遠きにありて思う
戸口の縁に手をかけたまま、ユーナクリフは低く唸った。
「……こんなところに池……あったっけ……?」 どこかで曲がるところを間違えたのか、それとも最近になって池が作られただけで場所は同じなのか。 増築を重ねるこの城はあちこちで工事が行われ、ただでさえ方向音痴である城主を日々更に混乱させている。 「あーもー、いい加減疲れちゃったよ」 目的地と義姉を探してさ迷うことに厭気がさし、ユーナクリフは盛大に溜息をつくと、広場を見渡し壁際の隅に木陰があるのをこれ幸いと休憩場所に決めた。 もともとこの小さな広場はあまり人目にもつかないようで、今は誰もいなかった。普段ここを遊び場にしているであろう子供たちは、この時間なら昼食を食べに行っていると思われる。ユーナクリフ自身もそろそろお腹が空いてきたのだが、レストランに行くまでにはまた城内をさ迷わなくてはならないだろうと思うとうんざりする。 壁に寄り添うように立っている太い幹にもたれ、ユーナクリフは膝を抱え込んだ。 「ナナミってば、どこに行っちゃったんだか」 一緒に歩いていたはずの好奇心旺盛な義姉は、少し目を離した隙に消えていた。……よくあることだ。 「……あんまり、ひとりになりたくないのに……」 ユーナクリフはぽつんと呟いた。 広場に人影がないとは言っても、物音もしないというわけではない。工事の音や、威勢のいい訓練の音、どこかのおかみさんの怒鳴る声。けれど、どれも遠くに聞こえる。 小さい頃に戻ったみたいだ、と思った。 ゲンカクに引き取られてからしばらく、ユーナクリフは部屋の隅っこにばかり座っていた。そんな彼の癖に気付いて、養父は苦笑したものだ。 「そんなに小さくならんでもいいだろう。おまえもこの家の主なのだぞ?」 昔のことなので記憶は曖昧なのだが、確かその言葉にわんわん泣き出したのではなかっただろうか。あの時、言葉の意味までちゃんと解ってはいなかったのだけれど。ゲンカクの筋ばった温かい手ばかりを思い出す。 あそこはユーナクリフの家だった。この城も、もう自分の家みたいなものなのに……時折、たまらなく寂しくなる。 帰りたい―――と思う。 (でも……どこに?) リドリーやチャコが故郷の街を誇る姿や、テレーズのいつか帰るのだと故郷を懐かしむまなざしを見るたびに、胸に大きな空洞が開いていくような気がする。 この城に集ったやさしい人たちの、故郷を守るという決意と誇り。 (僕が守るべき、帰るべき故郷って―――どこだろう?) 自分が故郷と呼べる街と言えばキャロしかない。しかしあの街はハイランド領だ。守ると言うのなら、自分がここにいるのはおかしいと思うのだけれど。 キャロの街並みとそこを行き交う人々を目に浮かべて、ぞくりとした。 故郷と呼べる街のはずなのに、帰りたいと思わないのだ。 小さい頃にはいじめられたりもしたけれど、あの街に暮らす人々に自分が馴染んでいたとは言いがたいけれど、それでも、故郷と呼べるのはあの街しかないのに。 ユーナクリフは膝を強く抱え直した。 (だって、今キャロに帰っても……誰も……) がらんとした道場は、見慣れているはずなのに冷たく寒く、そして広い。 ゲンカクの言葉に安心した記憶はあるのだけれど、ユーナクリフは、家にひとりきりでいることは滅多になかったことではあるが、そんなときにはやはり部屋の隅に座り込んでいた。 「ひとりでいたくないな……」 誰も通らない広場。そこの入口から城内に入れば『誰か』がいるだろうとは思うけれど、動けない。ひとりでいたくない、しかし誰とも顔を合わせたくない。矛盾した感情がごちゃ混ぜになってユーナクリフは膝に顔を埋めた。 「……ひとりにしないで……」 ユーナクリフは元々ひとりでいることが嫌いではなかった。 むしろ誰かが家にいることがわかっているときには、裏の林にひとりでいて、昼寝をしたりぼーっとしているのを好んでいた。どうせいくらも経たないうちににぎやかな義姉がやってくるか、その時間を共有できる大好きな―――彼、が――― 「ユノ!やーっと見つけた!」
「……会いたいなぁ……」
思わず声に出てしまって、ユーナクリフははっと口を押さえた。聞かれてしまったかとそっとナナミを伺うと彼女は小さく目を見開いて、それから優しく、やさしく微笑んだ。
今は遠い……君を想う。
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詠ったのは室生犀星。
すごく切なくていい詩ですが、誰の詩だか思い出せなくて大騒ぎしてしまった。
故郷の良さというものは、一度離れてみないと分からないもんです。