた傭兵隊長の姿もない。
 更に階段を降りて地下に向かう。ジョウイの脳裏に先ほどの光景が蘇ってきた。少し冷静になって思い出せば、ビクトールに抱きついていったのはユーナクリフの方だった。
 ビクトールにその気がなくたって、ユーナクリフにその気があったら……そっちの方が状況としては更に悪い。
 溜息を吐いて部屋の扉を開けると、二つ並んだ寝台の片方に腰掛けて脚をぶらぶらと遊ばせている幼馴染の姿があった。
「あ……ジョウイ」
 ユーナクリフもなんだか浮かない顔をしている。ジョウイは自分の重い気分をよそに心配になった。
「どうしたんだい、ユノ?元気がないな」
「え、別に……そんなことないよ」
 ジョウイが隣に腰を下ろして顔を覗き込むと、むきになって声を上げる。
「なんでもないって!ほら!」
 同時に何かを口に突っ込まれる。舌先からまろやかな甘味が広がった。
「なんだいこれ……飴?」
「さっきビクトールさんに貰った」
 途端に、ジョウイは表情を硬くした。飴を口の中でころりと転がして「ふぅん」と呟いたきり黙りこんでしまう。今度はジョウイの方が不機嫌極まりない顔をしているので、ユーナクリフは怪訝そうに肩を寄せてきた。
「何怒ってるんだよ?」
「怒ってなんかない」
「じゃあなんでそんな顔してるのさ」
 むかむかする心を抑えられず、ジョウイはユーナクリフを遠ざけるために立ち上がった。
「僕が何を考えているのかなんて、君には関係ないだろ。この顔が気に入らないんだったら放っておいてビクトールさんのところに行けばいいよ」
「はあ?そこでなんでいきなりビクトールさんが出てくるんだよ」
 ジョウイには珍しく、刺々しい感情をぶつけられてユーナクリフは面食らった。この年上の幼馴染はいつも年上ぶって優しくて、いつもはそれで自分がついむくれてしまうのに。
「君はあの人が……好きになったんだろう。べったりくっついていたじゃないか」
 ユーナクリフはジョウイの言葉を頭の中に巡らせてはっとした。ひょっとして何か妙な誤解をされているのではないだろうか。そのまま部屋を出て行こうとするジョウイの腕を慌てて掴んで引き止める。
「ち、違うよ!そりゃあ好きは好きだけど、僕はただ……ビクトールさんみたいに頼りがいのある男になりたいと思って」
 振り返ったジョウイの顔に、今まであった苛立ちが驚きに変わっているのを見てユーナクリフは続けた。
「心は優しくおおらかに、身体は強くたくましくって。ゲンカクじいちゃんだってそういう男になれって言ってたからさ……」
 嘘だとは思えなかった。お互いに大切な人だと分かっているから、今は亡き師匠の名を出されると弱い。ジョウイは自由な片手で口元を覆った。
 まったく馬鹿な誤解をしたものだ。情けなさと恥ずかしさにかぁっと頬が熱くなる。謝ろうと思って口を開いたが、ユーナクリフが声を荒げたのに遮られた。
「ジョウイこそ……!」
「え?」
「ジョウイだってフリックさんと仲良くしてたじゃないか。まさか変な気を起こしたりしてないだろうね!」
 ジョウイは一瞬唖然として、それから謂れのない嫌疑をかけられたことに憤慨した。
「まさか!そんなことあるわけないだろ、変なこと言うなよ!」
 だが、ユーナクリフも負けじと言い返す。
「僕には言わないことだってフリックさんには相談するんだろ」
 ビクトールから飴をもらってすぐ、ユーナクリフがしたのはジョウイを探すことだった。それが二階に上がってみれば別の人間と並んで真剣な顔で語り合っている(ように見えた)のだ。おまけにその相手ときたら二枚目で有名な好青年で、この砦で働く若い女の子の憧れの的である。
「どうせ僕は頼りないし、チビでバカなサルだよ!」
「誰もそんなこと言ってないじゃないか!」
 仲の良いことで知られている親友同士が言い争う声は陽が落ちるまで続き、ポールなど砦の兵士たちを不思議がらせた。
 しかしそもそもどうして怒っているのか―――そこまで二人はちっとも考えが巡っていないのだった。
 
 

◆◆◆



 数日後、砦の傭兵隊長と副隊長は食堂でくつろいでいた。テーブルではもう残り少ない昼食が乗っている大皿を数人の兵たちが囲んでいる。
 フリックがふと思い出して先日のジョウイとのやりとりを話すと、ビクトールは大声で笑い出した。
「それと同じことを俺もユーナクリフに訊かれたぞ」
 ははぁん、と納得してフリックは鼻を鳴らした。
「ってことはなんだ、こないだあいつらがケンカしてたってのはそのことか」
「あれであいつらデキてるわけじゃないらしいんだから、変な奴らだよなぁ」
 どうやら仲直りはしたらしいという話を聞いてほっとしていたのだが、親友と言うには少し感情の質が違うように見える二人組だった。
 口論の理由からするとどうにも痴話ゲンカにしか思えない。しかしビクトールがそれとなく匂わせて尋ねてみても、ユーナクリフは本気で何のことだか分からないという顔をしていた。
 入り口の方からは若い少年少女に特有の甲高いやりとりが聞こえてくる。噂をすれば影だ。賑やかな一行の中から赤い上着の小柄な少年が走り出てビクトールに突進してきた。
「ビクトールさんっ」
 がしぃっ。と硬い感触に喜んでいるユーナクリフを、少し離れたところから金髪の少年が複雑な表情で見やっている。
「新しい仲間を見つけましたよ!女の子なんですけど、ペットの山ねずみがすごく強いんです」
「そうか、よくやったな」
 ぐしゃぐしゃと髪をかき回してやるとくすぐったそうに笑って手を離し、義姉と幼馴染のところに駆け戻ってゆく。替わりに進み出てきたのは奇妙な生き物を抱えた長い髪の少女で、ビクトールは砦のボスとして軽く挨拶を交わした。
 その向こうではキャロ出身の三人組が、レオナが昼食を新しく用意してくれると言うので適当に空いてる席についている。すると突然、ユーナクリフがジョウイの頬に唇を寄せたので、その場に居合わせた者たちはいっせいにぎょっとした視線を向けた。驚いてはいても、顔色が変わっていないのはジョウイとナナミだけだ。
 固まっているビクトールやフリックなどお構いなしに、ユーナクリフ本人はさも当然といった風情でこう言った。
「ちょっと血が出てるよ、ジョウイ」
「ああ……さっきの戦闘ですりむいたかな」
「ユノこそ、ここに傷ができてるじゃないの」
 今度はナナミが、義弟の額をぺろりと舐める。あまりにも自然な動作と会話に、余計に開いた口がふさがらない。
 そうこうしているうちに、何も知らないレオナが新しい大皿を運んできたのでようやく周囲の人間たちはぎくしゃくと動き出した。
「らぶらぶなのね〜。ボナパルトもちゅ〜してほしい?」
 少女の腕の中では珍妙な短い脚がじたばたともがいている。
「なんて臆面のないヤツらなんだ……」
 隣のフリックが低い声で呟くのに、ビクトールは心から頷いた。
 
 
 
 

 


傭兵隊砦の話が書いてみたかったんです。
この辺りのジョウイは子供っぽいところを出しやすくて楽しい。
銀丸は友人にキスしたりべたべたいちゃいちゃするの、あんまり抵抗ないです(笑)
 
 

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