「情報提供の見返りがこれとは……」
薄い唇に皮肉な笑みを浮かべ、短い黒髪をかきあげて、彼は面白そうに言った。
「君はなかなかのロマンチストだな、ジェイソン」
仕草はよく似せている。声帯まではいじれずとも、元々の音域が近いため口調を真似るだけで大抵の者は騙せるだろう。
首にひっかかるだけになったシルクのネクタイを抜き取りながら、ジェイソンは苦々しく呟いた。
「おしゃべりだな、エリオット」
「ブルースはセックスの時に無口だったのか?」
「あんたの知ったことじゃない」
一瞬、どす黒い憎悪がエリオットの顔を走り、端からすぐに繕われていく。だが荒んだ苛立ちが青い瞳に燻っていることを、ジェイソンは知っていた。
優しさを装った手に腰を引き寄せられ、エリオットの膝に跨る形になる。
慎重な動きは、ブルースならばどのようにしていたのかを考えているからなのだろう。
哀れな男だ、とジェイソンは思った。
いくら姿形を似せたところで、ブルースに成り代わることなどできるわけがないのに。
ブルース以外に、あの複雑な人間を演じることなどできはしない。
彼に抱かれる感触なんて、ジェイソンにだってわからないのだ。そんなものは儚い夢の中だけのこと。けして現実になりはしなかった。
この男と、ぐずぐず無駄口ばかりの時間を楽しむ気には毛頭なれなかった。手っ取り早くセックスするために来たのだ。性急に服を脱ぎ捨てて覆いかぶさってゆけば、エリオットは了承の印にジェイソンの喉元を吸い上げた。
潤滑剤でぬめる指に体内を掻き回され、ジェイソンはたまらず声を上げた。
「くそっ……エリオット、そんなのはもういいから……」
エリオットが楽しげに喉を鳴らす。ずるりと引き抜かれる感覚に背を粟立たせたのも束の間、もっと大きな質量が一気に侵入してきた。ジェイソンは歯を食いしばって衝撃に耐え、切れ切れに息を吐き出した。
「なんと情熱的な小鳥だろう。かわいいロビン」
「その名で呼ぶな」
険のある瞳に睨みつけられても、ブルース・ウェインの顔を持った男は平然と受け止め、嘲笑を返した。
「何故?こうして欲しかったんだろう、君は。身代わりでもいいから彼が欲しかったんだろう?君も私を呼べばいい、『ブルース』と」
ジェイソンは唇を噛んだ。反論はできなかった。
この男も愚かだが、自分はもっと愚かだ。少なくとも騙されたつもりにはなれるかもしれないと思っていたのに、まったくの期待外れだった。
突然腰を持ち上げられ、繋がったまま体勢を入れ替えられた。その拍子に奥を抉られてジェイソンは苦しげに呻いた。
黒髪の仮面に浮かぶ表情は狂気と残忍さを帯び、もはやブルースとは似ても似つかない。ブルース・ウェイン、バットマン、トーマス・エリオット……そのどれにも見えなかった。その男はジェイソンにのしかかり、片手で喉元を押さえつけた。
「健気だな、ジェイソン。そういう健気さは―――」
大柄な男の体重が気道を圧迫する。
「この手で滅茶苦茶に壊してやりたくなるくらいだ」
凄まれても、ジェイソンは顔を顰めただけだった。セックスとは別種の緊張を無言の睨み合いでぶつけ合う。
数秒の後、あっさりと手は離された。
「だが、今回は取引だからね」
解放された肺に充分な空気を送り込んでから、ジェイソンはふん、と鼻を鳴らした。反撃することもできなくはないが、益がないことはお互いに解っている。
要するに八つ当たりなのだ。今ここにいない男への、強烈な嫉妬と憎悪。もしこの男がブルースのすべてを乗っ取って奪うと言うのなら、彼の負の遺産である自分をも含むつもりなのだろうか?
「いいから続けろよ、エリオット。取引はまだ成立してないだろ」
苛ついた仕草でぞんざいに脚を巻き付けてやると、エリオットの顔に皮肉な笑みが戻った。
「甘いムードの方がお好みだったかな」
「そんなの願い下げ、……っ」
ゆっくりと、しかし力強く、萎えかけていたものが擦り上げられる。同時に内側からも蠢く熱を感じて、ジェイソンは息を呑んだ。動きは緩やかだが、ようやく与えられた快楽の刺激に下肢の筋肉がぎゅっと収縮する。
エリオットは興味深げにジェイソンの反応を確かめながら腰を進めた。時折胸元に指を這わせ、色の薄い突起を弾いて遊んだりもする。ブルース・ウェインとしての演技を辞めた男は、赤毛の青年を恋人と言うよりはまるで玩具のように扱う。
上昇する体温とは裏腹に、ジェイソンの心には冷たい澱が溜まってゆく。
これがブルースなら、どんな風に自分を抱いただろう。
ブルースなら、どんな言葉を紡いだだろう。
ブルースなら。
想像もつかない。
ゴッサムの寵児。大富豪の独身貴族。闇を纏う騎士。保護者にして師。理想を違えたパートナー。時には憎しみに歪むほど愛していた。
だが恋人として抱き合ったことはなかった。これからも永遠にない。
死んでしまった人間はもう振り向いてはくれないのだから。
エリオットが無遠慮にジェイソンの身体を弄ぶ。動きはだんだん激しくなり、快楽の昂まりが理性を侵してゆく。
為されるがまま揺さぶられて上がる声も、荒く乱れた呼吸も、抑えようとは思わなかった。
ジェイソンは自分の上で揺れる黒髪に手を伸ばした。
不思議なものだ。この男はブルースに成り代わるため赤毛を黒く染め、一方自分はブルースから解放されたくて、黒く染めていた髪を赤に戻した。
そして結局、どちらも望みのものは手に入らない。
エリオットも近いうちに気づくだろう。ブルースはもういない。誰もブルースの代わりにはなれない。
ブルースの仮面を被った男は、優しく微笑んで呟いた。
「かわいそうなロビン」
ジェイソンは目を閉じ、ただブルースの名だけを心の中で叫んだ。
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