その愛は海より深く



 
 




 ある日の朝食の席でナナミは上機嫌だった。
「今朝ねぇ、『可愛いね』って声かけられちゃった」
 ユーナクリフとジョウイの動きが一瞬止まり、目が見合わされた。
 早起きのナナミは、このところ宿の飼い犬と朝の散歩をするのが日課になっている。
「……そいつ、後ろから声をかけて来たんじゃないのかい?」
 げしっ、とジョウイの脇腹に容赦のない一撃が入れられた。
「失礼しちゃうわねー!!わたしだってちゃんとレディって認めてくれる人がいるんだから。ね、ユノ!」
 痛みに丸くなって呻いているジョウイを引きつった顔で見ながら、ユーナクリフはぼそりと発言した。
「レディっていうのはこんなに乱暴者じゃないと思うなぁ……」
 二人ともから同意を得られないので、ナナミは機嫌を一気に急降下させて残りのパンを義弟の口に突っ込んだ。
 だが、マイナスの感情を長引かせないのが彼女の良いところだ。そのために、朝の食堂では楽しげに今日の予定を話している少女と、目を白黒させて悶絶している二人の少年という奇妙な光景が繰り広げられることとなったのであった。
 そんなこんなで時間は過ぎ、そろそろ昼時にもなろうとする頃。
 ジョウイとユーナクリフは二人で宿に残っていた。手元に窓からの日差しが差し込んできて、この辺りの地理史の本を読んでいたジョウイが顔を上げた。
「ナナミ、ちょっと遅くないか?」
 鞄の綻びを繕っていたユーナクリフも心配げに窓の外に目をやった。
「うん……すぐ帰るって言ってたのに、もうずいぶん経つよね」
 朝食の後、ナナミは二人をおいて街の仕立て屋に向かったはずだった。
 三人が数日前から滞在しているのはこの地方では大きな街だった。はじめは少し街を見て回ったら再び移動しようと思っていたのだが、交易が盛んで織物が安く流通していると知って、そろそろ服を新調しようということになったのだ。
 旅をして回るために幾分上等で丈夫なものを頼もうということになり、少年たちは昨日のうちに仕立て屋の主人の見立てに従って適当に決めたのだが、ナナミはやはり女の子らしく、どの布地にしようかとあれこれ悩んでいた。
 あまり高価なものは困るが満足がいくように選ぶだけの時間はあるので、いくつかの候補の中から一晩たっぷりと考えていたのだ。
「まだ悩んでるのかな」
「どれも同じようなものだと思うけど……」
 首を捻っているジョウイにユーナクリフは軽く笑い声を立てた。
「ナナミもやっぱり女の子なんだよ」
 それにしても昼食が遅くなってしまうと判断して、ジョウイは彼女を迎えに行くことにした。
 ここ数日で慣れた街並を通り抜け中心の大通りを横切ると、宿から見て街の反対側に仕立て屋が位置している。
 日差しが強いために薄暗く見える店内を覗いてみたが、ナナミの姿は見えず、代わりに奥から話し声が聞こえてきた。
 いつもの明るい声と、二人の男の声。
「うん、ティントなら行ったことあるけど……」
「そうなんだ。ティント料理の店があるの知ってる?」
「大通りから外れたところにあるから、街の人間じゃないとわからないよな。今度一緒に行こうぜ」
 身体は大柄だが、自分たちと大して齢の変わらない少年たちだった。ひとりはカウンターの向こうにいてエプロンをかけているのでここの店番だろうと思われる。もうひとりはナナミのすぐ隣で馴れ馴れしく肩に手をかけている。
 ジョウイは顔を顰めた。
「ナナミ。遅いから迎えに来たよ」
「ジョウイ!え、もうそんなに時間経ってた?ごめんごめん、お腹すいちゃったね。布はもう決めたから、ユノとご飯食べに行こう」
 くるりと向きを変えて駆け出そうとするナナミを、少年たちは慌てて引き止めようとした。
「な、なぁ行くなら俺たちと……」
「うん、今度場所教えてね。皆で行こうね」
 もちろんナナミは本気で言っているのだが、少年たちは憮然とした顔で取り残されることになった。
 内心で舌を出しているジョウイに、ナナミは無邪気な様子でお喋りしている。
「さっきのカウンターにいた子、あそこのご主人の息子さんなんだって。それがねー、今朝声をかけてきた子なのよ。偶然ねぇ」
 ジョウイは急に表情を引き締めた。
「明日から僕も一緒に散歩する」
「ええ??それはいいけどジョウイ、起きられるの?」
「う……起きるよ……」



◆◆◆




 翌朝。宿の飼い犬を連れて散歩に出たのは二人だった。
 朝から不機嫌そうなナナミとユーナクリフ。
 ジョウイは起きられなかったわけではないが、なにやらユーナクリフと話し合った後、別行動を取ることにしたらしい。
「ねぇねぇ、なに話していたの?ジョウイはどこに行ったの?」
 もちろん、ナナミはこうやって問い詰めたのだが、ユーナクリフは話を逸らしたり適当にごまかしたり、挙句は
「……男同士の秘密」
 とだんまりを決め込み、ナナミを憤慨させていたのだった。
 会話も少なく歩いているうちにパン屋の前を通りかかると、しかめっ面だったナナミがぱっと表情を変えた。朝早くから焼きたてのパンのいい匂いが漂ってくる。
「わたしパン買ってくる。ユノ、ここでワンちゃんとちょっと待ってて」
 嬉しそうな声になったのは、気まずい雰囲気を払拭するいい口実になるからだ。戻ってきたときにはいつもの仲の良い姉弟に戻っているはずだ。
 おいしくて温かいパンを求めて入り口をくぐったナナミは、思わず声を上げた。そこには見覚えのある少年がいたのだ。
「あ!!昨日の……えっと」
「君は……ナナミちゃん、でいいんだよな。今日はひとり?」
「ううん、弟と一緒に来てるの」
 少年はこれを聞くとにやにやと笑みを浮かべてナナミの近くに寄ってきた。
「へぇ、弟いるんだ。でも昨日迎えに来たのは違うよな……?あれは彼氏?」
「え〜そういうんじゃないよ。友達だけど……もう家族みたいなものかな」
 このパン屋の息子である少年はルートと名乗った。昨日一緒にいたのはネフというらしい。ルートはどこかへ出かけようとしているように見えたのだが、今ではナナミの興味を引こうとあれこれ売り物などの説明を始めていた。あまり的確とは言えない説明でも、好奇心の強いナナミは面白そうに聞いている。
 パンやクッキーに気を取られている隙を突いて、ナナミの腰にルートの手が回されようとしたとき、入り口の所でわん、と犬が吠えた。
 二人が振り返ってみると犬を連れてユーナクリフが立っていた。表情はいつものように穏やかに見えるが、目が据わっている。
「ナナミ、パンは買えたのかい?」
「いっけない、ごめんね待たせちゃって。ええと、色々種類があるみたいだけどどれがいい?」
「好きなのを買いなよ。それより早く帰ろう、ジョウイも朝ご飯までには帰るって言ってたし」
 ナナミは頷いて急いで小さめの丸いパンを選び、ルートに三つ包んでもらった。ルートは惜しそうな顔をしていたが、引き止めるには彼女の弟が向けてくるきつい視線に遮られていたのだった。
 こうして宿に戻った二人を出迎えたのはこれまた不機嫌そうなジョウイだった。
 食事が済んでも怪訝そうなナナミには疑問の答えが与えられず、ジョウイとユーナクリフは真剣な顔で何事か話し合っている。
 蚊帳の外に置かれた形のナナミは、はじめのうちは怒ったり拗ねたりしていたのだが、こういうことは慣れていないこともなかった。一抹の寂しさを感じながらも、それが彼らとの世界の差なのだろうと小さい頃から納得ができていた。
 だが奇妙なことには、ナナミが出かけようとすると二人とも、でなくてもどちらかは必ず一緒に行くと言い張るのだ。
 そうして街に滞在している間中、ナナミがひとりで外出することはなかったのである。



◆◆◆




 そんな状況が続いて数日、仕立て屋が三人分の服を仕上げるのを待っている状況だった。
 ルートとネフはことあるごとに姿を見せたが、ナナミを誘い出そうとしてはその度にジョウイとユーナクリフが横槍を入れ、何がしかの理由をつけて彼女の興味を逸らしてしまうのだった。家々の垣根の裏の、道路に面した段差に腰をかけ、悔しさを滲ませた口調で、ルートはネフにこぼした。
「なかなか手強いな、あのナナミって子。疎そうだからちょっとコナかければすぐひっかかりそうだったのに。早くしないとまた旅に出ちゃうぞ」
 店番をサボってきているネフは、エプロンを膝の上でくしゃくしゃにして弄んでいる。
「このまま賭けはお流れかなぁ。邪魔なのはあの弟とか幼馴染とかいうやつらだよ」
「どっちが先に落とすかなんてのはもういい、こうなったらとにかくなんとかナナミだけ呼び出そうぜ」
 どうやって、と訊くネフにルートはとりあえず宿に向かってみようと振り返り、そこで固まってしまった。
 小柄な少年が二人、出口を塞ぐように立ちはだかっていたのだ。
「へぇ〜面白そうな賭けだね」
「ナナミを呼び出してどうするんだって?詳しく聞かせてもらえないかな」
 話題の、ナナミの弟と幼馴染。二人とも薄ら寒い気配を纏っていながら、顔には輝くばかりの笑みを浮かべている。
「君たちのことは少し調べさせてもらったよ。と言っても街の人たちにちょっと訊いてみただけなんだけど、有名なんだね君たちは。仕立て屋の息子とパン屋の息子、二人揃うとロクなことしないって?」
 ジョウイが肩を竦めて見せると、ユーナクリフが後を続けた。
「別に僕たちは、君たちがどんな札付きの悪だろうとそんなことはどうだっていいんだ。ナナミを巻き込みさえしないんだったらね」
 不敵な態度に、ルートとネフはいきり立った。
「生意気な奴らだな。ルート、こいつらたたんじまおうぜ。邪魔者がいなくなって一石二鳥だ」
 大柄なネフたちは腕っ節にもそれなりの自信があったのだろう。しかしジョウイとユーナクリフは楽しげに目を見交わした。
「ユノ、たしか君、破魔の紋章を持ってたよね?不心得者どもにはちょうどいいと思わないかい」
「あははははーダメだよジョウイ。僕『小言』で済ませる自信ないもん。君こそ火の紋章があるだろ」
「僕も消し炭にしない自信がなくてさ」
「じゃあしょうがないね」
「今、武器を持っていなくて良かったね」
「本当にね」
 にこにこと笑いながら、両手の指をぱきぱき鳴らしている。
 物騒なやり取りと、ただごとでない気迫にネフたちは顔を強張らせたが、後の祭りだった。



◆◆◆




 更に日は替わって。
 仕上がった服を受け取りに行ったナナミは、不思議そうな顔をしながら帰ってきた。
「おかえり、ナナミ。これで午後には出発できるね」
 部屋の扉を開けるとユーナクリフが鞄の紐を結んでいた。
「ジョウイは?」
「食料を買いに行ってるけど、もうすぐ帰ってくるよ」
 そこへちょうどナナミの後ろから袋を抱えたジョウイが部屋に入ってきた。
「あ、ジョウイおかえり〜」
「うん、ナナミも」
 二人ともここのところべったりとくっついてきていたくせに、昨日から突然単独行動が許されるようになった。不機嫌な様子も消えうせている。
 どういうことなのかよく分からないが、いつもどおりの関係に戻れたのでまあいいや、とナナミは思う。
「そういえばネフ君なんだけど、なぜか包帯だらけだったのよ。しかも急に人間不信になっちゃったみたいなの。わたしのことお化けでも見るような感じなのよ〜」
 ジョウイは普段と変わらぬ落ち着いた顔でナナミの話を聞いている。
「ふうん、どうしたんだろうね」
「なんだか怖いわね」
 ユーナクリフもぽんぽんと鞄を軽く叩きながら頷いた。
「本当にね」
 なんとなく釈然としない気分だったが、窓の外に目をやるとナナミはすぐに元気が湧いてきた。今日は良い天気で、風は爽やかだ。
 旅立ちにはぴったりの日和だった。





 


「ユノとジョウイに愛されてるナナミ」というリクを頂きました〜。
はたしてこんなんでリクに応えられているのかどうか(^^;)
これじゃあユノもジョウイも悪者みたいです(笑)否定はしませんが(おい)


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