フレイムウィング城の洗濯場には朝から午前中にかけて入れ替わり立ち替わり人がやってくる。女も多いが、実は男の方が多い。他人を雇ってやってもらう手もないことはないが、ほとんどの兵舎暮らしの兵士たちは男も自分で洗濯するしかないのだ。
ビクトールも例に漏れず、朝に干した洗濯物を昼前に取りこみに来た。
天気が良ければ、風通しのよい洗濯場は絶好の物干し場になる。しかし朝早く来た者はここに干すことができるが、面積は有限なので遅く来た者は部屋に干すことになってしまう(ビクトールも普段は部屋に干している。今日はたまたまどこぞの元青騎士団長の朝練につき合わされたのである)
暖かな日差しに心地良い風が吹き抜け、ビクトールは大きく欠伸をした。物干し竿に掛けておいたシャツやらタオルやらの垂れ幕ををぞんざいな手つきで持参した籠に放り込むと、その向こう側にしゃがみこんで洗濯板を相手にしている少女が見えた。
「ナナミじゃねえか。まだやってたのか?」
朝にもここで見かけたし、その時にも洗濯をしていたような気がするのだが。ナナミの手元を覗きこんで見ると、黒い布地が石鹸の泡にまみれている。
「そりゃユーナクリフの服か」
「そう、聞き分けないこと言うからさっきひっぺがしてきたの。まったくもう、二度手間だよ」
「は?」
ナナミは手を止めてビクトールを見上げた。くりくりとした大きな瞳の上で眉がきゅっと寄る。
「ユノがね、洗濯物をわたしに任せるの嫌がるのよ。下着とか、自分でやるって言うの。でもユノだってこの頃忙しいんだし、わたしのと一緒にやっちゃった方が効率いいに決まってるじゃない?」
ここで一休みすることにしたらしく、腰を伸ばしながら唇をとがらせている。
確かにもっともな言い分ではあるが……ビクトールは苦笑した。
「まあな、男にも色々あるってこった。大体男物の下着を洗濯したりするのは、女の子の方が恥ずかしがったり嫌がったりするもんじゃねぇのか?」
「今更恥ずかしがってどうすんの。あの子のぱんつなんか、もう何年も洗ってるんだからね」
「ぱんつっておまえ……」
今更だから、年頃になったからこそだろうが。
ビクトールは呆れ顔になってナナミの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「やっぱりまだまだガキなんだなぁ、ユーナクリフの苦労もわかる気がするぞ」
ナナミが何か反論しようとして一歩踏み出した途端、バランスを崩してビクトールの方に倒れこんだ。ビクトールはとっさにそれを支えようとしたが、脇にあったたらいに足を引っ掛けた。
「きゃっ!」
「おっ……」
結果、二人して一緒にひっくり返ってしまった。
むに。
ナナミの腰を支えようと伸ばされた手に当たったやわらかな感触。
その正体が何なのか判別する前に、甲高い叫び声が上がった。
「や、や、どこ触ってんのーー!!ビクトールさんのばかぁ!!」
ばっちーんと両側の頬を挟むように叩かれる。次いで傍にあった籠がひっくり返され、洗濯物の束がどさどさと降ってきた。
「うぉ……」
ちかちかする頭を振って、それでも顔に引っかかっている洗濯物を外そうと手を伸ばす。意外と小さな布切れを不審に思ってよく見ようとすると―――
「きゃー、きゃー、きゃー!!!見ちゃダメ、返して!!」
ようやくひらけた視界に勢いよく毟り取ったものを握り締めたナナミの顔が飛び込んでくる。頬を染めて睨み付けてくる様は、迫力というよりはかえって可愛らしい。
ビクトールは柄にもなくどぎまぎしてしまった。顔に血が上るような感覚に自分で驚いていた。女性経験も浅い若造じゃあるまいし、この程度のことで動揺するなんて。奪われたのが女物の下着だったということにもようやく気がついた。
散らばった洗濯物を拾い集めながら、ナナミはぶつぶつと文句を言っている。
「もぉー!レディになんてことすんのよぉ」
「れでぃー?」
思わず聞き返したら、ぶぅっとふくれてみせた。いつもの調子が戻ったように感じられてビクトールは吹き出した。大声で笑ってその薄い背を叩く。
「わはははは。悪ぃ悪ぃ。そんな顔するとレディが台無しだぞ」
「いったいなぁ」
ナナミはしかめっ面になったが、ビクトールは気にする風もない。ナナミとて本気で怒っているわけではないので、すぐに忘れたような顔になって洗濯物の続きにとりかかった。
ビクトールも部屋に戻ることにして自分の籠を片腕に抱えたが、城に繋がる扉に掛けようとしたもう片方の手をじっと見つめてしまった。
その手に触れた身体のしなやかなやわらかさ。
子供だとばかり思っていても、こんな時にはっとさせられる。
「色気がなくても女は女か」
ナナミが聞いていればもう一度殴られるようなことを呟いて、ビクトールはがりがりと頭を掻いた。
「なんて言う気分なんだかな、こりゃぁ」
こそばゆいような、恥ずかしいような。
初めて異性に相対した男のような、あるいは娘を持った父親のような、なんだか照れくさい気分だった。
―――まあ、悪い気分じゃねぇがな。
「将来は楽しみにできるってことか?」
今はまだ大人の入り口に立っているだけだが、五年もすれば佳い女になっていそうだ。
ビクトールはちらりとナナミを振り返り、満足げに肩を竦めて城に入ろうと扉を引きあけた。
……が、その向こうにはビクトールの足を止めるものがあった。
こぼれんばかりの笑みを張り付かせたナナミの義弟。顔は確かに笑みの表情を作っているのだが、目が笑っていない。
「ビクトールさぁん?楽しそうなことやってますねぇ……」
固まったビクトールのすぐ隣にあった立ち木がいきなり裂ける。
「うおっ!?」
ビクトールは冷や汗をたらして飛びのいた。
一緒に歩いて来たらしいフリックが慌てふためいてユーナクリフの肩を押さえる。
「ユーナクリフ!やりすぎだぞ、おまえ―――」
「何言ってるんですかフリックさん。これ、かまいたちってやつでしょ?いやぁ、自然現象って怖いですねぇ」
反論を封じておいて、ユーナクリフは踵を返し廊下を歩いてゆく。鼻歌さえ混じっているのがかえってわざとらしい。
しかし彼の左手にこの間入手したばかりの旋風の紋章がついているのも明白な事実で。
残された男たちは青ざめた顔を見合わせるしかなかった……。
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