マージン2



 
 
 
 
 

 買い物から帰ってきたユーナクリフが、頼まれたと言って取り出してきたのは、薄浅葱の封筒。
「それってそれって、つまりその……『らぶれたー』ってやつね?」
 そういえばナナミは知らなかったんだな、とジョウイはぼんやりと思った。
 同じような手紙をユーナクリフから手渡されたのは、実はこれが初めてではない。そういうのは断ればいいと言ったのだが、人の好い彼はやはり断りきれなかったらしい。
 小さい頃はユーナクリフと共にいじめられっ子だったジョウイだが、このところは事情が変わってきていた。年月が経つにつれて、いじめっ子もいじめられっ子も成長してきたのだ。「腰抜けのお坊ちゃん」であったはずの彼が、当主である父には嫌われていると言っても、地方の名門アトレイド家の嫡子であり「才色兼備の武芸達者」であることに気付き始めた街の子供たちは、明らかにその態度を変え始めていた。
 面と向かって罵り暴力をふるうことをやめ、もっと大人しい、けれど陰険な陰口を叩く者。関わらないように無視する者。昔のことは水に流してこれからは友達になろう、などと媚びへつらう者。そういう人間を知るたびにジョウイは心に冷たいものが溜まっていく気がした。
 そして、中にはその性別を利用して取り入ろうとする者もある。
 淡いばかりの甘い恋への憧れは、そんな現実に踏み潰された。
「ジョウイってば、やっぱりモテるのねぇ」
「……そんなんじゃないよ」
 彼女たちはただ、「ジョウイ・アトレイドの恋人」という地位が欲しいだけだ。うまくすればアトレイド家に入り込める。そして他人に羨まれたいだけなのだ。ジョウイはそれに自分の容姿が一役買っていることにも気付いていた。
(くだらない……)
 ジョウイは冷えた心で手紙を受け取った。
「それでどうするの?」
 ナナミは好奇心いっぱいで無邪気にそれを気にしている。
「別に、どうでもいいだろ」
 ジョウイは醒めた声を出すとごろりと床に転がった。そのまま話題を打ち切るために、先ほどまで読んでいた本を開いてそちらに集中しようとした。
 隣に同じように転がるユーナクリフの気配。それから。
「ジョウイ〜〜」
「いたたたた。ナナミぃ〜!!」
 ぎゅうーと耳を引っ張られてジョウイは抗議の声をあげた。
「だから一体何が言いたいんだよさっきからっっ」 
 答えもなくナナミは台所の方に行ってしまった。
「も〜。どうしたんだよナナミは……」
 ユーナクリフの帰りを待つ間、ナナミはいつにも増して暴力的だったのだ。髪はひっぱられるわ、頬はつねられるわ、頭ははたかれるわ……。別に彼女の気に障るようなことをした覚えはないのだが。
 さして気にも留めない様子でユーナクリフが呟く。
「やきもち焼いてたりして」
「まっさか」
「じゃなかったらよほど暇だったんだね……」
 言いながらユーナクリフはもぞもぞと移動すると、ジョウイの背中の上にのしかかった。
「ぐえ……ユノまでなにするんだよぉ……」
「ねー、それどうするんだよ?」
「なにが?」
「だからその手紙」
 意外な言葉にジョウイは身体をずらして幼馴染の顔を覗き込んだ。ユーナクリフがそういうことを言い出すのは初めてだったのだ。
「いままで気にしてなかったくせに……急にどうしたんだい」
「別に……なんとなく……」
 ユーナクリフは小さく口ごもった。本当になんとなく気になったらしく、自分でも不思議そうに視線をさまよわせた。ジョウイはひとつ息を吐くと、初めてユーナクリフに手紙を渡されたときと同じ言葉を繰り返した。
「興味ない。わかってるだろ?他人に頼まなきゃ手紙も渡せないような相手なんて」
 くだらない理由で僕に近づくために、君らを利用するような奴なんて。
 気は乗らないがユーナクリフがこの手紙を受け取ってきた以上、呼び出しには応じなければならない。彼がジョウイに渡さなかったなどと誤解を受け、悪評を立てられるのは我慢がならないからだ。
 なるたけやんわりと、けれどきっぱりと断ったジョウイの背に浴びせられた甲高い声。
『あの道場のナナミとかいう子?あんな子のなにがいいの!?』
 そういうことじゃないだろう。本当にくだらない。
 例えば。
 妻にする相手、とか、そういう意味での恋人にならしてやっても構わない。それが必要なら。
 だってそんなのは所詮他人じゃないか。お互いに利用し利用されるだけの相手なら、割り切って付き合うこともできるだろう。けれど今は必要ない。正直言って―――鬱陶しい。
 そんなのと同列にこの大切な幼馴染たちを置けるものか。
 大切で居心地のいいこの空間。
 けれど。
 好きだから一緒にいる。それだけのことが分かってもらえないこともある。
 ナナミは身体の線に丸みを帯びてきた。ユーナクリフはいつかジョウイの背丈を追い抜いてやるのだと悔しそうに言う。
(僕たちは変わっていくんだ……)
 その事実から目を逸らしていられるほど、ジョウイは無垢でも聡くないわけでもなかった。
(変わらなくちゃいけないのか……)
 君たち以上に大切な人が僕にできるのだろうか。
 恋をして、結婚して、子供を生んで、ずっとずっと未来を共にする。
 そんな未来が来るのか、本当に。
 いつか―――ナナミやユーナクリフにも、大切な人、が―――
 ジョウイはそこで思考を中断させられた。
「ぶわっははははは!やめ、ユ、ユ、ユノ!なにうぉはは……くすぐったいって!!」
「あははージョウイって脇腹弱いよね」
 解放されてジョウイはぜーはーと荒い呼吸を繰り返した。
「……っ……君といい、ナナミといい、一体なにが言いたいんだよ〜……」
 なんでこの姉弟はこうも突然よく分からない行動に出るのだ。
 ジョウイの反応を楽しげに見ていたユーナクリフだったが、ふと真剣な顔になった。
「鈍感」
「え……?」
 その言葉の意味を問いただす前に、ナナミが台所から出てきた。
「二人ともお茶飲むでしょ!はい!」
 どかどかと机に湯呑みが置かれた。機嫌はもう直っているようだ。
 ユーナクリフはしなやかな動作で起き上がり、ジョウイもまだ微かに乱れたままの呼吸を押さえようと手を伸ばす。
「っにがーーー!」
「ぶっ……ナナミ!これ、師匠の薬湯じゃ」
「あれ?そうだった?」
 憮然とした二人の視線を受けても「失敗失敗、でも身体にはいいからね〜」などとナナミは反省の色がかけらもない。ジョウイは溜息をついて湯呑みを集めた。ついでに栞代わりに手紙を本に挟んで小脇に抱える。
「淹れ直して来るよ……」
「僕がやる」
「いいよ、ユノは休んでて」
 優しく笑んでみせると、一瞬ユーナクリフがもの言いたげな瞳をしている気がしたが、彼はすぐに視線を逸らしていつもの顔に戻ってしまった。
 台所に入る一歩手前でふと振り返ってみると、ナナミはなにかしらユーナクリフの服の裾を気にしていた。ほつれでもしているのなら、誰が直すのかと攻防戦が繰り広げられることだろう。
 その様が目に見えるようでジョウイはくす、と小さく笑った。
 やさしい光景に心が軋む。
「……恋なんて」
 この暖かい時間を壊してしまうようなものなら、欲しくない。
 いつかはこんな気持ちも変わるのだろうか。
 ジョウイは薄浅葱の封筒を開き内容をざっと確認すると、忌々しげに握りつぶした。

 


ジョウイになると途端に長い…。
わけわかんないですね(泣)深読みすればそれなり…かも、ですよ。はは。
いや本当はね、いちばん変わることを恐れているのは誰かって話。
 
 

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