風をいたみ


 



 
 
 
 
 

 ルルノイエでは季節柄、強い風が吹き荒れていた。
「では後ほどシードにも報告に参るよう言っておきます」
「ああ、頼んだよクルガン」
 長い回廊の入口で黒衣の将軍と別れ、ジョウイは風に逆らって早足で歩いた。
 回廊は城の外壁に沿うように作られており、景色は良いがこのような季節には渡る者たちを悩ませている。片腕で抱えた書類を飛ばされないようにしっかりと抱えなおした。
 強い風に髪を弄られてジョウイは小さく舌打ちした。結んであってもこんなに乱されてしまっては、また結び直さなくてはならないではないか。

 ―――切ってしまおうか。

 ふとそんな気になったのが自分で可笑しくて、口の端が歪んだ。
 実を言えば、ただでさえ女顔なのが余計に引き立ってしまうので自分の長い髪が好きではないのだ。けれど今までどうしても切る気にはなれなくて。
 伸ばし始めたのはいつ頃だったか……
 たしか、自分ひとりで自分の身を整えるようになってからすぐだったような気がする。
 自分の身の回りのことは、なるべく早く自分だけでできるようになりたかった。父は自分のことなど放ったらかしで、そのくせ家の体面を気にして言動にはうるさかった。母は優しかったが、いつも困ったような悲しいような顔で自分を見ていた。弟は成長するにつれ父以上に自分を嫌うようになった。
 世話をしてくれたのは家の召使いばかりで、母親が自分に触れてくれた記憶はあまりなかった。ましてや父親など。
 ふとした拍子に耳に入ってくる召使いたちの噂話から、どうしてそんなに父が自分を疎んじるのか、その理由にもうすうす感づいていた。
 自分が「フギの子」だから。当事者にあって教えられずにその意味を理解することができないほど、子供というのは馬鹿じゃない。
 それが悲しくなかったといえば嘘になるけれど、そのことで泣いて訴えてみせるのも、荒れてみせるのも、せいぜいが父に嫌われる理由を増やすだけだ。そんなのは悔しすぎる。広い家の中、ジョウイは冷えた感情を抱えて、少しずつ無感動になっていくのを自覚していた。反対にその頃家の外で、驚くほど温かい笑顔を知った。心を奪われてどんどん傾いていくのを止められなかった。
 そんな中でたったひとつ、子供じみた主張を見せ付けるように髪を伸ばした。
 母に似たくせのない金の髪を。
 血の繋がりを示すこんなにもわかりやすい印を。

 どのくらい伝わるのかも解らないし、自分でもつまらないことをしていると思いながら、伸びた髪をそのままにしておいた。それだけが家族の証明のような気がしていた。
 肩を越す程度に伸びた頃には、「せっかく綺麗な髪なのに、切るなんて勿体ない」と幼馴染たちに切ることを反対された。
 そうやって、たまに揃えるために手を入れるだけで―――気がついたらずいぶん長くなってしまっていたのだ。
「そろそろ潮時かもしれないな……」
 鬱陶しく風に舞う髪を押さえつけながら、ジョウイはひとりごちた。
 もう帰る家もないのだし、血の繋がりを見せ付ける相手もいないのだ。
 ジョウイがハイランドの軍団長の座についてすぐ、アトレイド家は逃げるようにキャロの街からどこかへ越していったらしい。まさか自分がなにか仕返しでもすると思ったのだろうか。だとしたらあまりのくだらなさに鼻で笑ってやりたい気分だ。
 そしてもう、長い髪を惜しんでくれる人も遠い。
 回廊が終り自室に戻ると、時折吹き抜ける風に窓枠が音を立てている。ジョウイは髪留めを外し机の引き出しから鋏を取り出した。少しの間それを見つめ、指を通して髪に当ててみる。
「ユノ……もしも僕が……この髪を切ったら……」
 もしも次にまみえることがあったとしたら。
 君はなんて言ってくれるだろうね?
 やはり勿体ないと言ってくれるのか、何も言わないか……それとも、何も言えない状態になっているのか。
 ナナミみたいに。
『私もジョウイみたいにクセっ毛じゃない髪だったら伸ばしてみたかったけど……』
 女の子らしく何度もジョウイの髪を羨んでは、そのくせなかなか色気づいてみせなかった少女。未だ幼い部分の多い、けれど少年たちを包み込む母性の塊みたいだった少女。
『だからね、切っちゃダメよ。勿体ないもん。ちゃんとお手入れもするのよ、いい?』

 ―――僕は間に合わなかった。

 死んでしまったなんて。あの声がもう聞けないなんて。
 とても信じられないよ、ナナミ。
 間諜から報告だけは受けても信じきれなかったが、先の戦で同盟軍の将のひとりに略式の喪章を見たとき、事実がするりと理解できた。部下へ飛ばされる激を聞けば、その一戦をキバ将軍とナナミへの手向けにするつもりなのだろうと思われた。
(そんなものではナナミは喜ばないと思うけど)
 華々しい勝利より、きっと彼女が喜ぶのは捧げられた一輪の花や、ひそやかに呼んでくれる大切な人の声や、そんな優しいものだ。
 せめてそれだけ手向けられたなら。
 ジョウイは微かな溜息を漏らした。
「……意外と冷静なんだな、僕は」
 呟いた端から、自嘲する笑みが浮かぶ。本当は、失ったものの重さに心が麻痺してしまっているだけなのだと解っている。
 それでも激しい後悔に潰れている暇などない。
 ナナミが倒れたときに決めたこと。そのずっと前から望んでいたことも。義務と、責任と、我侭と、願いと。
 そして―――約束。
(僕にはやらなくてはいけないことがある。誰に恨まれようとも―――)
 確認するように一度ゆっくりと瞬いて鋏を下ろそうとした途端、ノックと同時に扉が開かれ赤毛の青年がさっと入ってきた。
「ジョウイ様ーっ!お待たせです、報告にきました!」
 ここにクルガンが居たら、礼儀がなっていないと一発殴られているところだろう。突然の訪問者に驚いてジョウイの目が上がる。
「シード……」
「うわっジョウイ様!な、なにやってんですか!?」
「何って……ああ、これかい?」
 シードの慌てた声に、ジョウイは自分の手にあるものを改めて示して見せた。
「ちょっとね、髪でも切ってみようかと思って」
 言いながらジョウイは苦笑した。
 手にした鋏を髪に当てているのだから確かに誰が見てもそう見えるだろうが、これではいかにも衝動的にやりましたという様なので心配されるのも無理はない。
「本当にこの鋏で切ろうとはしていないよ。どうかなと思っていただけなんだ」
「はあ、そうですか……」
 シードはほっと胸をなでおろしている。ジョウイはわずかに瞼を伏せた。そんなに心配されるほど今の自分は危うく見えるのだろうか。
「で、本当に切るんですか?」
「え?」
「いやその、ちょっと勿体ないな……と思いましてね」
 照れたように頬を掻くシードになんとなく笑いを誘われながら、ジョウイは鋏を引き出しに戻した。
「勿体ない……か」
「え、え?俺なんか変なこと言いました?」
「いや……」
 シードの齢に合わぬ子供っぽい仕草が懐かしい感情を思い起こさせて、流れた淡い金の髪が揺れる。ジョウイは笑みを深くした。
「……切らないよ」
 馬鹿げた意地で伸ばしておいた、別に好きでもないものだけど。惜しんでくれる人がいるならそう悪くはないのかもしれない。
 毛先を指で弾いて、それから風で乱れたままだったのを思い出し、けれどそれよりは報告を優先することにして邪魔にならないよう適当に結んでおく。
 小さな呟きを、風が窓を叩く音に紛れさせた。
 

「あの地で約束を果たすまでは……」
 

 最後の最後に彼に会うときには、彼の知る僕の姿でいたいと思う。
 彼がすぐに気付くように。ただの錯覚だと判ってはいても、変わらないように見えるものを持ち続けていたい。皇王の上着も脱ぎ捨てて、たったひとりの少年の姿で相対できたら。
 最期に……少しでも君は惜しんでくれるのかな。この髪を惜しんでくれたように。
 甘やかで身勝手な期待に、誰にともなく許しを乞うた。
 
 

 戦況は日増しに過酷になってゆく。
 
 
 
 
 


風の強い日は衝動的に髪を切りたくなります…(経験有)
でも短くした方が反対に鬱陶しかったりもする。
幻水の世界では男の子の長髪って文化的にどうなんだろう??あんまり気にしてなさそうだからいいか。

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